日本とアブハジアの関係

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日本とアブハジアの関係(にほんとアブハジアのかんけい、ロシア語: Абхазско-японские отношения英語: Abkhazia–Japan relations)は、常にソビエト連邦ジョージア(グルジア)を仲介するものであり、これまで日本アブハジアの間で直接の国交が樹立されたことは一度もない。

歴史[編集]

  • 1921年3月31日、アブハジア社会主義ソビエト共和国が独立[1]
  • 1922年12月30日、アブハジアがソビエト連邦に正式加盟[2][3]
  • 1925年1月20日、日ソ基本条約が締結され日ソ両国の国交が初めて樹立[4]、ソ連邦を仲介として日本とアブハジアの関係が築かれた。
  • 1931年2月19日、グルジア[5]出身のヨシフ・スターリンの命令によりアブハジアは共和国としての地位を喪失、グルジア・ソビエト社会主義共和国内の一自治共和国アブハズ自治ソビエト社会主義共和国に格下げとなった[6]
  • 1945年8月8日、未だ8ヶ月の効力が残存していた日ソ中立条約を軽視してヤルタ会談など国連(連合国)からの対日参戦要請を重視したソ連邦が、同中立条約を破棄して日本および満州国宣戦布告すると同時に奇襲をかけ、日ソ両国は一夜にして交戦国同士となった(ソ連対日参戦)。これに伴い、日本とアブハジアの関係も途絶。
  • 1956年10月19日、日ソ共同宣言が締結され、11年ぶりに日ソ両国の国交が回復[7]。同時に、日本とアブハジアの関係も再開された。
  • 1991年4月9日、アブハジアを擁するグルジアが、ソ連邦からの離脱と独立を宣言。日本はグルジアの独立をすぐには承認せず[8]、日本とアブハジアの関係も中断。
  • 1992年4月3日、日本が旧グルジアの独立を正式に承認、日本とジョージアの外交関係が正式に樹立された[9]。これと同時に、日本とアブハジアの関係も再開。
  • 1992年7月23日、ジョージアで憲法改正が宣言され、それまで約60年にわたってジョージアの一部であったアブハジアが、ソ連邦時代にあった自治権を剥奪されると危惧して独立を宣言[10]。日本はアブハジアの独立を承認せず、日本とアブハジアの関係が断絶。
  • 2007年5月、ロシアから陸路でアブハジアに入国した日本人旅行者が、不法入国者としてジョージア当局に逮捕拘禁された。これは、ジョージア政府の認めるルート以外でのアブハジア地域への立ち入りが、ジョージアの法律で固く禁じられているためである[11]
  • 2008年8月7日、ジョージアが自国領内で実効支配の及ばない南オセチアを取り戻すために軍を進めたが、ロシアの本格的な介入を受けて潰走、10日足らずで休戦した(南オセチア紛争[12]
  • 2008年8月26日、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領が、アブハジアおよび南オセチアの独立を承認する大統領令に署名[13]。ロシアは、独立国としてのアブハジアを承認する初の国連加盟国となった[14]
  • 2008年8月27日、日本の高村正彦外務大臣が、ロシアによるアブハジアおよび南オセチアの独立承認はジョージアの領土一体性を脅かすものであるとして、遺憾の意を表明した[15][16]

経済関係[編集]

2016年8月の報道によると、アブハジアではヨーロッパや日本の中古車が人気で、主に日本やドイツラトビアから入って来ており、日本車の中ではトヨタ日産の評判が高い[17]

文化交流[編集]

2001年の6月4日から25日にかけて、モスクワ東洋美術館で「日本・アブハジア ~ブブノワ姉妹の生涯と作品~」展(ロシア語: Выставка «Япония-Абхазия. Жизнь и творчество сестер Бубновых»)が開催された。ブブノワ姉妹とは、ピアニストのマリヤ・ブブノワ、画家ワルワーラ・ブブノワヴァイオリニストのアンナ・ブブノワ(小野アンナ)のことであり、特に次女のワルワーラと三女のアンナは、大正から昭和半ば頃までの日本に滞在して芸術家、教育者として活動しており、その後、姉妹揃ってソ連邦に帰国してアブハジアのスフミに居を構えて、晩年まで同地での活動を続けた[18]

2016年5月15日、東京多磨霊園ワルワーラ・ブブノワ小野アンナの功績を称える記念碑が除幕され、ニコライ堂司祭によって成聖された[19]

外交使節[編集]

駐アブハジア日本大使[編集]

なし。トビリシに駐箚する駐ジョージア日本大使が、ジョージアを構成する一地域として管轄している。

駐日アブハジア大使[編集]

なし

脚注[編集]

  1. ^ Declaration of the Revolutionary Committee of the Soviet Socialist Republic of Georgia on Independence of the Soviet Socialist Republic of Abkhazia. May 21, 1921. Regionalism Research Center, February 4, 2008. (英語)
  2. ^ Bell, Imogen (2002), Eastern Europe, Russia and Central Asia, p. 176. Taylor & Francis, ISBN 1857431375. (英語)
  3. ^ Jones, Stephen F. (Oct., 1988), The Establishment of Soviet Power in Transcaucasia: The Case of Georgia 1921-1928. Soviet Studies, Vol. 40, No. 4, pp. 616-639. (英語)
  4. ^ 大正14年(1925)2月|日ソ基本条約が結ばれる:日本のあゆみ(国立公文書館)
  5. ^ 本項において、ソビエト・ロシアに勢力下にある時期のジョージアを「グルジア」と呼ぶ。以下同。
  6. ^ Lang, David Marshall (1962), A Modern History of Georgia, p. 256. London: Weidenfeld and Nicolson. (英語)
  7. ^ 外務省: 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言
  8. ^ 「10共和国を政府が承認 グルジアを除く」 『朝日新聞』 1991年12月29日
  9. ^ 「政府、グルジアと国交」 『朝日新聞』 1992年8月4日
  10. ^ Svante E. Cornell (2001), Small Nations and Great Powers: A Study of Ethnopolitical Conflict in the Caucasus, pp. 345–9. Routledge, ISBN 978-0-7007-1162-8. (英語)
  11. ^ 外務省海外安全情報: ジョージア
  12. ^ 米に乗せられたグルジアの惨敗 - 2008年8月19日
  13. ^ ロシア、南オセチアとアブハジアの独立を承認 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News - 2008年8月26日
  14. ^ ロシアより先に独立国としてのアブハジアを承認した国として、沿ドニエストル(1993年1月)、南オセチア(2005年9月)、ナゴルノ・カラバフ(2006年11月)が挙げられるが、いずれも国連加盟国ではなく、国際的には未承認の国家である。
  15. ^ 外務省: ロシアによる南オセチア及びアブハジアの独立承認について - 2008年8月27日
  16. ^ MOFA: Statement by Foreign Minister Koumura on Russia's Recognition of the Independence of South Ossetia and Abkhazia (英語) - 2008年8月27日
  17. ^ ヨーロッパと日本からやって来た「老馬」がアブハジアで人気 - Sputnik ("Старушки" из Европы и Японии популярны в Абхазии - Sputnik) (ロシア語) - 2016年8月11日
  18. ^ 東洋美術館における「日本・アブハジア」展 (Выставка "Япония-Абхазия" в Музее Востока) (ロシア語) - 2001年6月4日~25日
  19. ^ 東京)芸術育てたロシア人姉妹、多磨霊園に記念碑完成:朝日新聞デジタル - 2016年5月16日

関連項目[編集]