日新製鋼ドルフィンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日新製鋼ドルフィンズ
原語表記 日新製鋼ドルフィンズ
ホームタウン 大阪府
クラブカラー 白・黒
創設年 1986年
廃部年 1997年
チーム所在地 大阪府堺市
体育館所在地 大阪府大阪市
 表示 

日新製鋼ドルフィンズ(にっしんせいこうドルフィンズ)は、大阪府堺市を本拠地に活動していた、日新製鋼(現日鉄日新製鋼)の男子バレーボールチームである。

歴史[編集]

1986年6月に阪神地区営業活動のシンボルチームとして創部[1]。元新日鉄監督の柳本晶一を招聘し、チームのスタートを切った。88年末には、元日本代表の岩田稔が加入。着々とチーム強化を進め、90年には早くも実業団リーグ(現・チャレンジリーグ)昇格を果たす。翌年の実業団リーグで初参加ながら優勝。念願の日本リーグ昇格を決めた。ちなみに、創部から5年での日本リーグ(Vリーグ)昇格は現在でも最短記録である。

初参加となった第25回日本リーグ(1992年)からチーム名を「日新製鋼ドルフィンズ」として挑んだ。しかし2勝12敗の最下位となり、1年で降格となった。 実業団リーグを優勝して返り咲いた第27回日本リーグ(1994年)ではNECや新日鉄といった上位チームから勝利を収めるも、3勝11敗に終わる。セット率の差で最下位になり、再び自動降格となった。 1995年に実業団リーグを優勝し、Vリーグ昇格。「3度目の正直」とリーグ残留を誓うも、開幕直前に、予定していた外国人選手の加入が破談となる不運に見舞われる。結局1勝21敗の最下位で自動降格となった。

1996年末頃、チーム廃部の報道が流れる。チーム存続に望みを託し実業団リーグを戦うが、リーグ戦終了後の1997年3月2日に廃部届を提出。最後のリーグでは2位となり、Vリーグチームとの入れ替え戦出場権を得るも、廃部を理由に辞退している(変わりにリーグ3位のコスモ石油が出場した)。

廃部後、松田明彦をはじめ主力選手が他チームに移籍したが、このうち大半の選手が移籍先でレギュラー選手として活躍した。

日新製鋼OBでは、松田が2011年度まで豊田合成トレフェルサのアドバイザーを務め[2]、南部正司がパナソニック・パンサーズ監督[3]を経て2014年より日本男子代表監督を務めている。

成績[編集]

主な成績[編集]

プレミアリーグ日本リーグ/Vリーグ
  • 優勝なし
  • 準優勝なし
実業団リーグ
  • 優勝 3回(1990年度、1992年度、1994年度)
  • 準優勝 1回(1996年度)
黒鷲旗全日本選手権
  • 優勝なし
  • 準優勝なし

年度別成績[編集]

大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
実業団リーグ 第22回 (1990/91) 優勝 8チーム 14 13 1 0.929
日本リーグ 第25回 (1991/92) 8位 8チーム 12 2 10 0.143
実業団リーグ 第24回 (1992/93) 優勝 8チーム 14 13 1 0.929
日本リーグ 第27回 (1993/94) 8位 8チーム 14 3 11 0.214
実業団リーグ 第26回 (1994/95) 優勝 7チーム 12 12 0 1.000
Vリーグ 第2回 (1995/96) 8位 8チーム 21 1 20 0.048
実業団リーグ 第28回 (1996/97) 準優勝 8チーム 14 9 5 0.648

在籍していた主な選手・スタッフ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 月刊バレーボール1996年1月号臨時増刊 第2回Vリーグ観戦徹底ガイドブック 92ページ
  2. ^ Vリーグ機構. “チーム登録選手”. 2012年7月15日閲覧。
  3. ^ パナソニックパンサーズ. “選手・スタッフ紹介”. 2012年7月15日閲覧。

関連項目[編集]