新日鐵アワー・音楽の森

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新日鐵アワー・音楽の森』(しんにってつアワー・おんがくのもり)は、エフエム東京製作で、エフエム大阪エフエム愛知エフエム福岡、沖縄の極東放送エフエム沖縄に向けて放送された新日本製鐵(現・日本製鉄)協賛の音楽番組。

概要[編集]

1976年から1990年 3月30日まで、平日夕方に放送。当初から東名阪福の最先発FM4局に加えて、中波ながらFM東京と放送業務提携だった極東放送の5局にてスタート。1982年以降全国各道県に次々と開局したJFN系列の新局にはネットしなかったが、唯一例外として極東放送だけFM沖縄(1984年9月開局)改組・転換後も番組は継続し、最終回まで一貫して5局のみで放送された。

毎回、国弘洋右子(国弘よう子、国弘洋子、国弘陽子などの表記もあり)のナレーション

「緑の森、様々な自然がひそかに生き付いている森。音楽にもまた、様々な生命(いのち)があります。ここは音楽の森…。新日鐵がお送りいたします」

と、冨田勲編曲・演奏のシンセサイザーによる「アラベスク第1番」(ドビュッシー作曲)ならびに「」第5曲「郭公」(レスピーギ作曲)のテーマ曲が流れる中始まった。番組では、主にクラシックなど、今日でいうヒーリング(癒し)系の音楽が中心で構成されたもので、男性パーソナリティー(後述)と国弘、および「森の仲間達」といわれる累計250人から300人程度のゲストによる軽快なおしゃべりも交えて展開された。エンディングにはクライスラー美しきロスマリン」のフルート編曲版(演奏はジェームズ・ゴールウェイ)が使われていた。

男性パーソナリティー[編集]

  • 初代(1976年 - 1978年) 山本直純(作曲家)
    1978年8月6日の交通違反スキャンダルにより降板。
  • 2代目(1978年 - 1985年) 立川清登(声楽家)
    担当中に急死。1986年1月の最初の放送で「今年もよろしくお願いします」と年賀の挨拶を収録した模様を含め、立川の追悼特番を実施。その後つなぎ的に国弘1人で進行
  • 3代目(1986年 - 1990年) 羽田健太郎(ピアニスト・作曲家)

主なゲスト[編集]

関連項目[編集]