新華族

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新華族(しんかぞく)とは、明治期に制定された華族制度により華族に列せられた者のうち、本来ならば華族たりうる家格ではない者が勲功によって華族となった者をさす。「勲功華族」とも言い本来の華族からは蔑視されていた。

概要[編集]

本来の華族は旧大名家旧公家に与えられた身分であるが、華族の規定にあった「国家に勲功あるもの」という規定が徐々に拡大解釈され、山縣有朋伊藤博文のように、下僕に近い身分から最上位の公爵にまで上り詰める者も現れた。これらを指して、本来の華族と区別して一般に新華族と呼ばれた。

制度上の正式名称ではない。「国家に勲功あるもの」すなわち成り上がりの新華族というわけでもなく、徳川慶喜島津久光のように「国家に勲功あるもの」として、本来華族になれない立場であるが本人の功労で華族になった将軍大名の一族の例がある。

平民宰相として有名な原敬爵位を欲さなかった。彼は分家によって士族から平民になった、盛岡藩の上級武士(家老職)の家柄出身であり、山縣ら新華族に対する嫌悪感も大きな理由であったとされる(公式の理由としては「華族になると衆議院議員被選挙権がなくなるのでそれが困る」ということを理由としており、この理由もある程度真実であった)。

貴族院議長・副議長を務めた新華族は初代議長の伊藤博文と2代目副議長の細川潤次郎、12代・13代目副議長の佐佐木行忠のみである。また、皇族と結婚するのも多くは大名・公家出身の華族であった(もっとも、皇族との結婚は体面を保つための出費が何かと物入りで、初代が一代で築いた財産しかないことも多く大名華族と異なり旧領民の支援も期待できない新華族には荷が重いものであった)。

関連項目[編集]