新高山城
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新高山城 (広島県) | |
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![]() 新高山城の井戸 | |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 建造されず(詰の丸が近世天守に相当する。) |
築城主 | 小早川隆景 |
築城年 | 天文21年(1552年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 小早川隆景 |
廃城年 | 慶長元年(1596年) |
遺構 | 石垣、堀切、土塁、井戸、礎石、郭、縦堀 |
指定文化財 | 国の史跡 |
位置 | 北緯34度25分12.6秒 東経132度58分32.0秒 / 北緯34.420167度 東経132.975556度 |
地図 |
新高山城(にいたかやまじょう)は、現在の広島県三原市本郷町に建てられた日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(173番)に選定された。[1]
概要[編集]

新高山城(左)・高山城(右)
小早川氏の居城は代々沼田川(ぬたがわ)の対岸にあった高山城であったが、沼田小早川家を継いだ小早川隆景は、天文21年(1552年)、沼田川を挟んだ対岸に新高山城を築き、慶長元年(1596年)に三原城へ移るまで小早川氏の本拠とした。三原城の築城の際、石垣などを持ち去ったといわれている。『毛利元就父子雄高山行向滞留日記写』 小早川家文書によれば永禄四年(1561年)3月には、毛利元就と隆元がこの新高山城を訪城、数日間滞在、連日饗応が行われた。
小早川隆景が三原城に移り、以後妻高山城、高山城ともに廃城となり後に新高山城跡と名称変更している[2]。
本丸、中の丸、西の丸、北の丸、釣井の段、鐘の段などの櫓跡が残存するほか、小早川家の菩提寺、匡真寺(きょうしんじ)の跡がある。[注釈 1]
三原市本町の宗光寺山門(国の重要文化財)は新高山城の大手門を移築したものと伝える[3]が異説もある。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 三原城築城の際に移転し、宗光寺として現在に至る。
出典[編集]
- ^ “続日本100名城 | 日本100名城 | 公益財団法人日本城郭協会” (日本語). jokaku.jp. 2018年9月29日閲覧。
- ^ “国指定文化財等データベース”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2020年7月20日閲覧。
- ^ 「宗光寺 | 三原観光navi | 広島県三原市 観光情報サイト 海・山・空 夢ひらくまち」『三原観光navi』。2018年9月29日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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