三河後風土記

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三河後風土記』(みかわごふどき)は、近世に書かれた徳川氏創業期に関する歴史書。著者不詳。全45巻(42巻、50巻本もある)。後者、改正本、正説本には偽書説がある。

概要[編集]

徳川氏創業史の一つで、徳川氏が祖と称している清和源氏から徳川家康将軍就任までの700余年間を年代順に記述する。 著者・成立年代については、慶長15年(1610年)5月成立の平岩親吉著と序にあるものの、正保年間以後の成立と考証され、著者も不明である。のち改編を行った成島司直沢田源内の著作とする。 また、『三河物語』、『松平記』といった他の創業史の参照はない。

天保3年(1832年)9月には、徳川家斉の命により、成島司直の手で『三河後風土記』の改編および『三河物語』などでの校正がなされ、序文・首巻が付けられた『改正三河後風土記』全42巻(天保8年完成)が作られている。こちらは将軍に献上もされており、偽書ではなく江戸幕府の編纂物の一つともいえる。ただし成島の完全な著作ではなく、原典に他の文献を出典として明示している形式である。また、『改正三河後風土記』は、原撰本たる『参河後風土記』に比べて漢籍の引用が多く、引用書目として135冊の文献が挙げられている。

ただし、『改正三河後風土記』の翻刻を監修した桑田忠親は「成島司直は幕府の儒官という立場から、徳川氏の不利となる異説は、すべて虚妄の説として却けている」と成島司直の校正の問題点を指摘している[1]

45巻本、42巻本は清和天皇から700年余の徳川全史と言うべき内容であるが、享保年間、神田白龍子により編まれた改撰本(中山本)全50巻があり、この50巻本は、家康の九代の祖・世良田有親から「家康公関八州拝領」の天正18年(1590年) の180年余の物語となっている。徳川家歴代を賛美する傾向が強いことが特徴とされる。42巻本『改正三河後風土記』、50巻本『三河後風土記正説大全』は、ともに類書として広く流布したようであるが、速見行道の『偽書叢』など書目録の多くで偽書とされる。

書籍情報[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 桑田忠親監修・宇田川武久校注『改正三河後風土記』上・中・下三巻、秋田書店、1976年

参考文献[編集]

  • 中山和子「解説」『三河後風土記正説大全』新人物往来社、1992年
  • 宇都宮睦男「『三河後風土記正説大全』の用字法について(1)(2)」愛知教育大学研究報告. 人文・社会科学 46, 208-214, 1997-03-03、愛知教育大学研究報告. 人文・社会科学 47, 170-176, 1998-03-02
  • 宇都宮睦男「『改正三河後風土記』について--割注を中心として」解釈 49(11・12), 42-47, 2003-11
  • 宇都宮睦男「『改正三河後風土記』について : 漢籍の引用を中心に」福山大学人間文化学部紀要 5, A1-A16, 2005-03-01