拓跋素延

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拓跋 素延(たくばつ そえん、生年不詳 - 409年)は、中国北魏皇族。曲陽侯。

経歴[編集]

拓跋猗㐌の末裔として生まれた。道武帝の下で小統として諸部の征討に従った。396年皇始元年)、并州が平定されると、并州刺史となった。397年(皇始2年)、道武帝が柏肆の戦いで敗北すると、并州の守将の封竇真が反乱を起こしたので、素延が封竇真を斬った。ときに道武帝は帰順者を増やしたいと考え、参合陂の戦いの後に降伏者を殺しすぎたことを悔いて、素延を殺戮が多すぎるとして免官した。道武帝が後燕の中山を平定すると、素延は幽州刺史に任じられた。贅沢三昧にふけって、上谷郡太守に左遷された。後に曲陽侯の爵位を受けた。道武帝は質実倹約の生活を心がけていたが、素延は奢侈が度を越えていたため、道武帝は素延を嫌った。409年天賜6年)3月、過去の多数の罪を問われて、処刑された。

伝記資料[編集]