成瀬吉正

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成瀬 吉正
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 天正4年(1576年
死没 寛永21年(1644年
別名 吉政(別名)、内蔵助(通称)
墓所 雲龍寺
主君 徳川家康浅野幸長小早川秀秋
前田利常
加賀藩 人持組
氏族 成瀬氏
父母 父:成瀬正一、母:熊谷氏
兄弟 正成吉正正武、女(日下部宗好の室)、
正勝正則、女(都築一成の室)、
女(金丸治部左衛門の室)

成瀬 吉正(なるせ よしまさ)は、戦国時代の武将。父は成瀬正一。母は熊谷氏成瀬吉政とも。

6歳の頃から徳川家康の侍女に育てられるが、17歳の時に突如徳川家を出奔する。浅野幸長の家臣、次いで小早川秀秋の家臣となり、関ヶ原の戦いに従軍する。

関ヶ原の戦い後は加賀藩前田利常に仕え、大坂の陣で活躍する。後に加賀藩の家老となり、1万1千石を領する人持組の成瀬掃部助家の祖となる。跡は成瀬當胤(まさたね)が継ぎ、子孫は加賀藩人持組成瀬掃部助家となる。

父正一同様、他家に仕官しており、謎の多い経歴の持ち主である。