徳川家康 (1965年の映画)

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徳川家康
監督 伊藤大輔
脚本 伊藤大輔
製作 大川博
出演者 北大路欣也
中村錦之助
山本圭
音楽 伊福部昭
撮影 吉田貞次
公開 1965年1月3日
上映時間 143分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 2億1500万円[1]
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徳川家康』(とくがわいえやす)は、東映が製作し、1965年(昭和40年)1月3日に公開された日本時代劇映画。総天然色、143分。東映京都撮影所作品。家康の出生前から桶狭間の戦いまで描かれている。

ストーリー[編集]

駿府を居城とし、駿、遠、参の三国を領する今川義元が強大な勢力を誇っていた。西には新鋭の織田信秀 が東方に進出し、西三河は東西勢力の接触点となっていた。この地域を拠点としていた岡崎と刈谷は、両勢力いずれかにつかざるを得ず、刈谷の水野は、刈谷の姫於大 (おだい)を和睦のしるしに三州岡崎の城主松平広忠の許へやり、今川方の松平に属した。

天文11年、於大は男子を出生、松平竹千代と名づけた。寅の日、寅の刻という希瑞に岡崎城下は沸いた。

3歳の春、於大の父は病死し、城主となった信元は今川の勢力を脱し織田方と盟を結んだ。於大は兄の一決で織田方阿久居の城主久松俊勝のもとに嫁いだ。病弱な広忠は如何なる運命にも耐えて、竹千代を守れと於大を送る。今川義元は伯父 ・雪斎禅師 の進言を容れ、岡崎を織田進撃を喰い止める要路とみて、竹千代を人質に迎える旨岡崎に伝えた。弱小国・岡崎のとる道は唯一つ、竹千代は七人の侍童に守られて駿府に向かった。だが途中、田原領主・戸田弾正 の寝返りで、竹千代は一千貫で織田方に売られ、侍童たちは次々と割腹した。

信元は竹千代の命と引き換えに、織田方へ加担をすすめたが、広忠は武士の意地から拒否。これを聞いた於大は熱田に向かい、吉法師(後の織田信長)のおかげで竹千代の姿を垣間見る。竹千代は「母はおらん」というが、吉法師は於大の心に激しく心を揺さぶられ、竹千代が折った金色の折鶴を於大に渡す。

天文18年、広忠が病死し、弔いにかこつけて安祥城 を奇襲した岡崎勢は城主信広と交換に、竹千代を3年ぶりに三河に迎えた。それもつかの間、竹千代は岡崎を去って駿府の人質となり、三河は今川に統割された。

10年後、吉法師は信長と名を改め、勢力を拡げ、今川方を脅す。竹千代の動静を藤吉郎 を派遺し、つぶさに於大に知らせるが、信長の真意は分からなかった。竹千代も元服して元信と名を改め、義元の姪・瀬野と婚儀を結ぶ。雪斎は「お主は岡崎の者か、今川の者か」と問いつめる。

永禄3年、義元は天下統一のため上洛を決める。信長は元信の動静に眼を離すなと藤吉郎に命ずる。松平の血を継ぐ元信は岡崎譜代の家臣と自分のために切腹した7人の侍童に報いるため、大高城にこもり、織田方との戦いを避ける。信長は大高城を迂回し、桶狭間の今川の本陣に入り、義元の首をはねる。報を聞いた元信は織田軍に乗り込むと義元の首を受けたいと告げる。恨みよりも恩を返そうとする元信の心に、信長は拒否するが、かねて約束の馬を与えるといい、馬と馬がぶらさげていた義元の首を手渡す。

概要[編集]

当初は内田吐夢監督の『宮本武蔵』のように、5部作(年1、2本予定)のシリーズ化公開する予定だったが、東映時代劇退潮時期であり、本作1本で打ち切りとなった。伊藤大輔監督はこの年、東映を退社した。

本作の合戦シーンの一部は、ピー・プロダクション制作のTV時代劇『快傑ライオン丸』(フジテレビ)の第1話冒頭で使用されている[2]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)210頁
  2. ^ 『うしおそうじとピープロの時代 スペクトルマンVSライオン丸』(太田出版)
  3. ^ 北大路欣也は、1992年テレビ朝日系新春時代劇スペシャル『徳川家康 戦国最後の勝利者』や2011年NHK大河ドラマ江〜姫たちの戦国〜』で再び家康を演じている。