手塚太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手塚 太郎(てづか たろう、1862年2月14日文久2年1月16日) - 1932年昭和7年11月19日)は、日本司法官江戸出身。父は医師手塚良仙、息子に写真家手塚粲、孫に漫画家で医学博士の手塚治虫がいる。

概要[編集]

司法省法学校卒業後、司法省御用掛になった後、各地の地方裁判所に勤務する。大阪地方裁判所検事正時代に、1886年関西法律学校関西大学の前身)の創立に関わる。名古屋控訴院検事長時代に、1909年の中京法律学校(中京法律専門学校の前身)の創立に関わる。大津地方裁判所検事正、函館地方裁判所検事正[1]長崎控訴院長なども務めた。

晩年は兵庫県宝塚で過ごす。満70歳没(享年71)。

栄典・授章・授賞[編集]

位階
勲章等

著書[編集]

  • 『日本民法人事編釈義・日本法例釈義』
  • 『法学通論』
  • 『法律学 通信教授』
  • 『現行商法警察必携 明治二十六年五月三日手塚検事正演説筆記』
  • 『仏国財産法売買法問題』
  • 『商法詳解』
  • 『商事会社法釈義』(鶴見守義との共著)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『官報』第4345号「叙任及辞令」1897年12月23日。
  2. ^ 『官報』第908号「叙任及辞令」1886年7月12日。
  3. ^ 『官報』第2849号「叙任及辞令」1892年12月24日。
  4. ^ 『官報』第3927号「叙任及辞令」1896年7月31日。
  5. ^ 『官報』第4570号「叙任及辞令」1898年9月21日。
  6. ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
  7. ^ 『官報』第8281号「叙任及辞令」1911年2月1日。
  8. ^ 『官報』第1065号「叙任及辞令」1916年2月22日。
  9. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  10. ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日
  11. ^ 『官報』第7051号「叙任及辞令」1906年12月28日。
  12. ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日。
  13. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  14. ^ 『官報』第3404号「叙任及辞令」1923年12月26日。