斉藤満喜子

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斉藤 満喜子(さいとう まきこ、本名:日比 満喜子、1970年9月19日 - )は、1980年代から1990年代にかけて活動した日本の元アイドル

来歴・人物[編集]

広島県出身。堀越高等学校卒業。広島にいた頃には、地元のラジオ番組『サテライトNo.1』(RCCラジオ)にアシスタントとして出演していた[1]

高校在学中の1986年8月10日、ミスセブンティーン・コンテスト with おニャン子クラブで準グランプリを獲得し、同グループにメンバー入りする。会員番号は42番。1987年4月からは同じくおニャン子クラブで活動していた工藤静香生稲晃子とともに、「うしろゆびさされ組」の後継ユニットとして結成された「うしろ髪ひかれ隊」で活動した。太い眉毛が印象的で、「マッキー」の呼び名でファンから親しまれていた。ただし、1995年頃には細眉にした姿も見せている。

おニャン子クラブの解散後も、うしろ髪ひかれ隊での活動を継続。同ユニットの活動停止後には、タレントとして『なるほど!ザ・ワールド』などに出演。1988年には「やりたい放題」でソロデビューし、1990年にもセカンドシングルを発売するが、ヒットには恵まれなかった。セカンドシングルについては、発売時に斉藤がレギュラー出演していた静岡第一テレビの番組『JanJanサタデー』の縁もあり、同曲ビデオクリップの制作も静岡県内で行われた。具体的には、静岡第一テレビの子会社である静岡第一ビデオ(当時。後の静岡第一テレビエンタープライズ)が制作を担当し、静岡市内や清水市内(当時。後の静岡市駿河区清水区など)で撮影された。また、BaBeのメンバーであった近藤智子がシングルのプロデューサーとして参加していた。

佐野量子とは大親友。しかし、うしろ髪ひかれ隊が務めていたラジオのアシスタントの代役を佐野が務めた時には、「おニャン子と違って最初からソロでマイペースで羨ましくて」と嫉妬が先立ち、その回の電話出演時、工藤や生稲が「佐野量子ちゃんによろしく」と挨拶したのに斉藤はスルーした。同級生であった西村知美が主催したクリスマスパーティーに杉浦幸島田奈美渡辺美奈代と共に招かれた時に佐野からその件について問い質され、周囲の後押しもあってわだかまりを解消することができた。その後も進学や結婚も佐野を意識して決めたと言っており[どこ?]、「周囲からはそう見えないだろうけど深い仲」とのこと。

後に芸能界を引退。夫は、スジャータのブランドで知られる名古屋製酪の代表取締役社長・日比治雄[2][3]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ番組[編集]

ディスコグラフィ[編集]

ソロシングル[編集]

  • やりたい放題 c/w NO!NO!NO!(1988年7月21日、ポニーキャニオン[4]
  • 鏡の中のBaby Face c/w ラスト・グッバイ(1990年7月11日、ポニーキャニオン)

おニャン子クラブのメインボーカル曲[編集]

うしろ髪ひかれ隊時代のソロ曲[編集]

ベストアルバム[編集]

  • 斉藤満喜子 SINGLESコンプリート(DVD付)(2007年8月17日、ポニーキャニオン) - ビデオクリップ「鏡の中のBaby-Face」を収録。
  • Myこれ!Lite うしろ髪ひかれ隊(2010年4月21日、ポニーキャニオン) - 斉藤の「やりたい放題」「鏡の中のBaby-Face」も収録されている。

脚注[編集]

  1. ^ 月刊ラジオパラダイス 1987年11月号 110ページ
  2. ^ 「同級生交歓 私立東海学園」『文藝春秋』2013年8月号、p.69
  3. ^ 同級生交歓 私立東海学園 文藝春秋WEB
  4. ^ 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.92.

関連項目[編集]