斯波宗氏

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斯波宗氏
時代 鎌倉時代中期 - 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 不明
改名 又三郎、尾張守(通称)、足利家貞(初名?)[1]
足利宗氏
別名 斯波宗氏、斯波家貞
幕府 鎌倉幕府
氏族 足利氏斯波氏
父母 父:足利宗家、母:苅田時継の娘
正室:長井時秀の娘[2]
高経家兼ほか

斯波 宗氏(しば むねうじ)は、鎌倉時代中期ごろから後期にかけての武将斯波氏(足利尾張家)第3代当主。

概要[編集]

斯波宗家(足利宗家)の嫡男で、母は北条時継の女。又三郎、尾張守と称す。初めは家貞(いえさだ)を名乗っていたとされる[1]。妻は大江時秀(長井時秀)の娘[2]南北朝時代の有力武将である斯波高経斯波家兼兄弟の父。

宗氏の生涯は不明な点が多いが、同時代には歌人として名を知られていたらしく、「続後拾遺和歌集」や「新千載和歌集」等の勅撰和歌集にその歌が撰録されている。「尊卑分脉」などの諸系図では「早世」とあり、また嫡子・高経が元亨3年(1323年)12月の北条貞時十三回忌供養において、足利貞氏吉良貞義らと共にこれに参加していることから、この頃までに死去した可能性がある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 得宗専制が確立する北条貞時高時の代には北条氏得宗家の当主から一般の御家人へ偏諱(「貞」または「高」の字)を授与する図式が成立していたことが近年の研究によって指摘されており(角田朋彦 「偏諱の話」(『段かづら』三・四、2004年、p.21))、「家貞」の名は、系図上で時宗(貞時の父)から1字を受けたとみられる宗家と、高時から1字を受けたとみられる高経の間に位置する宗氏が貞時と烏帽子親子関係を結んでその偏諱(「貞」の字)を賜って名乗ったものとみられる。また、安田元久編 『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』(新人物往来社、1990年)p.268の「斯波高経」の項(執筆:伊藤一美)には高経の父が足利家貞と明記されている。但し、宗氏と家貞は別人であるとの説もある。
  2. ^ a b 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』(新人物往来社、1990年)p.268 「斯波高経」の項(執筆:伊藤一美)。

参考文献[編集]

  • 小川信『足利一門守護発展史の研究』(吉川弘文館、1980年)
  • 今谷明・藤枝文忠編『室町幕府守護職家事典〔下〕』(新人物往来社、1988年)
  • 『歴史と旅 増刊「守護大名と戦国大名」』(秋田書店、1997年)
  • 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典 コンパクト版』(新人物往来社、1990年)

関連項目[編集]