指扇村

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指扇村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
指扇村馬宮村植水村片柳村
春岡村七里村大宮市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
面積 10.12km2.
総人口 5,543
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 大宮市北足立郡平方町馬宮村
植水村大谷村入間郡古谷村
指扇村役場
所在地 埼玉県指扇村大字高木[1]
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指扇村(さしおうぎむら)は、埼玉県北足立郡1955年まで存在していたである。大宮市(現:さいたま市)に編入され消滅した。もと差扇指扇子とも書き、武蔵国足立郡に属した[1]。現在のさいたま市西区の一部にあたる。

地理[編集]

関東平野の中にあり、村域内に山はなかった。地元で○○山などと呼ばれる場所はあるが、丘程度のものか、森である。大部分は大宮台地の上で、西部が荒川沿いの入り組んだ開析谷を有する低地だったが、村自体は荒川に接していなかった。東の境には鴨川が流れた。農村地帯で、水田が多くを占めた。

歴史[編集]

  • 江戸期 - 指扇(差扇)、上宝来、下宝来、峰岸、内野本郷、西新井、中釘、清河寺、指扇領辻、指扇領別所、原、北野貝戸、阿弥陀寺、木ノ下、法眼寺(法願寺)の各村が存在した。
  • 1871年明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
  • 1874年(明治7年) - 上宝来村と下宝来村が合併し宝来村となる[2]
  • 1875年(明治8年) - 中釘村と原村が合併して中釘村に[3]、北野貝戸村・阿弥陀寺村・木ノ下村・法眼寺村(法願寺村)が合併して高木村となる[4]
  • 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、指扇村(差扇村)・宝来村・峰岸村・内野本郷村・西新井村・中釘村・清河寺村・高木村・指扇領辻村・指扇領別所村が合併して指扇村が成立した。大字高木に村役場を設置[1]。村名は小村の中で最も大きかった指扇村の名前が踏襲された。これら小村のうち、指扇村の中には赤羽根、台、増永、大西、下郷、大木戸、五味貝戸の七つの組、小さい村があった。
  • 1955年昭和30年)1月1日 - 指扇村が馬宮村植水村片柳村春岡村七里村とともに大宮市へ編入される[5]。指扇村消滅。同村の大字は存続され、大宮市へ継承された。

1889年時点での村名は現在まで町名(大字など)として受け継がれているが、原や阿弥陀寺などそれ以前に消滅したものは残っていない(木ノ下や阿弥陀寺、北野貝戸(北貝戸)は町内会名に残る)。新屋敷、五味貝戸、赤羽根、琵琶島といった小字(小地名)がある。

地名の由来は地形に由来するもので、傾斜地を意味する「サシ」と崖や湿地を意味する「オギ」から付けられたと云われている[1]。また、江戸を「指」す「扇」の形をした地形であることが村名の由来という説がある。

交通[編集]

鉄道[編集]

指扇村は大宮町(後に大宮市)と川越町(後に川越市)の中間にあり、1902年(明治35年)に両町を結ぶ川越馬車鉄道が敷かれた。路面電車になって1906年(明治39年)から川越電気鉄道、1922年に経営が変わって西武大宮線になった。指扇村には五味貝戸駅が置かれた[1]

1940年(昭和15年)に大宮・川越間の別路線として川越線が敷かれると、大宮線は廃止になった。川越線の駅として村には指扇駅が置かれた。

道路[編集]

大宮と川越を結ぶ道路が村の南部を東西に通っていた。今の埼玉県道2号さいたま春日部線であり、以前の国道16号である。川越電気鉄道(西武大宮線)はこの道路に敷かれた。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。

関連項目[編集]