張赦提

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張 赦提(ちょう しゃてい、生没年不詳)は、北魏官僚軍人本貫中山郡安喜県

経歴[編集]

虎賁中郎を初任とした。ときに都の平城周辺では、豹子・虎子と自称する反乱者が逃民や牧畜民を率いて、霊丘と雁門のあいだを荒らし回っていた。赦提は対策を提案して、宰司に認められ、逐賊軍将となって討伐にあたった。ほどなく豹子と虎子とその仲間たちを捕らえ、平城に送り、宮城の門の下でかれらを斬った。また霊丘の羅思祖の一族が反乱を起こすと、赦提は游徼軍将となって討伐にあたり、捕らえた者をみな殺し尽くした。功績により冠軍将軍・幽州刺史に任じられ、仮の安喜県侯となった。

赦提は清廉なことで知られていたが、後に妻の段氏のために多くの賄賂を受け取るようになった。そのため中散の李真香が幽州に派遣されて、実態を調査した。赦提は東陽王元丕の庇護を求めたが、突き放された。孝文帝に召し出されて、邸で自殺するよう命じられた。

伝記資料[編集]