日下部太郎

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日下部 太郎(くさかべ たろう、弘化2年6月6日1845年7月10日) - 明治3年4月13日1870年5月13日))は、幕末の越前福井藩士。

生涯[編集]

八木郡衛門とおくまの長男として福井江戸町(現在の福井市宝永4丁目)で生まれる。旧名は八木八十八(やぎやそはち)。

八木家は福井藩に仕え、その役は「御先物頭(おさきものがしら)」(城の重要御門や建物の守護がその役目)で、身分は中くらいであった。少年時代は、剣術に励み、大いに遊ぶ一見すると普通の子供のようだが、読書が好きで10歳の頃には漢文を白文で読める程の学才を持っていた。13歳の時に福井藩校・明道館(当時、この藩校の入学資格は15歳以上の藩士子息だった)に進み学問に励み、20歳の時に山岡次郎とともに長崎へ遊学。そこでは横井小楠の甥である横井左平太(伊勢佐太郎)、横井太平(沼川三郎)兄弟と共にグイド・フルベッキが教える済美館で英語習得に励む。22歳の時に海外旅行免許状―いわゆるパスポート(幕府の免許状発行が4番目であることから当時日本でも留学創成期に渡米したことが伺える)を携え渡米。

遊学先の長崎からジャワを経てアメリカへ向かう。この時に藩主の松平春嶽から日下部太郎の名を拝命(日下部は八木家の先祖の姓)。

150日の航海の末にニュージャージー州ニューブランズウィックに到着。ここで1年前に密航で海を渡っていた伊勢佐太郎と沼川三郎名の横井兄弟に出迎えられる。

ラトガース大学入学前に付属中学に入学し英語と基礎教育を受ける。ここの教師をしていた2歳年上でラトガース大学生でもあったウィリアム・グリフィスと出会う。23歳の時ラトガース大学に入学し2年に編入された。藩からの乏しい仕送りだけで赤貧洗うが如き生活の中にあって、常にクラスの首席である程優秀であった。通常4年かかるところを3年で習得し、滞在期間の僅か3年で読破した本はゆうに200冊を超えていたと伝えられる(これらの本は遺品として故郷に送られた)。

(通説では日下部太郎はラトガース大学第2学年に編入し、卒業を目前とした第4学年のときに死亡したことになっている。そのため「通常4年かかるところを3年で習得」と信じられてきた。しかし近年公開されているラトガース大学の当時の大学要覧を確認すると、太郎の入学した同大学理学部は当時3年制であったことがわかる。実際、ラトガース大学要覧の1868年版に太郎の名前は理学部の1年生に、1869年版には2年生、1870年版には3年生のところに彼の名前があり、1870年卒業予定となっている。太郎が同大学の2年に編入したというのは、当時同大学の理学部が3年制であることを知らなかった研究者のつじつま合わせと思われる。)

しかし卒業が近くなった時に、気候風土の違い、貧しい生活、過度の勉学から結核を煩い入院を余儀なくされる。入院中は医師から絶対安静を言いつけられるも隠れて読書し、遂には見つかって全て没収される程であった。

結局、静養の甲斐無く、卒業2か月前に夭逝した。25歳であった。ラトガース大学の校長以下関係者は、この日本最初のラトガース大学留学生であり、内外を通じて抜きんでいた秀才の死を悼み、大学横の墓地ウィロー・グローブ・セメタリーにその亡骸を埋葬し石柱の墓碑を建立した[1]。その墓には、「大日本越前日下部太郎墓」と日本語表記されている。更にその学業と人格の優秀さを認め卒業生と同格の資格を与え、その大学の優秀な卒業生で組織されたファイ・ベータ・カッパー協会の会員に推薦し、その証の金の鍵(懐中時計のネジ巻きに使うもの)を与えた(この金の鍵は8ヵ月後に福井藩に講師として招聘されたウィリアム・グリフィスによって故郷の父に手渡された)。当地で病を得た日本人留学生は多く、日下部を当地で迎えた横井兄弟も帰国後の1971年、1975年に結核で亡くなった。

日下部の遺品と遺髪は故郷に送られ、本は明新館と名を変えた藩校に寄贈され、遺髪は父が福井市宝永4丁目の清円寺に葬ったと伝えられる。なお、寄贈された殆どの本は焼失している。

法名は、篤信院仰譽睦肥善道居士

家族[編集]

父親の八木郡衛門は日下部の留学のために大借金を負った。日下部が亡くなる前年の1869年1月に日下部の弟である次郎と三郎を相次いで亡くしたうえ、2月に御使番の職を解かれ、さらに日下部の死後ほどなくして妻のおくまを亡くした。

脚注[編集]

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  1. ^ Changing our World for the BetterWHEEL OF DHARMA, Buddhist Churches of America, AUGUST 2010

参考文献[編集]

  • 『日本の先駆者 日下部太郎』(永井環著、福井評論社、1930年)
  • 『よみがえる心のかけ橋―日下部太郎/W・Eグリフィス―』(福井市立郷土歴史博物館、1982年)