慶應義塾高等学校

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慶應義塾高等学校
慶應高校(M).jpg
国公私立の別 私立学校
設置者 慶應義塾
設立年月日 1948年
創立者 福澤諭吉
共学・別学 男女別学(男子校)
中高一貫教育 併設型
慶應義塾普通部との関係)
連携型
慶應義塾中等部との関係)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 14523J
所在地 223-8524
公式サイト 慶應義塾高等学校
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慶應義塾高等学校の位置(神奈川県内)
慶應義塾高等学校

慶應義塾高等学校(けいおうぎじゅくこうとうがっこう、英語名:Keio Senior High School)は、神奈川県横浜市港北区日吉四丁目に所在し、慶應義塾が設置・運営する、小中高大一貫教育を提供する私立高等学校

慶應義塾普通部慶應義塾中等部からそれぞれ大半の男子の内部進学者と、外部の中学校から入試を経て入学する外部進学者から構成される。内部進学者数は年ごとに多少変動があるが、1学年が700名を越すマンモス校である。内部進学者と外部進学者との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する。

略称は、内外で、塾高(じゅくこう)、慶應日吉高など。高校野球などでは、原則として新字体を用いることになっているため、校名表記は慶応である。

概要[編集]

旧制・慶應義塾普通部が戦後の学制改革で、中学校慶應義塾普通部、「慶應義塾第一高等学校」「慶應義塾第二高等学校」となり、1949年(昭和24年)、「慶應義塾高等学校」となり発足。

使用されている校舎は元々旧制大学予科の校舎で、1934年(昭和9年)に竣工。発足直前まではGHQにより接収されていたという経緯をもつ。「かながわの建築物100選」に指定されており、建て替えや改築が禁止されている。

国会議員(現役)や一部上場企業社長(現役)を務める卒業生の数は、全国の高校で最多である[1]

慶應義塾普通部から大半の入学者約240名、慶應義塾中等部男子から大半の入学者約130名、外部の中学校からの入学者約370名から構成される。そのため1学年の人数が700名を越すマンモス校であり、一学年のクラス数はA組 - R組の18クラス、生徒総数は約2200人である。内部進学者と外部進学者との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する。

慶應義塾の一貫教育校であり、卒業すれば全員が慶應義塾大学に推薦入学できる。ただし学部ごとに成績のボーダーラインが決まっており、医学部に入学するには上位20名程度の高い成績が必要となる。

慶應義塾では大学とともに独立した一組織という位置付けとなっている。実際には99%以上の卒業生が慶大へ進学しており、事実上は大学を中心とした附属校ともいえる。

沿革[編集]

  • 1948年 - 旧制の慶應義塾普通部・商工学校を基に慶應義塾第一高等学校・第二高等学校が発足
  • 1949年 - 慶應義塾第一高等学校・第二高等学校が統合、慶應義塾高等学校となる。日吉校地に移転。
  • 1963年 - 日吉会堂完成
  • 1969年 - 『慶應義塾高等学校紀要』を創刊

制服・校則[編集]

制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個仕様の黒詰襟学生服。学帽も制定されているが、現在は自由化されている。

明文化された校則はほとんどない。しかし、トイレで同個室に複数人で入ると停学処罰される(喫煙防止が目的:通称「ワンボックス」)、カーディガン禁止など、ユニークな校則もある。

施設[編集]

慶應義塾大学日吉キャンパス内において他の大学施設と一体化しており、高校独自の校門が存在しない。

広大な校地に、アメリカンフットボール場、体育館、バレーボールコート場、南側グラウンド、日吉会堂、柔道場を有している。

運動場の下には地下壕が現存しており、戦時中には連合艦隊司令部、海上護衛総司令部が置かれていた。現在月1回程度、地下壕見学会が行われ、学外者にも公開されている。

学食も設置されている。高校の図書室だけで、10万冊の蔵書がある。

天体望遠鏡プラネタリウムフーコーの振り子といった設備もある。

慶應義塾高校の学生証で大学図書館(メディアセンター)に入館できる。また、大学生協学生食堂といった大学の他の施設を利用することもできる。

データ[編集]

校長は慶應義塾大学高等学校教諭の古田幹。

教育[編集]

課業[編集]

授業は1日6時限(1時限50分)で週5日制。8:20から授業開始、終了は14:50である。HRは木曜日の7限にある。

欠席は授業単位で扱われる。

教師が授業を行えないときは「休講」となり、自由時間となる。その日の最終授業が休講の場合はそのまま帰宅もできる。

教育課程[編集]

2年次より第二外国語、3年次より選択科目が導入されている。

3年次に「卒業研究」(大半の講座は論文形式)が卒業の要件として義務付けられている。

2003年から2008年まで文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールに指定されていた。

慶應義塾では水泳が大学や小・中で重視されているが、慶應高校では水泳の授業はない。プールは部活動施設として利用されている。

進級・卒業[編集]

各科目を20点満点で評価し、全科目の平均が10点満点で評価され、平均は6.7点前後となっている。6.0未満は進級会議(その生徒の進級か留年かを決める)にかけられることになる。なお、進級の最低ラインは5.5点だとされる。

同一学年での滞留は2回までで、それを超えると退学となる。そのため最大で6年間在籍しうる。一学年は740名前後にもなるため、毎年1クラス分の留年者が出る。

医学部は指定されている科目を履修すれば推薦希望を出せるが、実際に推薦される生徒の成績は10点満点で8.5以上である。慶應義塾大学への推薦入学に関して医学部だけは例外で、慶大医学部への推薦希望を出しながら、他大学の医学部・医科大学を受験することが認められている。ただし慶大医学部への内部進学が決まった場合は入学しなければならない。

慶大医学部への推薦が叶わず、翌年医学部に再チャレンジするためにあえて留年する生徒がいたため、現在は、いかなる理由であれ留年経験者は医学部への推薦希望は出せないとされている。

入試[編集]

高校受験における募集枠は一般約330名、推薦40名である。

進路[編集]

卒業生のほとんどが、慶大に推薦入学する。

行事[編集]

慶早戦[編集]

六大学野球慶早戦が行われる時、慶早戦が1勝1敗で月曜日以後に持ち越しとなった際には決着が付くまで休講となる(現在はカリキュラム変更に伴い、優勝が懸かった場合のみ休講)など、独自の文化に根ざした運営を行っている。

校歌[編集]

「慶應義塾塾歌」とは別に、高等学校独自の校歌(「慶應義塾高等学校の歌」)が存在する。しかし、その校歌が実際に歌われることは一切なく、歌詞やメロディーはおろか、その存在すら知らない者もいるとされる。また、野球の試合(県大会や甲子園)で塾高が対戦校に勝利した際は、塾歌が「慶應義塾高校校歌」として歌われる。

日吉祭[編集]

2009年日吉祭
日吉祭会場

日吉祭(文化祭)は、毎年11月に行われる。予算は億単位である。来場者数は2日間で1万人を超えることもある。

選択旅行[編集]

全校的学外活動としては、一般の修学旅行に当たる選択旅行や、1年次の親睦旅行がある。選択旅行に参加しないと卒業できない。

部活動[編集]

部活動は体育系、文化系とも数も参加者も多い。

野球部・端艇(ボート)部・ラグビー部・映画部といったクラブだけでなく、高校では珍しい自動車部や航空部、慶應義塾ならではの福澤研究会といった、特色ある部が存在する。その反面、部員ゼロという状態が続く部も少数ながら存在する。

  • 演劇部、ESS、楽友会、ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、マンドリンクラブ等の文化系部活動は、慶應女子高と協同で行っている。活動場所も、部活動によっては三田の慶應女子高校舎を利用している。
  • ゴルフ部は同じ日吉内にある慶大の練習場を借りて行っている。
  • アメリカンフットボール部が、2005年度全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会で22年ぶり3度目の優勝。
  • バスケットボール部は1970年のインターハイで準優勝。
  • 吹奏楽部が東関東大会金賞。
  • マンドリンクラブが、2004年に第34回全国高等学校ギターマンドリンフェスティバルで朝日新聞社賞を受賞。
  • ラクロス部は日本で初めてのラクロス部として1985年に発足。現在関東学生(大学生)2部リーグに所属している。
  • 弓術部(弓道部)が、平成18年度国民体育大会・少年の部優勝。
  • 2007年に、奥山由之を中心とした映画部のメンバーが中心となり、数名で制作されたコメディ作品『ワッショイ!』が、第2回高校生映画コンクール(映画甲子園)において、最優秀作品賞(グランプリ)・中央出版株式会社賞などの賞を獲得し、6冠に輝いた。
  • またその翌年、田中博巳を中心とした別の生徒有志によって制作された『第三の眼』が、同大会において最優秀作品賞、最優秀美術賞を獲得した。
  • クイズ研究会が2013年の第33回全国高等学校クイズ選手権優勝。全国高等学校野球選手権大会と全国高等学校クイズ選手権大会を制した学校は、静岡県立静岡高等学校愛媛県立西条高等学校に次いで3校目となる(私立高校では初)。

硬式野球部[編集]

1888年創部の三田ベースボール倶楽部を起源とする。1948年の高等学校開設とともに高等学校野球部となり、現在に至る。旧制時代は慶応義塾普通部と慶応義塾商工学校が別にあり、選手権大会ないし選抜大会にはいずれかの野球部が出場していたため、現在の高等学校野球部としては旧両校の出場回数を合算した上での出場回数となっている。

部訓は「エンジョイ・ベースボール」。自由かつ伸び伸びと野球を楽しむことを日頃から重視している。坊主頭でない部員も多い。

塾高がモデルになった作品[編集]

  • 石原慎太郎の小説『太陽の季節』 - 著者の弟・裕次郎の塾高における日常をモデルに書かれた作品。
  • 松本隆の小説『微熱少年』 - 東急東横線沿線にある「小高い丘の上」の大学の附属高校が舞台になっている (p.79 - 80)。その一節より、「学生服のボタンを見ただけで、初対面の女の子たちの応対が変わるのが厭だった。彼女達の評価してるのは、自分の服で、中身でないような気がした」(p.80)。

高校関係者一覧[編集]

脚注および参照[編集]

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関連項目[編集]