慶應義塾志木高等学校

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慶應義塾志木高等学校
慶應義塾志木高等学校の正門
過去の名称 慶應義塾農業高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 慶應義塾
校訓 独立自尊
設立年月日 1948年
創立者 福澤諭吉
共学・別学 男女別学(男子校)
中高一貫教育 連携型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 11504F
所在地 353-0004
埼玉県志木市本町四丁目14番1号

北緯35度49分26.7秒 東経139度34分42.5秒 / 北緯35.824083度 東経139.578472度 / 35.824083; 139.578472座標: 北緯35度49分26.7秒 東経139度34分42.5秒 / 北緯35.824083度 東経139.578472度 / 35.824083; 139.578472
外部リンク 公式ウェブサイト
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慶應義塾志木高等学校の位置(埼玉県内)
慶應義塾志木高等学校

慶應義塾志木高等学校(けいおうぎじゅくしきこうとうがっこう、: Keio Shiki Senior High School)は、埼玉県志木市本町四丁目に所在し、慶應義塾が設置・運営する私立男子高等学校

慶應義塾大学と連携し高大一貫教育を行っている。

略称は、学外では「慶應志木(高)」(けいおうしき(こう))であるが、塾内では単に「志木高」(しきこう)と呼ばれる。

概要[編集]

もともとは1948年(昭和23年)に発足した慶應義塾農業高等学校が前身である。10万m2にわたる校地には、暗渠の野火止用水が横断し、道路をはさんで隣接する「慶応ふれあいの森」(マンションの脇)もかつては校地で、旧寄宿舎(有隣寮、高翔寮、1990年閉寮)があった。緑地の中には、500種類以上の植物が見られ、広大な敷地には、運動場だけで、300メートルトラック、サッカー兼ホッケー場、バレーコート、ラグビー場、軟式テニスコートがある。

慶應義塾大学と連携して高大一貫教育を行っている。慶應義塾が設置・運営する中学校のうち慶應義塾中等部慶應義塾普通部からも本人・保護者の希望により進学でき、毎年計20名程度の進学がある。

志木高の教育は受験のためでなく自分のためとされ、教員も「半学半教」を旨とする。第2学年の「総合的な学習の時間」は24の言語から選択して学ぶ。校内施設・環境を利用した公開講座「自然観察会」、地震観測といった活動もある。

埼玉県だけでなく東京都からも近く、首都圏全域からの受験・入学がある。募集定員は230名で、卒業すれば慶大に全員進学できるため、入試難易度は埼玉県のみならず首都圏の男子で最上位層が受験する層である。

一方で、大学受験などを行うのは難しい環境になっている。慶應義塾大学への各学部には人数枠があるため、とくに医学部法学部へは例年人気が集中し、進学を希望しても叶わない場合がある。他大学を受験する場合は慶應義塾大学への推薦を辞退しなければならない。

略歴[編集]

松永安左ェ門君像

1944年、慶大日吉キャンパス内に慶應義塾獣医畜産専門学校が開設された。当初は大学農学部を置く予定であったが、戦時下での政府の方針などから専門学校に縮小された経緯がある。戦後、アメリカ軍により日吉キャンパスが接収された時期があり、川崎市蟹ケ谷旧海軍東京通信隊の施設を借用して授業を再開したが、1947年に塾員の松永安左エ門から東邦電力東邦産業研究所跡地の寄贈を受けて転した。1948年学制改革により慶應義塾農業高等学校へ転換、1957年普通科高校へ転換し、系列大学への無試験進学が認められた。

年表[編集]

  • 1944年 慶應義塾の大学農学部を設置しようとするが、戦時下での政府の方針により慶應義塾獣医畜産専門学校設立(日吉)
  • 1945年 川崎市蟹ケ谷に移転
  • 1947年 東邦電力の東邦産業研究所敷地を松永安左エ門が慶應義塾に寄贈
  • 1948年 慶應義塾農業高等学校が開校
  • 1957年 普通科高校に転換し、慶應義塾大学と高大一貫教育を開始
  • 2001年 メディア棟、新・去来舎竣工

環境[編集]

校内の畑と田んぼ

校内の敷地は広大(32529坪)で、武蔵野の面影を伝える樹林や竹林があり、埼玉県の準絶滅危惧種であるカタクリが生育するなど植生が豊かである。校内には池が3か所、水田が1か所あり、ヒキガエルアマガエルカルガモなどが繁殖している。池の周辺では、カルガモの雛を狙うアオダイショウの姿もよく観察される。まれにタヌキモグラなども見かける。学校周辺は完全に市街地化しているため、校内のタヌキは遺存的な個体群であり、貴重なものである。自然度が高いためオオスズメバチが生息しており、近年駆除を行ったが未だに校内でよく見られる。志木市天然記念物に指定されているチョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)が敷地内に植樹されている。近年、生物部が飼育していたモリアオガエルが逸出し、定着した。産卵期には校内の池で卵塊を観察できる。

農業高等学校時代の名残から、校内に作られた畑で耕作授業も行われている。このような恵まれた自然環境は本校の特徴の一つである(生徒1人あたりの敷地面積は他の高校と比べて非常に広い)。

農業高校時代に農地だった土地は現在グラウンドとして活用されている。以前は野火止用水が流れていたが、現在は暗渠化されている。現在の敷地面積は農業高校時代と比べ、半分ほどに減っている(慶應義塾の財政難の対策として所有地を売却したため)。

教育方針・目的[編集]

教育方針[編集]

慶應義塾の創設者である福澤諭吉による「慶應義塾の目的」(演説の一節をのちに抜き書きしたもの)、「独立自尊」の精神に基づき、志木高ではさらに以下の四つを教育目標に掲げている[1]

  • 塾生としての誇りを持たせること
  • 基礎的な学問の習得
  • 個性と能力をのばす教育
  • 健康を積極的に増進させること

目的[編集]

生徒手帳の1頁目には、「慶應義塾の目的」が載っている。

慶應義塾は単に一所の学塾として
自から甘んずるを得ず其目的は我日本国中に
於ける気品の泉源智徳の模範たらんこと
を期し之を実際にしては居家処世立国の
本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行
実践以て全社会の先導者たらんことを欲する
ものなり 以上は曾て人に語りし所の一節なり 福澤諭吉書

校風[編集]

校則がなく自由な校風である。例えば、制服は定められているが普段の服装は自由(系列校では他に中等部が該当する)、休講となった授業の時間は大学同様に学校に全く拘束されない、などである。容姿に関する規定もないに等しく、カラーやパーマ、イヤリングを施す生徒がいても注意されるという話は聞かれない。しかし、同時に自己責任が問われることも事実である。これは福澤諭吉の建学精神である「独立自尊」に由来する。緑豊かな環境、卒業すれば原則全員が慶應義塾大学へ進学可能であるため進路の心配が少ないことなども、伸び伸びした校風を形成している要因である。成績評価が低く、留年する者も毎年存在する。

式典も少なく、始業式や終業式は一切行われず、学期の初日から通常授業が始まる。期末試験終了から2週間程度の授業の後、長期休業に入る。上履きがなく、校舎内も土足で立ち入ることができる。掃除の時間もない。

教育[編集]

教育課程[編集]

慶應義塾の一貫教育校で、1学年250名の男子校。6クラス編成で、内部進学者(慶應義塾中等部、慶應義塾普通部、例年計約20名)と入試を経て進学する者(約230名)とは第一学年から混合クラスを編成する[1]

卒業すれば学校長から慶應義塾大学の各学部への推薦を受けられるため、受験のための勉強は多くの場合しない。カリキュラムも非常に独特で、個性ある教員によってユニークな授業が展開される。レポートも多い。教科書は数学系しか用いず、大学受験などを行うのは難しい環境になっている。自由選択の化学と物理のカリキュラムは大学二年の課程までに修了させる。

2学年時の「総合的な学習の時間」では、言語や民族そして文化や歴史などに関する24の講座がある。

2学年時と3学年時の語学課外講座では以下の24の言語と文化が学べ、その言語を母語とする講師を招いている例もある。

教員不在により授業が休講になることが多々ある。

語学課外講座として開講されている言語[編集]


進級・卒業[編集]

一学期制としている[3]が、第1回定期試験の6月末までを「1期」、第2回定期試験の11月初めまでを「2期」、第3回定期試験の2月末までを「3期」と呼んでいる[4]。各科目の成績は3 - 10の8段階評価でなされる。1と2は用いられない。原級留置(留年)の基準として、評定平均が6を下回る場合または3を1.0、4を0.5として、それらの合計が各学年の成績算出時に2.5を超える場合には留年となるが、恩赦により仮進級処分となることもある。留年は各学年で1度だけが許される(したがって、最長で6年間在籍可能)。2度続けて留年になると学則により退学となる。

進路[編集]

卒業すれば全員が学校長から慶應義塾大学への推薦を受けられるが、各学部で推薦の人数枠があるため、特に、例年人気が集中する医学部と法学部へは相応の成績が必要となる。他大学を受験する場合は、慶應義塾大学への推薦を辞退しなければならない。在学中の成績・出欠状況を考慮した上で、各学部毎に設けられた定員に従って決定される。

理工学部、医学部、薬学部のいずれかに進学するためには、2年および3年次の必修選択科目で化学物理を選択することの他に、3年次での自由選択科目で定められた理系科目(理工学部、薬学部と医学部では多少異なる)を選択することが必要である。

経済学部、商学部、理工学部、文学部、薬学部、総合政策学部環境情報学部看護医療学部を志望した場合には、卒業条件さえ満たせば進学が認められる場合が多い。

卒業生の殆どが慶應義塾大学の各学部へ進学している。

象徴[編集]

施設[編集]

校門前の校舎に続く白い斜路、大きな敷地が象徴となっている。

校歌[編集]

独自の校歌はないが、『慶應義塾塾歌』がこれに相当する。入学式などの式典時に斉唱する。

マーク[編集]

「ペンマーク」と呼ばれる、2つのペンを交差した慶應義塾共通のマークである。「ペンは剣よりも強し」を表現している。学生証、学生服のボタンなど様々に用いられる。

スクールカラー[編集]

塾旗に由来する青赤青の横縞の並びである。学校で販売される慶應義塾オリジナルの詰襟制服の袖裏地には、この縞模様がデザインされている。詰襟であればボタンを付け替えることで一般的なものも使用が認められる。

入試[編集]

慶應義塾が設置・運営する一貫教育中学校のうち、慶應義塾中等部の男子と慶應義塾普通部の卒業生は本人・保護者の希望により志木高に進学できる。実際はそれぞれ大半が慶應義塾高等学校へ進学し、志木高への進学は例年計20名程度となっている。

外部の中学校からの入試として、以下がある。

一般入試と帰国入試の一次試験の筆記試験は同日(近年は2月7日)に行われる。都内の入試解禁日(近年は2月10日)より前であるため、首都圏全域から受験生が集まる。慶應日吉高より募集枠がやや少なく、慶應日吉の入試日が都内の入試解禁日や神奈川県立高入試日と重複するなどから、合格するには相応の学力と志望理由が必要である。一般・帰国入試では例年併せて定員約190名だが400名弱程度が合格している。

通学手段[編集]

かつては自宅からの距離が遠いため通学困難な生徒のために寄宿舎(有隣寮、高翔寮)が併設されていた。有隣寮は1962年、高翔寮は1964年に完成。慶應義塾の一貫教育校で唯一寮を持つ高校であったが、当時通学生の比率の方が高く、公共交通機関が発展してきたため、年々入寮者が減少、1987年度の新入生を最後として募集を終了し、1990年に閉鎖された。

旧寄宿舎寮跡地の売却問題[編集]

道路を挟んで旧寄宿舎のあった敷地は、2002年頃大手不動産に売却された[5]。旧寄宿舎の周囲は野火止用水が与えた広大な樹林の流れを汲む森[6]であり、この地域に暮らす市民の耳に届いたのは2002年盛夏の頃であった。

志木市大原地区の市民は「慶応高校の緑に想いを寄せる会」を設立。開発業者と志木市に要請するための署名を集め、一万人以上の署名を集めた要請書を志木市長に提出[7]、開発業者に対しては直接市民が開発計画に参画することを要請した。同年12月11日には市民、志木市、開発業者の三者協議の会が発足した。

協議は毎週行われ、マスタープランを完成するにあたり、「緑のワークショップ」を聞くなどのプロセスが取り入れられた[8]。三者協議は5回にも及び、その結果、敷地内に充分なパブリックスペースを確保し、北側・西側の斜面林は一体となって保存する方向となった。

しかし、跡地北側、東側の反対陳情書により、道路に面した南側に建設され、地上14階建ての建物は空を覆う形となり、すでに道路で隔てられていたとはいえ、森林の連続性がさらに失われた。志木市市民プレス第8号では、文末に「志木市の「緑のまちづくり」の重要な拠点だった現地を、もっと早く開発の規制をしておくべきだった。志木市と慶応義塾に対して、その無念の思いはつのる。」としめくくっている。

残された北側・西側の斜面林は「けいおうふれあいの森」として協定緑地となっており、かつての野火止用水も緑地のへりを通過している。

年間行事[編集]

  • 4月
    • 入学式
    • 新入生歓迎会
    • クラスマッチ
  • 5月
    • 研修旅行(一年生)
  • 7月
    • 志木演説会
  • 8月
    • 志木の森ツアー(自由参加)
  • 10月
    • 研修旅行(二年生)
    • 見学旅行(三年生)
    • BLS講習(一年生のみ)
    • 収穫祭(文化祭)※11月の場合もある
  • 12月
    • マラソン大会
    • 志木演説会
  • 3月
    • 卒業式
    • 志木の森ツアー(自由参加)
クラスマッチ
各クラスが何種目かの球技で優勝を競う。球技大会。しかし、雨天の場合などには中止、もしくは大幅な規模縮小で行われる。行われるのはドッジボールバレーボールサッカーソフトボールバスケットボールソフトテニス卓球などである。
研修旅行・見学旅行
本校では毎年国内旅行を実施する。1年生と2年生は研修旅行、3年生は見学旅行に行く。
研修旅行
校外へ赴き、総合的な学習や様々な科目(理科が中心だが、他に芸術や体育の研修もある)の学習を行う。行き先は1年生は例年箱根方面、2年生は2006年度は新潟方面である。
見学旅行
他校でいうところの修学旅行に相当する。研修旅行と異なり、あくまで観光目的である(レポートなどはない)。2008年度の行き先は北海道である。
志木演説会
年2回、さまざまな分野の専門家の講演が行われる。『三田演説会』に倣ったもの。2009年には茂木健一郎[9]、2010年には松岡修造が講演を行った。
志木の森ツアー
林業三田会所属の本校11期卒業生、吉田善三郎より寄贈された三重県の山林(福澤記念育林会所有)に出かけ、林業体験の合宿生活を送る。植林活動やプロット調査が主な目的だが、カヌー野外料理サイクリングなどを通じて自然との触れ合いを体験する。
BLS講習
救急救命の講習会を受ける。BLS (Basic Life Support) 教育は慶應義塾全体で取り組んでいる活動である。
収穫祭(文化祭)
各クラスやクラブ、団体による展示や発表が行われ、毎年8000人ほどが来訪する。昔農業高等学校であった名残から現在も「収穫祭」と称する。通常、10月末から11月初めにかけた土・日の2日間で行われる。「収穫祭の歌」という歌がある(同校唯一のオリジナルソングでもある)。
マラソン大会
体育の一環として彩湖にて約10キロメートルのマラソンを行う。

クラブ[編集]

系列の慶應義塾大学、慶應義塾高等学校、慶應義塾女子高等学校との合同練習が行われるクラブもある。以下の18の体育部と11の文化部がある。

体育部[編集]

文化部[編集]

著名な関係者[編集]

卒業生[編集]

教職員[編集]

その他[編集]

  • 本校正門前の車道は「慶應通り」と名付けられている。
  • 2004年、日本国内では高等学校として初めて自動体外式除細動器 (AED) を校内に設置した[2]
  • 東京六大学リーグの慶早戦の初戦は、1年生は球場で応援することが学年行事として設定されている。2,3年生は自由参加である。これをきっかけに多くの生徒が愛校心を培っている。

脚注および参照[編集]

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関連書籍[編集]

  • 慶應義塾 編『慶應義塾豆百科』慶應義塾大学出版会、1996年
  • 慶應志木会『慶應志木会会報』vol.12、1994年

関連項目[編集]