新宿区の町名

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日本 > 関東地方 > 東京都 > 新宿区 > 新宿区の町名

本項新宿区の町名(しんじゅくくのちょうめい)では、東京都新宿区に存在する、または過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の区内の町名の変遷について説明する。

新宿区の前史と行政区画の移り変わり[編集]

東京都新宿区は、昭和22年(1947年3月15日、当時の東京都四谷区牛込区淀橋区が合併して成立した。以下、明治時代初期から新宿区成立までの行政区画の変遷について略述する。

江戸が「東京」と改称されたのは慶応4年(1868年)のことである。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられ、東京府が設置された(9月8日に明治と改元)。以後、明治22年(1889年)に東京市が発足するまでの過渡期には、東京府の行政区画はめまぐるしく変遷し、番組制、大区小区制、15区6郡制等と呼ばれる制度が相次いで実施された。

明治2年2月(1869年3月)、東京府では、町地と郷村部との境界線を定める朱引(しゅびき)が行われた。これは、皇居を中心とした市街地(江戸時代町奉行所支配地に相当)を朱引内とし、その外側を郷村とするもので、朱引内を50の区画に分けて、50番組(50区)が設定された。これとともに、江戸時代から続いていた名主制度が廃止された。同年5月、周囲の郷村部にも5つの組が設定され、これを地方5番組と称した。後に新宿区となる区域は、このうち朱引内の24番組から26番組、および地方1・2番組に属した。 明治4年6月(1871年7月)には朱引が見直されて、朱引内は44区、朱引外は25区(計69区)に区分された。明治4年7月(1871年8月)には廃藩置県が実施された。これにともない、同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県小菅県が廃止され、新たな東京府が設置された。同時に朱引が廃止されて、府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りは再度見直され、朱引が復活。朱引内外に11大区・103小区が設置された。後に新宿区となる区域は、このうち朱引内の第3大区5・6・9 - 11小区、第4大区10・11小区、第8大区2 - 4小区に属した。

その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年11月2日、東京府下に15区6郡が置かれた。新宿区の前身にあたる3区のうち四谷区と牛込区はこの時設置された。明治22年(1889年)、市制町村制が施行され、同年5月1日、東京市が成立。四谷区と牛込区は東京市の区となった。大正9年(1920年)、豊多摩郡内藤新宿町が四谷区に編入された。

淀橋区は、昭和7年(1932年)、東京市が周辺の5郡82町村を編入し、いわゆる「大東京市」となった時に成立したもので、もとは豊多摩郡大久保町戸塚町落合町淀橋町であった。

昭和18年(1943年7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が置かれ、四谷区、牛込区、淀橋区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、前述のとおり、これら3区が合併して新宿区となった。

新宿区では、昭和40年(1965年)から住居表示が実施されているが、平成22年(2010年)現在、住居表示未実施の区域が多く残っている。ただし、旧四谷区の区域では、1943年(昭和18年)に大規模な町名町界整理が実施され、明治時代初期に存在した町名は大部分が失われている。

旧町名は、江戸時代以来の名称を引き継ぐものも多かったが、明治時代初期に新たに起立した町名も多かった。「○○屋敷」「○○町代地」「○○寺門前」といった、旧幕府時代の伝統を引き継ぐ小規模な町は、明治2年(1869年)前後に数か町が合併されて、新たな町名を付した例が多い。また、明治5年(1872年)には武家地、寺社地など、それまで町名のなかった土地に新たに町名を付した。こうした町名設置は、おもに戸籍整備上の必要性から実施されたものである。

旧四谷区の町名[編集]

旧四谷区の町名(1943年の町名整理前と後)

発足時の町名[編集]

明治11年(1878年)の四谷区成立時の町丁数は41であった。翌明治12年(1879年)、千駄ヶ谷大番町など千駄ヶ谷地区8か町が四谷区から分離して南豊島郡千駄ヶ谷村と合併するが、当該区域の一部は10年後の明治22年(1889年)、千駄ヶ谷村から四谷区へ再編入されている。大正9年(1920年)、南豊島郡内藤新宿町が四谷区に編入され、区の領域が大幅に拡大された。以上のように四谷区の区域はたびたび変動している。また、昭和18年(1943年)に実施された町名改正により多くの旧町名が改廃されている(以上の変更の詳細は後述)。下表は区成立当初に存在した41町丁の一覧である。

四谷の冠称について

「四谷」を冠称する町名については、明治44年(1911年)に冠称を廃止している(例:四谷区四谷尾張町→四谷区尾張町)。

町名(1878年現在) 成立年 廃止年 現町名 備考
四谷伝馬町一丁目 江戸期 1943 四谷1
四谷伝馬町二丁目 江戸期 1943 四谷2
四谷伝馬町三丁目 江戸期 1943 四谷3
四谷忍町 江戸期 1943 四谷3
四谷塩町一丁目 江戸期 1943 四谷本塩町 2017年9月19日「本塩町」を改称。
四谷塩町二丁目 江戸期 1943 四谷3
四谷塩町三丁目 江戸期 1943 四谷4
四谷箪笥町 江戸期 1943 四谷三栄町 2018年8月13日「三栄町」を改称。
四谷坂町 江戸期 現存 2015年7月21日「坂町」を改称。
四谷南伊賀町 1872 1943 若葉1
四谷北伊賀町 1871 1943 四谷三栄町 2018年8月13日「三栄町」を改称。
四谷新堀江町 江戸期 1943 四谷三栄町 2018年8月13日「三栄町」を改称。
四谷荒木町 1872 現存(「四谷」の冠称は廃止)
四谷舟町 1872 現存(「四谷」の冠称は廃止)
四谷愛住町 1872 現存(「四谷」の冠称は廃止)
四谷尾張町 1869 1943 四谷1
四谷仲町一丁目 江戸期 1943 四谷1
四谷仲町二丁目 江戸期 1943 若葉1
四谷仲町三丁目 江戸期 1943 若葉1
四谷寺町 1872 1943 若葉2
四谷南寺町 1872 1943 須賀町
四谷伝馬町新一丁目 江戸期 1943 四谷2
四谷須賀町 1872 現存(「四谷」の冠称は廃止)
四谷左門町 1872 現存
四谷東信濃町 1872 1943 信濃町南元町
四谷右京町 1872 1943 大京町
四谷大番町 1872 1943 大京町 1889年、千駄ヶ谷村の一部(字大番町・池尻)を当町に編入。字池尻は現行の大京町の南西部(31番地付近)にあたる。
四谷平長町 1869 1943 左門町
四谷永住町 1872 1943 四谷4
鮫河橋谷町一丁目 江戸期 1943 若葉3 1911年、谷町一丁目に改称。鮫河橋(さめがはし)は、近世の当地域の汎称地名。
鮫河橋谷町二丁目 江戸期 1943 若葉2 1911年、谷町二丁目に改称
元鮫河橋町 江戸期 1943 南元町、若葉1 1911年、元町に改称
元鮫河橋南町 江戸期 1943 南元町 1911年、南町に改称
千駄ヶ谷一丁目 1872 1879 霞ヶ丘町 1872年までは豊島郡千駄ヶ谷町。同年千駄ヶ谷一〜三丁目に再編。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。当該地は1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ再編入。現行町名の渋谷区千駄ヶ谷一丁目とは区域が異なる。
千駄ヶ谷二丁目 1872 1879 渋谷区千駄ヶ谷 1872年までは豊島郡千駄ヶ谷町。同年千駄ヶ谷一〜三丁目に再編。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。現行町名の渋谷区千駄ヶ谷二丁目とは区域が異なる。
千駄ヶ谷三丁目 1872 1879 渋谷区千駄ヶ谷 1872年までは豊島郡千駄ヶ谷町。同年千駄ヶ谷一〜三丁目に再編。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。現行町名の渋谷区千駄ヶ谷三丁目とは区域が異なる。
千駄ヶ谷仲町一丁目 1872頃 1879 渋谷区千駄ヶ谷 もとは豊島郡千駄ヶ谷村のうち。明治初年に町名起立。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。
千駄ヶ谷仲町二丁目 1872頃 1879 渋谷区千駄ヶ谷 もとは豊島郡千駄ヶ谷村のうち。明治初年に町名起立。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。
千駄ヶ谷大番町 江戸期 1879 大京町 1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。当該地は1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ再編入。現行の大京町の南部にあたる。
千駄ヶ谷西信濃町 1872 1879 信濃町 もとは豊島郡千駄ヶ谷村のうち。1872年に町名起立。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。当該地は1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ再編入。現行の信濃町の西部にあたる。
千駄ヶ谷甲賀町 1872 1879 霞ヶ丘町 もとは豊島郡千駄ヶ谷村のうち。1872年に町名起立。1878年四谷区に所属。1879年、四谷区から分離し千駄ヶ谷村のうちとなる。当該地は1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ再編入。現行の霞ヶ丘町の東南部にあたる。

四谷区成立以後、明治22年(1889年)の東京市制施行までの間には以下の変更があった。

  • 明治12年(1879年)千駄ヶ谷一〜三丁目、千駄ヶ谷仲町一・二丁目、千駄ヶ谷大番町、千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町の8町が四谷区から分離し、千駄ヶ谷村と合併する。なお、この時千駄ヶ谷村と合併した町域の一部は10年後の明治22年(1889年)、四谷区に再編入された。
  • 明治12年(1879年)、牛込区市谷七軒町を四谷区へ編入、四谷七軒町となる。
  • 明治13年(1880年)、麹町区麹町十一〜十三丁目を四谷区へ編入。
  • 明治13年(1880年)、牛込区市谷片町と市谷本村町(一部)を四谷区に編入。町名は変わらず。
  • 明治22年(1889年)、千駄ヶ谷村の一部(字大番町・西信濃町・甲賀町・池尻・霞岳・川向・火薬庫前)を再び四谷区へ編入。千駄ヶ谷地区の町・字の所属変更については複雑なので、以下に項を改めて述べる。

千駄ヶ谷地区の変遷[編集]

千駄ヶ谷地区は近世には豊島郡野方領千駄ヶ谷村と呼ばれたが、一部地区は近世から町地化して千駄ヶ谷町、千駄ヶ谷大番町と称し、町奉行支配下にあった。千駄ヶ谷町は明治5年(1872年)に再編されて千駄ヶ谷一〜三丁目と改称。また、千駄ヶ谷村の一部から明治初年に千駄ヶ谷仲町一・二丁目、明治5年に千駄ヶ谷甲賀町、千駄ヶ谷西信濃町が成立している。こうして、明治5年の時点では千駄ヶ谷村と千駄ヶ谷一〜三丁目、千駄ヶ谷仲町一・二丁目、千駄ヶ谷大番町、千駄ヶ谷甲賀町、千駄ヶ谷西信濃町の1村8町が存在した。明治11年(1878年)の郡区町村制施行時には千駄ヶ谷村は南豊島郡に、千駄ヶ谷一〜三丁目以下8町は四谷区に、それぞれ属した。翌明治12年(1879年)、千駄ヶ谷一〜三丁目以下8町は四谷区から分離して千駄ヶ谷村と合併し、新しい千駄ヶ谷村となった。これに伴い千駄ヶ谷一〜三丁目、千駄ヶ谷仲町一・二丁目の町名は消滅、大番町、甲賀町、西信濃町は千駄ヶ谷村の字名となった。

明治22年(1889年)の市制町村制施行時、四谷区と南豊島郡の境界を再度変更。千駄ヶ谷村の7字(大番町・西信濃町・甲賀町・池尻・霞岳・川向・火薬庫前)が再度四谷区に編入され、同村の残余は原宿村、隠田村と合併して新たな千駄ヶ谷村となった(現・渋谷区のうち)。明治22年に千駄ヶ谷村から四谷区に再編入された7字は大部分が陸軍練兵場敷地で、明治11年時点の千駄ヶ谷一丁目、千駄ヶ谷大番町、千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町に相当する。明治24年(1891年)、字霞岳・川向・甲賀町の区域をもって四谷霞岳町(かすみがおかまち)が成立、字西信濃町・火薬庫前の区域をもって四谷西信濃町が成立、字大番町・池尻は四谷大番町に編入された。これらは現行の霞ヶ丘町、信濃町(西部)、大京町(南部)にあたる。なお、明治11年時点の千駄ヶ谷二・三丁目および千駄ヶ谷仲町一・二丁目に該当する区域は千駄ヶ谷村のうちにとどまり、現行の渋谷区千駄ヶ谷一〜六丁目、代々木一丁目などになっている。[1]

以下は、四谷区成立以後、明治24年(1891年)までに隣接の区・町・村からの編入により成立した町である。これら9町の成立により、四谷区の町丁数は差引42となった。

町名(1891年現在) 成立年 廃止年 現町名 備考
四谷七軒町 江戸期 1943 四谷本塩町 もと市谷七軒町、1879年牛込区より編入、四谷七軒町に改称
本村町 1880 1943 四谷本塩町 もと牛込区市谷本村町の一部、1880年編入
麹町十一丁目 江戸期 1943 四谷1 1880年麹町区から編入
麹町十二丁目 江戸期 1943 四谷1 同上
麹町十三丁目 江戸期 1943 四谷2 同上
四谷西信濃町 1891 1943 信濃町 1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ編入された区域のうち字西信濃町の区域。1891年、四谷西信濃町の町名を設定。
市谷片町 江戸期 現存 片町、荒木町 1880牛込区より編入。1943、一部が荒木町に編入。
四谷霞岳町 1891 現存(ごく一部が存続、「四谷」の冠称は廃止) 2003、大部分が霞ヶ丘町に変更 町名読み方は「よつやかすみがおかまち」。1889年千駄ヶ谷村から四谷区へ編入された区域のうち字霞岳・川向・甲賀町の区域。1891年、四谷霞岳町の町名を設定。字川向は現行の霞ヶ丘町南西部の集合住宅付近、字甲賀町は現行の霞ヶ丘町南東部の神宮球場付近。
四谷内藤町 1891 現存(「四谷」の冠称は廃止) 内藤町 もと内藤新宿町大字内藤新宿一丁目の一部、1889年四谷区に編入、1891年に四谷内藤町の町名設定

内藤新宿町[編集]

内藤新宿は甲州街道の宿駅で、西から東へ上町、仲町、下町があった。明治2年(1869年)、上町、仲町、下町はそれぞれ内藤新宿三丁目、二丁目、一丁目と改称。同年には他に内藤新宿北町、内藤新宿番衆町、内藤新宿北裏町、内藤新宿南町、内藤新宿添地町が成立した。明治22年(1889年)の市制町村制施行時、これら8町(内藤新宿一丁目の一部と内藤新宿添地町の飛地を除く)は合併して南豊島郡内藤新宿町となり、8町は内藤新宿町の大字となった。同時に内藤新宿一丁目の一部は四谷区に編入(明治24年四谷内藤町となる)、内藤新宿添地町の飛地は四谷区永住町と南豊島郡淀橋町にそれぞれ編入された。

大正9年(1920年)、南豊島郡内藤新宿町は四谷区に編入された。内藤新宿町の8大字は新宿一・二・三丁目、旭町、番衆町、三光町、花園町の7町に編成され、内藤新宿一丁目の一部は四谷区内藤町に編入された。内藤新宿町編入時に成立した7町は以下のとおり。

町名(1920年現在) 成立年 廃止年 現町名 備考
新宿一丁目 1920 1973再編、町名は存続 新宿1・2 もと内藤新宿町大字内藤新宿一丁目・内藤新宿北裏町の各一部
新宿二丁目 1920 1973再編、町名は存続 新宿2・3・5 もと内藤新宿町大字内藤新宿二丁目・内藤新宿北町の各全域
新宿三丁目 1920 1973再編、町名は存続 新宿3・5、歌舞伎町1 もと内藤新宿町大字内藤新宿三丁目の全域、大字内藤新宿添地町の一部
旭町 1920 1947 新宿4 もと内藤新宿町大字内藤新宿南町。1947旭町を新宿四丁目に改称。
三光町 1920 1978 新宿5、歌舞伎町1 もと内藤新宿町大字内藤新宿北裏町の一部
花園町 1920 1973 新宿1 もと内藤新宿町大字内藤新宿北裏町の一部
番衆町 1920 1978 新宿5 もと内藤新宿町大字内藤新宿番衆町の全域、大字内藤新宿北裏町の一部

旧牛込区の町名[編集]

発足時の町名[編集]

牛込区には明治11年(1878年)の区成立の時点では79か町が存在した(「一丁目」「二丁目」等はそれぞれを1町と数える)。区成立以降、東京市成立(明治22年・1889年)までの主な変更は以下のとおりである。

  • 牛込早稲田北町 - 明治5年(1872年)成立、明治12年(1879年)牛込早稲田町へ編入。
  • 牛込三十人町 - 明治6年(1873年)一部を若松町へ編入。残余は明治12年(1879年)牛込原町三丁目へ編入。
  • 新小川町一〜三丁目 - 明治13年(1880年)小石川区から牛込区へ編入。
  • 市谷七軒町 - 明治12年(1879年)四谷区へ編入、四谷七軒町に改称。
  • 市谷片町 - 明治13年(1880年)四谷区へ編入、四谷片町に改称。
  • 市谷田町四丁目 - 明治14年(1881年)市谷本村町へ編入。
  • 早稲田村 - 明治22年(1889年)牛込区へ編入。明治24年(1891年)早稲田鶴巻町に改称。

以上により、明治24年(1891年)時点での牛込区内の町丁数は差引78であった。下表には河岸地名1所(神楽河岸)を含む79か町を収録した。

旧牛込区の地域では、震災復興に伴う町名改正は実施されず、住居表示に関する法律に基づく住居表示の整備も昭和50年(1975年)までが実施されていなかった。同年以降、一部地域で住居表示が実施されているが、新町名・町域の設定に際しては基本的に従前の町名が継承されている。

牛込の冠称について

「牛込」を冠称する町名については、明治44年(1911年)に冠称を廃止している(例:牛込区牛込白銀町→牛込区白銀町)。

町名(1891年現在) 成立年 廃止年 変更後町名 備考
市谷田町一丁目 江戸期 存続
市谷田町二丁目 江戸期 存続
市谷田町三丁目 江戸期 存続
市谷本村町 江戸期 存続 1880当町の一部を四谷区へ編入。1881市谷田町四丁目(現・市谷本村町1番街区)を編入。
市谷船河原町 江戸期 存続
市谷砂土原町一丁目 1872 存続
市谷砂土原町二丁目 1872 存続
市谷砂土原町三丁目 1872 存続
市谷佐内坂町 江戸期 「市谷左内町」として存続 1911市谷左内町に改称
市谷長延寺谷町 江戸期 「市谷長延寺町」として存続 1911市谷長延寺町に改称
市谷鷹匠町 1871 存続
市谷八幡町 江戸期 存続
市谷加賀町一丁目 1872 存続 1984住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
市谷加賀町二丁目 1872 存続 同上
市谷甲良町 1869 存続 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
市谷山伏町 1872 存続 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
市谷柳町 江戸期 存続
市谷薬王寺前町 江戸期 「市谷薬王寺町」として存続 1911市谷薬王寺町に改称
市谷谷町 江戸期 1952 市谷台町、住吉町 1922一部(市ヶ谷刑務所部分)が市谷台町となる。1952市谷谷町の残余が住吉町となる。
市谷富久町 1869 「富久町」として存続 1983住居表示実施に伴い「市谷」の冠称廃止、周囲の町との境界変更。旧市谷富久町の一部は1986まで存続。
市谷仲之町 1871 存続 住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
市谷河田町 1872 「河田町」として存続 住居表示実施に伴い「市谷」の冠称廃止、周囲の町との境界変更。
牛込神楽町一丁目 1869 1951 神楽坂1
牛込神楽町二丁目 1869 1951 神楽坂2
牛込神楽町三丁目 1869 1951 神楽坂3
牛込上宮比町 1872 1951 神楽坂4
牛込下宮比町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込揚場町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止) 1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込津久土前町 江戸期 「津久戸町」として存続 1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込筑土八幡町 1869 存続(「牛込」の冠称廃止) 1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込赤城元町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込赤城下町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1989住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込白銀町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止) 1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込築地町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込肴町 江戸期 1951 神楽坂5
牛込通寺町 江戸期 1951 神楽坂6
牛込天神町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込中里町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込榎町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込東榎町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込南榎町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込早稲田町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込早稲田南町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込馬場下町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込細工町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止) 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込納戸町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込二十騎町 1871 存続(「牛込」の冠称廃止) 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込南山伏町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込北山伏町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1990住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更
牛込袋町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込払方町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込南町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込仲町 1872 「中町」として存続
牛込北町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込原町一丁目 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込原町二丁目 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込原町三丁目 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止) 1982一部が若松町となる。
牛込若松町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止) 1982住居表示実施に伴い原町三丁目の一部を編入したほか、周囲の町との境界変更
牛込喜久井町 1869 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込下戸塚町 1872 1923 戸山1〜3 1923破損町と合併し戸山町となる(現・戸山1〜3)。
牛込破損町 江戸期 1923 戸山1 1923下戸塚町と合併し戸山町となる(現・戸山1)。
牛込高田町 1869 1975 西早稲田2
牛込矢来町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込弁天町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込若宮町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込岩戸町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込箪笥町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込横寺町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
新小川町一丁目 1872 存続(丁目廃止) 1880小石川区より編入。1982住居表示実施に伴い「丁目」を廃止、周囲の町との境界変更。
新小川町二丁目 1872 存続(丁目廃止) 同上
新小川町三丁目 1872 存続(丁目廃止) 同上
牛込東五軒町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1982住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更。
牛込西五軒町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止) 1989住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更。
牛込改代町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込水道町 江戸期 存続(「牛込」の冠称廃止)
牛込山吹町 1872 存続(「牛込」の冠称廃止)
大久保余丁町 1872 「余丁町」として存続 1911余丁町に改称。1986住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更。
早稲田鶴巻町 1891 存続 もと早稲田村。1889牛込区に編入、1891現町名に改称。
神楽河岸 不明 存続 1983神楽河岸と千代田区飯田橋四丁目の境界変更(等面積交換)。1988住居表示実施に伴い周囲の町との境界変更。

旧淀橋区の町名[編集]

新宿区の前身3区のうち、四谷区と牛込区は明治11年(1878年)、郡区町村編制法施行時の成立であるが、淀橋区はそれから半世紀以上後の昭和7年(1932年)、東京市域拡大時に新設された20区のうちの1つである。淀橋区が存続したのは昭和22年(1947年)までの15年間のみであった。

旧町村名[編集]

淀橋区の区域は近世には豊島郡野方領のうちで、東大久保村、西大久保村、上落合村、下落合村、葛ケ谷村(くずがやむら)、柏木村、角筈村(つのはずむら)、戸塚村、下戸塚村、源兵衛村、諏訪村、東大久保砂利取場跡新田、大久保新田などの村があった。柏木村のうち青梅街道沿いの地区は早くから町地化し、柏木成子町、柏木淀橋町と称して町奉行管轄地となっていた。これらの町村は幕末から明治時代にかけて以下のような経過をたどっている。

  • 幕末(正確な時期不明) - 大久保新田が消滅(戸塚村のうち)。
  • 幕末(正確な時期不明) - 柏木成子町、柏木淀橋町は柏木村の字(あざ)となる(現行の西新宿五・六・八丁目、北新宿二丁目付近)。
  • 明治元年(1868年) - 戸塚村、下戸塚村、源兵衛村は東京府に所属。その他の村は武蔵知県事の支配を経て明治2年(1869年)品川県に所属。
  • 明治4年(1871年) - 品川県が廃止され、あらためて東京府を設置。品川県に属していた東大久保村、西大久保村、上落合村、下落合村、葛ケ谷村、柏木村、角筈村、諏訪村、東大久保砂利取場跡新田は東京府所属となる。
  • 明治6年(1873年) - 東大久保砂利取場跡新田を東大久保村に編入。同新田はその名のとおり近世には砂利取り場だったところで、現行の新宿七丁目付近にあたる。
  • 明治7年(1874年) - 東大久保村の一部が東大久保町として分離する。ただし、明治12年(1879円)、再び東大久保村に編入され、同村の字東大久保町となる。同町は現行の新宿五・六丁目付近にあたる。
  • 明治7年(1874年) - 大久保百人町が成立。当地は西大久保村の西に位置し、近世には大久保百人組大縄屋敷、百人組大縄給地、百人組同心大縄地などと称された同心屋敷地であった。百人組とは、江戸城と将軍の警備を担当していた鉄砲百人組のことである。

明治11年(1878年)、郡区町村編制法施行に伴い、当地区は南豊島郡のうちとなる。明治22年(1889年)市制町村制施行に伴い、町村の廃置分合が実施され、新たに南豊島郡戸塚村落合村大久保村淀橋町が成立。これら1町3村の区域が後の淀橋区になった。なお、明治29年(1896年)には南豊島郡東多摩郡が合併して豊多摩郡となり、上記1町3村は同郡の所属となった。該当地区の新旧の町村名は以下のとおりである。

  • 戸塚村 - (旧)戸塚村、下戸塚村、源兵衛村、諏訪村、高田村飛地
  • 落合村 - 上落合村、下落合村、葛ケ谷村
  • 大久保村 - 東大久保村、西大久保村、大久保百人町
  • 淀橋町 - 角筈村、柏木村、内藤新宿添地町飛地

上記1町3村のうち、大久保村は大正元年(1912年)、戸塚村は大正3年(1914年)、落合村は大正13年(1924年)に町制を施行し、大久保町、戸塚町、落合町となった。昭和7年(1932年)、大久保町、戸塚町、落合町、淀橋町の区域をもって淀橋区が設置され、同区は昭和22年(1947年)の新宿区成立までの期間、存続した。

町村名・大字名 小字名 淀橋区町名(1932年成立) 現行町名 備考
大久保村大字東大久保 上ケ地、砂利場、天神前、高場 東大久保2 新宿、余丁町
前田甫、東大久保町 東大久保1 新宿
新田裏、角筈裏 東大久保3 歌舞伎町、新宿 東大久保村の一部であるが、西大久保村より西側に位置していた。字角筈裏は現在の大久保病院付近、字新田裏は現・歌舞伎町一丁目の北部。
大久保村大字西大久保 北裏 西大久保3・4 大久保、戸山
仲通 西大久保2 大久保
南裏 西大久保1 歌舞伎町、新宿、大久保(道路のみ)
大久保村大字百人町 南通 百人町1 西新宿、歌舞伎町(鉄道用地のみ)
仲通 百人町2 百人町
仲通北側 百人町3 百人町
北通 百人町4 百人町、大久保
戸塚村大字戸塚 清水川、宮田、稲荷前 戸塚町3 高田馬場、下落合、百人町、大久保(線路のみ)
久保田、上ノ台、伊勢原、川向 戸塚町4 百人町、高田馬場
馬場崎、馬尿川 戸塚町2 西早稲田、高田馬場 大字源兵衛うちにあった戸塚の飛地
戸塚村大字下戸塚 稲荷前、石田前、三島、荒井山、松原 戸塚町1 西早稲田
戸塚村大字源兵衛 バッケ下、秣川、元高田向芝原 戸塚町2 西早稲田、高田馬場
向原 戸塚町2・3 高田馬場 大字戸塚に飛地があった
戸塚村大字諏訪 宮東、中通、西原、元西大久保北裏 諏訪町 西早稲田、高田馬場、戸山
落合村大字上落合 前田、八幡耕地、下田、伊勢宮下 上落合1 上落合、中落合
大塚、東原下、三之輪 上落合2 上落合、中井
北川向 下落合3・4・5、上落合1 上落合、中井、中落合 字北川向は妙正寺川沿いに飛地状に点在していた
四村 西落合3 西落合 四村は葛ケ谷の西方にあった上落合の飛地
落合村大字下落合 東、丸山、新田 下落合1 下落合
中原、本村、南、向田、戸塚飛地 下落合2 下落合、中落合、上落合(ごく一部)
不動谷、伊勢原、前谷戸 下落合3 中落合、上落合(ごく一部)、下落合(ごく一部)
大原、小上 下落合4 中落合、中井
大上 下落合4、西落合2 西落合、中落合 大字葛ケ谷に飛地があった
葛ケ谷飛地 下落合5、西落合2 西落合、中井
落合村大字葛ケ谷 東耕地、北耕地、西耕地 西落合1 西落合
仲通 西落合1・2 西落合
前耕地 西落合2 西落合、中落合(ごく一部)
御霊下 下落合5 中井
淀橋町大字角筈 渡辺土手際、矢場、五十人町、十人町 角筈1 西新宿、新宿、歌舞伎町
新町一丁目、辻 角筈2 西新宿、新宿(線路のみ)
二丁目道裏、新町二丁目、新町三丁目 角筈3 西新宿
三丁目道裏 十二社 西新宿 地区内に池之上、十二叢、幡ヶ谷前などの通称地名があった
本村、長町、淀橋、谷中 淀橋 西新宿 地区内に砂利場、東田、豊水、鷹場、二軒屋前などの通称地名があった
淀橋町大字柏木 成子町南側、成子町北側 柏木1 西新宿
淀橋姿(よどばし)、新堀、亀窪 柏木2 北新宿
二ツ家、元春日、蜀江山 柏木3 北新宿
出土、中通、原 柏木4 北新宿
本村、大町、小滝橋 柏木5 北新宿

淀橋区成立時の町名[編集]

昭和7年(1932年)の淀橋区成立時の区内の町名は下表のとおりであった。

淀橋区町名(1932年) 直前町名 廃止年 現行町名 備考
東大久保一丁目 大久保町東大久保 1978 新宿5・6
東大久保二丁目 大久保町東大久保 1986 新宿6・7、余丁町
東大久保三丁目 大久保町東大久保 1948 歌舞伎町1・2、新宿6 西大久保一丁目の南方から西方を取り囲むように位置していた。1948年に一部が西大久保一丁目に編入され、残る一部が新設町名の歌舞伎町の一部となった。現行の歌舞伎町一・二丁目、新宿六丁目のうち。
西大久保一丁目 大久保町西大久保 1978 歌舞伎町2、新宿6、大久保1(道路のみ)
西大久保二丁目 大久保町西大久保 1978 大久保1、新宿7
西大久保三丁目 大久保町西大久保 1978 大久保2
西大久保四丁目 大久保町西大久保 1981 大久保3、大久保2(ごく一部)、戸山3
百人町一丁目 大久保町百人町 1978 西新宿7、歌舞伎町1(鉄道用地のみ)
百人町二丁目 大久保町百人町 1971 百人町1
百人町三丁目 大久保町百人町 1971 百人町2
百人町四丁目 大久保町百人町 1978 百人町3、百人町2(ごく一部)、大久保3
戸塚町一丁目 戸塚町下戸塚 一部存続 西早稲田1〜3、戸塚町1 1975年、大部分が西早稲田となるが、一部が旧町名のまま存続。
戸塚町二丁目 戸塚町源兵衛・戸塚(飛地) 1975 西早稲田2・3、高田馬場1・2
戸塚町三丁目 戸塚町戸塚・源兵衛(飛地) 1978 高田馬場1〜4、下落合1、百人町4、百人町3(ごく一部)、大久保3(線路のみ)
戸塚町四丁目 戸塚町戸塚 1975 高田馬場3・4、下落合2、百人町3・4
諏訪町 戸塚町諏訪 1981 西早稲田2、高田馬場1、戸山3 1975、大部分が西早稲田および高田馬場となる。残余の狭小地(現・戸山三丁目21番)は1981年まで存続。
上落合一丁目 落合町上落合 1966 上落合1・2、中落合1
上落合二丁目 落合町上落合 1966 上落合2・3、中井1
下落合一丁目 落合町下落合 1972 下落合1〜3
下落合二丁目 落合町下落合 1975 下落合1・2・4、中落合2、上落合1(ごく一部)、高田馬場3
下落合三丁目 落合町下落合・上落合(飛地) 1972 中落合1〜3、中井2、下落合1(ごく一部)、上落合2(ごく一部)
下落合四丁目 落合町下落合・上落合(飛地) 1965 中落合1・3・4、中井2、西落合1
下落合五丁目 落合町下落合・上落合(飛地)・葛ケ谷(飛地) 1965 中井1
西落合一丁目 落合町葛ケ谷 1965 西落合1・3・4
西落合二丁目 落合町葛ケ谷・下落合(飛地) 1965 西落合1・2、西落合3(ごく一部)、中落合4(ごく一部)
西落合三丁目 落合町上落合(飛地) 1965 西落合2
角筈一丁目 淀橋町角筈 1978 新宿3、西新宿1・7(ごく一部)、歌舞伎町1(ごく一部) 大部分は1973年までに廃止。残余の狭小地(現・歌舞伎町一丁目1番の北端部)は1978年まで存続。
角筈二丁目 淀橋町角筈 1978 西新宿1、西新宿7(道路のみ)、新宿3(線路のみ)、歌舞伎町1(ごく一部)
角筈三丁目 淀橋町角筈 1970 西新宿2・3・4・6、西新宿7(道路のみ)
十二社 淀橋町角筈 1970 西新宿2・4 町名の読みは「じゅうにそう」
淀橋 淀橋町角筈 1970 西新宿4・5・6、西新宿2(ごく一部)
柏木一丁目 淀橋町柏木 1970 西新宿6〜8
柏木二丁目 淀橋町柏木 1970 北新宿2
柏木三丁目 淀橋町柏木 1970 北新宿1、北新宿2(道路のみ)
柏木四丁目 淀橋町柏木 1970 北新宿3、北新宿4(線路のみ)
柏木五丁目 淀橋町柏木 1970 北新宿4、北新宿3(道路のみ)

歌舞伎町[編集]

歌舞伎町は新宿区成立後の昭和23年(1948年)に角筈一丁目、東大久保三丁目の各一部をもって新設された。昭和53年(1978年)、当地区の住居表示実施の際に歌舞伎町の町域は拡大され、旧歌舞伎町の全部と三光町の一部、新宿三丁目の一部(道路敷のみ)、柏木一丁目の一部(鉄道用地のみ)、角筈一・二丁目の一部(1970年・1973年の住居表示実施後の残余)、百人町一丁目の一部(鉄道用地のみ)を合わせた区域が歌舞伎町一丁目となり、西大久保一丁目の一部が歌舞伎町二丁目となった。

現行行政町名[編集]

以下は新宿区の現行町名(2012年2月現在)である。住居表示実施済み地区については、当該住居表示実施直前の旧町名を記載した。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。

新宿区では1965年以降住居表示が実施されている。区発行『新宿区の概況』平成22年版所収の「住居表示実施状況」によると、2009年に片町の住居表示が実施された段階で、新宿区の住居表示実施率は区面積の74.7パーセントとなっている。[2]

当区における住居表示は、1982年実施分以降は、従前の町名町界を継承する形で実施されている。一例として、1990年5月15日に住居表示を実施した市谷甲良町など6か町の場合は、境界の道路部分の微調整のみで、基本的に従前の町名町界が継承されている。[3]

早稲田鶴巻町、山吹町では土地区画整理事業の換地処分に伴い1982年10月31日に地番が変更されているが、住居表示は未実施である。[4]

町名の読み(「まち」「ちょう」の区別含む)については、『角川日本地名大辞典 東京都』のほか以下の資料によった。

  • 日本郵便公式サイトの郵便番号一覧[1]
  • 新宿区公式サイト「住居表示実施・未実施地域」[2]
町名 町名読み 住居表示実施年月日 住居表示実施直前町名 備考
愛住町 あいずみちょう 未実施
赤城下町 あかぎしたまち 未実施
赤城元町 あかぎもとまち 1989.11.6 赤城元町(大部分)、神楽坂6(一部)、赤城下町(道路のみ)、矢来町(道路のみ)
揚場町 あげばちょう 1988.2.15 揚場町(大部分)、下宮比町(一部)、津久戸町(道路のみ)、神楽坂1〜3(道路のみ)
荒木町 あらきちょう 未実施
市谷加賀町一〜二丁目 いちがやかがちょう 1984.11.5 市谷加賀町1・2(大部分)、市谷本村町、市谷薬王寺町、市谷柳町(以上道路のみ)
市谷甲良町 いちがやこうらちょう 1990.11.5 市谷甲良町(大部分)、市谷加賀町2(道路のみ)、市谷柳町(以上道路のみ)
市谷砂土原町一〜三丁目 いちがやさどはらちょう 未実施
市谷左内町 いちがやさないちょう 未実施
市谷台町 いちがやだいまち 2002.4.1 市谷台町(大部分)、市谷冨久町(道路のみ)
市谷鷹匠町 いちがやたかじょうまち 未実施
市谷田町一〜三丁目 いちがやたまち 未実施
市谷長延寺町 いちがやちょうえんじまち 未実施
市谷仲之町 いちがやなかのちょう 1986.2.24 市谷仲之町(大部分)、住吉町、市谷河田町、片町(以上道路のみ)
市谷八幡町 いちがやはちまんちょう 未実施
市谷船河原町 いちがやふながわらまち 未実施
市谷本村町 いちがやほんむらちょう 1984.11.5 市谷本村町(大部分)、市谷薬王寺町、市谷仲之町、坂町、本塩町、片町(以上道路のみ) 町域の一部は住居表示未実施(42番地)
市谷薬王寺町 いちがややくおうじまち 未実施
市谷柳町 いちがややなぎちょう 未実施
市谷山伏町 いちがややまぶしちょう 1990.11.5 市谷山伏町(大部分)、市谷柳町(道路のみ)、市谷甲良町(道路のみ)
岩戸町 いわとちょう 未実施
榎町 えのきちょう 未実施
大久保 一〜三丁目 おおくぼ 1978.7.1 西大久保2〜4、百人町4、戸塚町3(線路のみ)
改代町 かいたいちょう[5] 未実施
神楽河岸 かぐらがし 1988.2.15 神楽河岸(大部分)、揚場町、下宮比町、神楽坂1(以上道路のみ) 1983年8月18日付で当町と千代田区飯田橋四丁目との間の区境が変更(等面積交換)されている。[6]
神楽坂一〜六丁目 かぐらざか 未実施
霞ヶ丘町 かすみがおかまち 2003.9.29 霞岳町(大部分)、南元町(一部)
片町 かたまち 2009.2.16 片町(大部分)、市谷本村町(道路のみ)、住吉町(道路のみ) 町域北東端の市谷本村町寄りの区域は住居表示未実施
歌舞伎町一〜二丁目 かぶきちょう 1978.2.1 歌舞伎町(全)、角筈1、西大久保1、三光町、百人町1、角筈2(道路のみ)
上落合 一〜三丁目 かみおちあい 1966.11.10 上落合1・2、下落合2・3
河田町 かわだちょう 1986.2.24 市谷河田町(大部分)、原町3(一部)、住吉町(一部)、若松町、市谷仲之町、余丁町(以上道路のみ)
喜久井町 きくいちょう 未実施
北新宿 一〜四丁目 きたしんじゅく 1971.1.1 柏木2〜5(全)
北町 きたまち 未実施
北山伏町 きたやまぶしちょう 1990.11.5 北山伏町(全)
細工町 さいくまち 1990.11.5 細工町(大部分)、南山伏町、納戸町(以上道路のみ)
左門町 さもんちょう 未実施
信濃町 しなのまち 未実施
下落合 一〜四丁目 しもおちあい 1972.1.1 下落合1(全)、下落合2・3、戸塚町3・4
下宮比町 しもみやびちょう 1988.2.15 下宮比町(大部分)、新小川町2、揚場町、津久戸町、神楽河岸(以上道路のみ)
白銀町 しろがねちょう 1988.2.15 白銀町(大部分)、神楽坂5(一部)、神楽坂6、東五軒町、赤城元町(以上道路のみ) 町域の一部は住居表示未実施(12〜18番地、25・26番地)
新小川町 しんおがわまち 1982.7.5 新小川町1・3(全)、新小川町2(大部分)、津久戸町、筑土八幡町、東五軒町、下宮比町(以上道路のみ)
新宿 一〜七丁目 しんじゅく 1973.1.1(一〜四丁目)
1978.7.1(五〜七丁目)
新宿1〜4、花園町、番衆町、東大久保1(以上全)、角筈1・2、三光町、東大久保2、西大久保1・2
水道町 すいどうちょう 1989.11.6 水道町(大部分)、築地町、改代町(以上道路のみ)
須賀町 すがちょう 未実施
住吉町 すみよしちょう 1986.11.4 住吉町(大部分)、市谷河田町、余丁町、市谷冨久町、市谷台町、愛住町、舟町、片町(以上道路のみ)
大京町 だいきょうちょう 未実施
高田馬場 一〜四丁目 たかだのばば 1975.6.1 戸塚町2〜4、諏訪町、下落合2、柏木5(道路のみ)
箪笥町 たんすまち 未実施
築地町 つきじまち 未実施
津久戸町 つくどちょう[7] 1988.2.15 津久戸町(大部分)、筑土八幡町(一部)、白銀町(道路のみ)、神楽坂3・4(道路のみ)
筑土八幡町 つくどはちまんちょう 1988.2.15 筑土八幡町(大部分)、津久戸町(道路のみ)、白銀町(道路のみ)
天神町 てんじんちょう 未実施
戸塚町 一丁目 とつかまち 未実施 もとは一〜四丁目があった。1975年の住居表示実施以降、一丁目東端の一部のみが存続している。
富久町 とみひさちょう 1983.8.1 市谷冨久町(大部分)、市谷台町(一部)、余丁町(一部)、花園町、四谷4、愛住町(以上道路のみ)
戸山 一〜三丁目 とやま 1981.6.1 戸山町(大部分)、諏訪町(一部)、西大久保4(一部)、東大久保2、若松町、喜久井町(以上道路のみ)
内藤町 ないとうまち 未実施
中井 一〜二丁目 なかい 1965.8.1 下落合5(全)、下落合3・4、上落合2
中落合 一〜四丁目 なかおちあい 1965.8.1 下落合2〜4、西落合1、上落合2
中里町 なかざとちょう 未実施
中町 なかちょう 未実施
納戸町 なんどまち 未実施
西落合一〜四丁目 にしおちあい 1965.8.1 西落合1・3(全)、西落合2、下落合4
西五軒町 にしごけんちょう 1989.11.6 西五軒町(大部分)、赤城元町、築地町、水道町(以上道路のみ)
西新宿一〜八丁目 にししんじゅく 1970.4.1(一〜六丁目)
1971.1.1(七・八丁目)
柏木1、十二社、淀橋、角筈3(以上全)、角筈1・2、百人町1
西早稲田一〜三丁目 にしわせだ 1975.6.1 高田町(全)、戸塚町1・2、諏訪町、戸山町
二十騎町 にじっきまち[8] 1990.11.5 二十騎町(大部分)、市谷甲良町、市谷加賀町1・2、納戸町(以上道路のみ)
馬場下町 ばばしたちょう 未実施
払方町 はらいかたまち 未実施
原町一〜三丁目 はらまち 未実施
東榎町 ひがしえのきちょう 未実施
東五軒町 ひがしごけんちょう 1982.7.5 東五軒町(大部分)、西五軒町、赤城下町、白銀町、筑土八幡町(以上道路のみ)
百人町 一〜四丁目 ひゃくにんちょう 1971.6.1(一〜三丁目)
1975.6.1(四丁目)
百人町2・3(全)、百人町4、戸塚町3・4
袋町 ふくろまち 未実施
舟町 ふなまち 未実施
弁天町 べんてんちょう 未実施
南榎町 みなみえのきちょう 未実施
南町 みなみちょう 未実施
南元町 みなみもとまち 未実施
南山伏町 みなみやまぶしちょう 1990.11.5 南山伏町(大部分)、二十騎町、納戸町、市谷甲良町(以上道路のみ)
山吹町 やまぶきちょう 未実施
矢来町 やらいちょう 未実施
横寺町 よこてらまち[9] 未実施
余丁町 よちょうまち 1986.11.4 余丁町(大部分)、東大久保2、市谷冨久町、市谷台町(以上一部)
四谷一〜四丁目 よつや 未実施
四谷坂町 よつやさかまち 2015.7.21 坂町
四谷三栄町 よつやさんえいちょう 2018.8.13 三栄町
四谷本塩町 よつやほんしおちょう 2017.9.19 本塩町
若葉一〜三丁目 わかば 未実施
若松町 わかまつちょう 1982.7.5 若松町(大部分)、原町3(一部)、戸山町、余丁町、市谷河田町(以上道路のみ)
若宮町 わかみやちょう 未実施
早稲田鶴巻町 わせだつるまきちょう 未実施
早稲田町 わせだまち 未実施
早稲田南町 わせだみなみちょう 未実施
霞岳町 かすみがおかまち 未実施 2003年の住居表示実施時に対象外となった区域。信濃町駅前の交番の所在地、及び大京町・南元町の南に接する道路敷

出典[編集]

『角川日本地名大辞典 東京都』刊行後の住居表示実施については、以下による。

  • 1978年2月1日・7月1日実施分 - 新宿区教育委員会編・刊行『地図でみる新宿区の移り変わり 淀橋・大久保編』、1984
  • 1982年7月5日実施分 - 『新宿区広報』昭和56年12月15日号
  • 1983年8月1日実施分 - 『新宿区広報』昭和57年8月5日号
  • 1984年11月5日実施分 - 『新宿区広報』昭和58年9月5日号、59年1月15日号
  • 1986年2月24日実施分 - 『新宿区広報』昭和60年7月25日号、60年10月15日号
  • 1988年2月15日実施分 - 『新宿区広報』昭和62年8月5日号
  • 1989年11月6日実施分 - 『新宿区広報』平成元年4月15日号
  • 1990年11月5日実施分 - 『新宿区広報』平成2年5月15日号
  • 2002年4月1日実施分 - 『広報しんじゅく』平成13年10月25日号
  • 2003年9月29日実施分 - 『広報しんじゅく』平成15年2月25日号
  • 2009年2月16日実施分 - 『広報しんじゅく』平成21年1月15日号

脚注[編集]

  1. ^ 千駄ヶ谷地区の町字の変遷については、『角川日本地名大辞典 東京都』のほか、『新修渋谷区史』中巻、1966年刊、pp.1561 - 1563を参照した。
  2. ^ 『新宿区の概況』は、「新宿区公式サイト > 区政情報 > 構想・計画・自治 > 新宿区の概況」で閲覧できる。
  3. ^ 『新宿区広報』平成2年5月15日号
  4. ^ 『新宿区広報』昭和57年11月15日号
  5. ^ 『角川日本地名大辞典 東京都』には「かいたいまち」とあるが、新宿区公式サイト、日本郵便の郵便場号一覧ほか諸資料には「かいたいちょう」とある。
  6. ^ 『新宿区広報』昭和58年9月5日号
  7. ^ 『角川日本地名大辞典 東京都』には「つくどまち」とあるが、新宿区公式サイト、日本郵便の郵便場号一覧ほか諸資料には「つくどちょう」とある。
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 東京都』には「にじっきちょう」とあるが、新宿区公式サイトには「にじっきまち」、日本郵便の郵便場号一覧には「にじゅっきまち」とある。
  9. ^ 『角川日本地名大辞典 東京都』には「よこでらまち」とあるが、新宿区公式サイト、日本郵便の郵便場号一覧ほか諸資料には「よこてらまち」とある。

参考文献[編集]

  • 『角川日本地名大辞典 東京都』、角川書店
  • 新宿区教育委員会編集・刊行『新宿区地図集』、1979
  • 人文社編集・刊行『昭和三十年代東京散歩』(古地図ライブラリー別冊)、2004
  • 人文社編集・刊行『昭和東京散歩』(古地図ライブラリー別冊)、2004
  • 重藤魯『東京町名沿革史』、吉川弘文館、1967
  • 新宿区教育委員会編・刊行『地図でみる新宿区の移り変わり 牛込編』、1982
  • 新宿区教育委員会編・刊行『地図でみる新宿区の移り変わり 四谷編』、1983
  • 新宿区教育委員会編・刊行『地図でみる新宿区の移り変わり 淀橋・大久保編』、1984
  • 新宿区教育委員会編・刊行『地図でみる新宿区の移り変わり 戸塚・落合編』、1985