忠節橋

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忠節橋
金華山から望む長良川に架かる国道157号(国道303号重複)の忠節橋、右岸に岐阜県道163号墨俣合渡岐阜線、左岸上流側に岐阜県道287号上白金真砂線(2019年1月13日撮影)
金華山から望む忠節橋(2019年1月)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 岐阜県岐阜市
交差物件 長良川
建設 1939年1月 - 1942年9月(下部工)
1947年11月 - 1948年7月(上部工)
座標 北緯35度25分50秒 東経136度45分0.5秒 / 北緯35.43056度 東経136.750139度 / 35.43056; 136.750139
構造諸元
形式 6径間連続鋼バランスドブレースドタイドアーチ橋
材料
全長 266.06m
17.60m
最大支間長 80.00m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道157号標識
国道303号標識

忠節橋(ちゅうせつばし)は、岐阜県岐阜市長良川に架かる、国道157号国道303号重複)のアーチ橋である。補強工事や欄干の取替えなどが行われているが、その姿は1948年昭和23年)の架設当時とほとんど変わっていない。

概要[編集]

忠節橋のアーチ部(2005年6月撮影)
忠節橋(2008年6月)

下記は1948年(昭和23年)の竣功時のデータである[1]

  • 橋梁形式
    • 低水敷:吊構(ポニー式)付突桁式鋼構繋拱橋(3径間連続ブレースト・リブ・バランスト・タイドアーチ)
    • 高水敷:突桁式上路鋼鈑桁橋(3径間連続カンチレバー・プレートガーダー)
  • 竣功:1948年(昭和23年)7月31日
  • 供用:1948年(昭和23年)8月1日(竣功式)
  • 延長:266.06m(構橋部 181.06m、鈑桁部 85.00m)
  • 幅員:17.60m(軌道部 4.98m、車道両側 3.64m、歩道両側 2.67m)
  • アーチライズ高:14.50m(桁最下端からアーチ最上部まで)
  • 鋼重:2,043tf
  • 製造:横河橋梁製作所芝浦工場[2]
  • 橋面
  • 橋台:基礎杭打丸太:直径18cm×5.2m)扶壁式鉄筋コンクリート造
  • 橋脚:基礎井筒(11.7m - 17.7m)鉄筋コンクリート造5基
  • 支間長:50.53+80.00+50.53m、27.00+31.00+27.00m
  • 鉸鋲数(現場鋲員数):構桁部 87,765本、鈑桁部 30,645本、合計 118,360本
  • 活荷重内務省鋼道路橋設計示方書案に依る第一種荷重、及び名古屋鉄道30トン電車2両連結
  • 所在地:岐阜県岐阜市真砂町 - 早田
  • 取付道路:延長754m(左岸取付道路414m、右岸取付道路340m、盛土57,457m3鉄筋コンクリート框橋368m3
  • 総予算:6721万5908円
    • 第三次工費総額:6700万円
      • 橋梁上部工:5265万4712円46銭(施工期間:1947年11月 - 1948年7月)
      • 取付道路費:0728万4594円97銭(施工期間:1947年6月 - 1948年2月)
      • 用地買収費:0082万9000円00銭(買収面積1,558
      • 物件移転費:0162万3264円60銭
      • 機械器具費:0090万8427円97銭
      • 工事雑費等:0370万0000円00銭
    • 第一次工費総額(施工期間:1939年1月 - 1942年9月)
      • 橋架下部工:21万5908円60銭(橋台2基、橋脚5基)

旧橋の諸元[編集]

初代[編集]

  • 橋梁形式:木橋(有料)
  • 供用:1884年明治17年)5月
  • 延長:963(約175.5m)
  • 幅員:2間1尺(約3.93m)
  • 経費:6,500円

2代目[編集]

  • 橋梁形式:木桁橋(有料、後に岐阜県が2,917円で買上げて無料化)
  • 供用:1898年(明治31年)
  • 延長:96間2尺(約175.2m)
  • 幅員:2間1尺(約3.93m)
  • 経費:6,500円

3代目[編集]

歴史[編集]

明治の初め頃まで長良川にはが架かっておらず、現在の忠節橋付近は「忠節の渡し」と呼ばれる渡し舟で右岸と左岸が結ばれていた。長良川には1874年(明治7年)に明七橋長良橋)が、1881年(明治14年)5月に河渡橋が架けられたが、岐阜町(当時)と周辺農村の往来が多くなると、新たな橋の架橋が求められるようになった。

出資者約10人により資本金1万5000円の株式会社設立され、1884年(明治17年)5月に現在の忠節橋より270mほど上流[4]に総工費6,500円で忠節橋(初代)が架けられた。通行料を取る賃取橋で、一人5、馬・人力車は2が徴収された。

1898年(明治31年)には、初代の下流(現在の忠節橋より150mほど上流[5])に架け替えられた。この橋梁も賃取橋で、他の橋が県費で架け替えられて無料化されるなか、岐阜市で最後まで残った賃取橋だったが、老朽化が激しくなり無料化による利便性向上も望まれたため、県費で架け替えられる事となり2,917円で買い上げられた。

1912年(明治45年)、県費51,543円[3]が投じられ、忠節橋(2代目)と同じ場所に木鉄混合平行弦プラットトラス橋[6]の忠節橋(3代目)が完成し、無料で通行可能となった。1936年昭和11年)12月に着工された長良川上流改修工事で、長良古川(現在の早田川)・古々川(現在の正木川)が締め切られ、併せて長良川本流(井川)の川幅も拡げられる事となり、忠節橋付近も右岸堤防が北に約100m拡げられたため、1937年(昭和12年)に忠節橋(3代目)の北側に約100mの土橋を架けて延伸した。

この忠節橋(3代目)も老朽化が著しく、荷重交通量に耐えられなくなり、鋼鉄製の永久橋に架け替えられる事となった。当初計画(第一次計画)では鈑桁部分を鉄筋コンクリート桁としたもので、1939年(昭和14年)1月に着工したが、太平洋戦争の勃発でセメント等の主要資材の入手が困難となり、1942年(昭和17年)9月に橋台・橋脚などの下部工が完成した状態で工事は一時中止となった。その後、竣功した橋脚間に新たに木造橋脚(下部鉄筋コンクリート井筒)10基を設置して軌道橋(木造ハウ)と公道橋(木造ラチス)を並列架設する設計(第二次計画)に変更し、1944年(昭和19年)7月に着工したが、翌1945年(昭和20年)7月9日の岐阜空襲で橋梁用材の大部分が焼失して工事は再度中断した。この間、旧橋は幾度かの修繕を重ねて戦時中の酷使に耐えてきた。第二次世界大戦後、将来の自動車交通量の増加を見越して再度設計を変更。1947年(昭和22年)6月に取付道路、同年11月22日に上部工の工事を再開し、1948年(昭和23年)7月31日に諸般の工事が終了。翌8月1日に竣功式を挙行して供用開始した。鋼材の調達が難しかった第二次世界大戦後、日本で初めて架設された大規模鋼橋である。

4車線のうち中央2車線に路面電車名古屋鉄道岐阜市内線)の鉄道用複線軌道が敷設された鉄道道路併用橋だったが、自動車の普及に伴って路面電車の利用客が減少。2005年平成17年)4月1日に岐阜市内線が廃止されてから、自動車・歩行者用橋梁となっている。

沿革[編集]

忠節橋を渡る廃線となった名鉄岐阜市内線(2003年8月撮影)
南側の岐阜シティ・タワー43から望む忠節橋通りと忠節橋(2015年12月)
  • 1884年(明治17年)5月 - 現在の忠節橋より270mほど上流に忠節橋(初代)が架けられる(有料)。
  • 1898年(明治31年) - 初代の下流(現在の忠節橋より150mほど上流)に忠節橋(2代目)が架けられる(有料)。
  • 1912年(明治45年) - 県費で忠節橋(3代目)が架けられる。通行料が無料となる。
  • 1937年(昭和12年) - 長良川上流改修工事による河川拡幅に伴い、北へ約100m延伸。
  • 1948年(昭和23年)8月1日 - 忠節橋(4代目:現橋)が開通。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 岐阜市内線岐阜駅前駅 - 忠節駅間営業廃止(廃線)。忠節橋は自動車・歩行者用橋梁となる。

特徴[編集]

長良川の流路(低水敷)を跨ぐ部分の橋梁形式に、ブレースト・リブ・バランスト(カンチレバー)・タイドアーチ橋を採用。日本に現存するこの形式の橋は、北海道旭川市旭橋岩手県一関市北上大橋東京都荒川区/墨田区白鬚橋、および忠節橋の4例のみである[7]

交通事情[編集]

路面電車との併用橋であったため、軌道法に準拠する最後の鉄道道路併用橋となっていた。また、列車通行時には片側2車線の道路が実質1車線となり、朝夕のラッシュ時には橋のたもとの交差点で混雑が見られた。また、自動車のタイヤレールでスリップして他の車と衝突する交通事故も絶えなかった。岐阜市内線の廃止に伴い、以前ほどの渋滞はなくなった。軌道は2007年平成19年)3月までに撤去されている。

なお、忠節橋北端の忠節橋北交差点は、2018年(平成29年)時点で岐阜北警察署管内の交通事故多発場所ワースト2となっている[8]

その他[編集]

JR岐阜駅を起点として、忠節橋を経由した岐阜環状線までの国道157号を含む道路の総称を「忠節橋通り」という。

長良川左岸堤防上の「初代忠節橋」が架かっていた箇所に、2013年(平成25年)6月、寄贈された「二代目忠節橋」の石碑2柱と説明板を岐阜県が設置。

脚注[編集]

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  1. ^ 「忠節橋架設工事概要」12-13頁、17頁
  2. ^ 第2章 時代を代表する構造物横河ブリッジホールディングス
  3. ^ a b 『岐阜県統計書』(大正3年) 土功 著大橋梁までは51,735円となっているが、『岐阜県統計書』(大正4年)以降は51,543円に変更されている。
  4. ^ 本願寺岐阜別院の西側を通る天神町通りを北へ直進した箇所。
  5. ^ 岐阜県道287号上白金真砂線と長良川左岸の堤防道路との交点。
  6. ^ 下部工が鉄管柱橋脚、上部工が木造のトラス橋。
  7. ^ 時代を越えて生き続ける最北の名橋「旭橋」」『Consultant』Vol.246、38頁、2010年、建設コンサルタンツ協会
  8. ^ 岐阜県:岐阜北署管内交通事故多発場所(平成29年)岐阜県警察岐阜北警察署

参考資料[編集]

関連項目[編集]