慈州 (唐)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慈州(じしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から金代にかけて、現在の山西省臨汾市西部に設置された。
概要[編集]
618年(武徳元年)、唐により隋の文城郡が汾州と改められた。622年(武徳5年)、汾州は南汾州と改称された。634年(貞観8年)、南汾州は慈州と改称された。742年(天宝元年)、慈州は文城郡と改称された。758年(乾元元年)、文城郡は慈州の称にもどされた。慈州は河東道に属し、吉昌・文城・昌寧・呂香の4県を管轄した[1]。
1072年(熙寧5年)、北宋により慈州は廃止された。1086年(元祐元年)、再び慈州が置かれた。慈州は河東路に属し、吉郷県を管轄した[2]。
1151年(天徳3年)、金により慈州は耿州と改称された。1190年(明昌元年)、耿州は吉州と改称された[3]。
脚注[編集]
|
|