日吉川秋水

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日吉川 秋水(ひよしがわ しゅうすい)は、浪曲名跡。代々ケレン読み(滑稽読み)を得意とする。

初代[編集]

日吉川秋水1886年 - 1925年7月17日)本名は木村清。

ケレン読みの第一人者。

大阪の生まれ。眼鏡屋の職人を経て、17歳で2代目京山恭安斎門下で京山恭末に弟子入り。京山恭清と名乗り、京山家の堅い読み物を修行しながらケレンの演題を研究して、「藪井玄以」、「水戸黄門漫遊記」などケレン畑を掘り下げて、1909年に23歳で独立し日吉川秋水を名乗り日吉川家を創立する。 この日吉川家の十八番でもある「藪井玄以」は、師匠、恭末の兄弟弟子にあたる京山恭一作で現在まで伝わる名作である。これからという時に肺結核を患って死去。

墓所は、大阪市北区南森町の東本願寺天満別院。法号・随晃院釈真水位。

初代桂春團治と親交があった。「水戸黄門漫遊記」は当たり演目のひとつで十八番でもあった。他にも「加賀騒動」等を得意とした

2代目[編集]

日吉川秋水1898年2月10日 - 1962年7月5日)本名は、河知清造。浪曲親友協会会長

大阪市で生まれ。子供の頃から浪花節が大好きで、12歳の時に初代日吉川秋水に弟子入り。1911年に日吉川小秋水で大阪玉造座で初舞台。 1927年に2代目日吉川秋水を襲名。初代譲りの「藪井玄以」、「水戸黄門漫遊記」などの演題を、更に磨きをかけ2代目節に仕立て直した。 1984年に上方芸能人顕彰を受賞。

1962年7月5日滋賀県長浜市で心臓麻痺で死去。行年64歳。墓所は大阪市住吉区の松林寺 法名は願晃院釈秋水。

娘は浪曲漫才ジョウサンズで活躍した日吉川秋水嬢、日吉川喜久子。

3代目[編集]

日吉川秋水1925年8月11日 - 2009年9月21日) 本名は河知敏子。浪曲親友協会相談役。

大阪市天王寺区の生まれ、2代目秋水の姪。浪曲漫才ジョウサンズで活躍した日吉川秋水嬢、日吉川喜久子は従姉妹の間柄。

1937年3月に2代目秋水の門下で日吉川小ひさを名乗り、同年『神崎与五郎東下り』で初舞台。天才少女浪曲師として売り出され、一座の座長で各地を巡業する。1951年アメリカに渡り、梅中軒鶯童とともに、3ヶ月間にわたる巡業を行い、話題になった。1966年2月に朝日座で3代目日吉川秋水を襲名。1970年、ローオンレコードより『水戸黄門漫遊記 遊女の仇討・ひょうたん屋』をLPレコードにて発売。その後、東芝EMIより『大鳥大社 菖蒲まつり音頭』をEPレコードにて発売した。小唄の名取 春日とよ光秋もとり、舞踊も得意とする。歌謡浪曲のスタイルもレコード発売。

2001年に気管支喘息を患い舞台から遠のいていたが、2010年の芸能生活75周年に向け舞台復帰を準備していた矢先、2009年9月21日未明頃、京都市伏見区の自宅にて急性虚血性心不全のため死去。享年84。葬儀は、2009年9月27日、京都市南区の伸和社南祭典ホールに於いて浪曲葬として営まれた。喪主は、村田英雄付人、現・日吉川秋水マネージャーの髙橋ひろみ。墓所は、大阪市住吉区の松林寺、法名は梅中院釈尼秋芳。

主な受賞に大阪府知事表彰等。 得意演目は『水戸黄門漫遊記 遊女の仇討(江戸の巻)』『水戸黄門漫遊記 ひょうたん屋(奥州の巻)』『水戸黄門漫遊記 高松の巻』『藪井玄以 天王寺屋の巻』など。

関連項目[編集]