日本とソロモン諸島の関係

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日本とソロモン諸島の関係

日本

ソロモン諸島

ここでは、日本ソロモン諸島の関係(にほんとそろもんしょとうのかんけい、英語: Japan–Solomon Islands relations)について述べる。第二次世界大戦ではガダルカナル島などが日本軍と連合軍の間の戦場となったが、1978年のソロモン諸島の独立および日本との国交樹立以降は、両国の間で友好的な関係が保たれている[1]

両国の比較[編集]

ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島 日本の旗 日本 両国の差
人口 58万3591人(2015年)[1] 1億2711万人(2015年)[2] 日本はソロモン諸島の約217.8倍
国土面積 2万8900 km²[1] 37万7972 km²[3] 日本はソロモン諸島の約13.1倍
首都 ホニアラ 東京
最大都市 ホニアラ 東京
政体 議院内閣制 議院内閣制[4]
公用語 英語 日本語事実上
国教 なし なし
GDP(名目) 12億500万米ドル(2015年)[5] 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[5] 日本はソロモン諸島の約3416.0倍
防衛費 N/A 409億米ドル(2015年)[6]

歴史[編集]

世界遺産東レンネル

ソロモン諸島前史[編集]

1568年メラネシア系の住民が平和に暮らしていた諸島に、スペイン人探検家アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ(メンダナ)が来航。ガダルカナル島砂金を発見して、古代イスラエルソロモン王の財宝伝説にちなんで「ソロモン諸島」と名付けた[7]

1893年イギリスがガダルカナル島を含む南ソロモン諸島の領有を宣言[7]

1900年、イギリスがドイツ帝国領であった北ソロモン諸島を取得したことにより、南北ソロモン諸島が統一された[7]

日本軍の進駐および米軍の反攻と駐留[編集]

1942年8月21日海岸部で包囲殲滅された一木支隊

1942年5月3日、日本軍が当時のソロモン諸島の首都ツラギ島に上陸して占領したが、これが初めての本格的な日本とソロモン諸島の接触となった。同年7月6日、日本軍がガダルカナル島に上陸を開始(ガダルカナル島の戦い)。統治者であるイギリスの抵抗や援軍はほぼ皆無に等しく拱手傍観の様相を呈していたが、イギリスとは対照的にイギリスの同盟国アメリカの対応は迅速で、早くも1ヶ月後の8月7日には反攻があり、米第1海兵師団によって日本軍は滑走路を建設したばかりのルンガ飛行場を奪取される。それから半年近くにわたって、日本軍はルンガ飛行場を取り戻すために何度も兵力を送り込んだが、いずれも奏功せず返り討ちに遭う結果に終わった。8月24日に第二次ソロモン海戦で日本軍が空母龍驤を沈没させられるなどの敗北を喫してからは、制海権兵站の維持がままならなくなり、食料医薬品弾薬などの物資全般が不足し始めた。11月中旬に戦われた第三次ソロモン海戦で日本軍が戦艦比叡霧島を沈められて制海権を失ってからは、いよいよ外部からの補給がほぼ完全に途絶えて餓死者が続出するようになり、「餓島」というあだ名で呼ばれるようになった[8]

壊滅した第2師団(1942年10月25日)

1943年2月、日本軍がガダルカナル島から撤退、投入兵力の約3万人のうち戦病死者(餓死者も病死者に含む)を約2万人も出すという無惨な大敗で終わった。同年10月、ソロモン諸島のベララベラ島からも日本軍が撤退、これによりソロモン諸島全土から日本軍が駆逐されたことになる[8][9]。その後、ソロモン諸島には米軍が駐留を続けたが、日本軍は一度もソロモン諸島を奪回できずに敗戦を迎えた。

かつてのルンガ飛行場は、現在、ホニアラ国際空港となっている(2013年8月)

1950年5月25日、戦時中からずっとソロモン諸島に駐留していた米軍が撤退[7]

平和と繁栄の祈りを通じた友好親善[編集]

1976年4月、竹田恒徳1947年の皇籍離脱前までは竹田宮恒徳王)がガダルカナル島を慰霊訪問し、かつては敵であったソロモン諸島側の戦友会の手により現地で散華した日本軍の将兵の御霊を祀る塔が建立されていることを目の当たりにして、ソロモン諸島戦友会会長ウイリアム・ベネットを訪問、敵味方に分かれて戦ったという立場を超えた日本軍の将兵への慰霊に対して丁重に感謝して、お互い全太平洋の永遠の平和と繁栄を祈りたいとの決意で見解を一致させた[10]

1977年10月、近い将来に独立が予定されていたソロモン諸島で後に初代首相となるピーター・ケニローリア英語版が訪日し、1年半前に現地を訪問した竹田恒徳の案内で福田赳夫総理と会談、日本とソロモン諸島がかつての敵味方という立場を超えて戦没した犠牲者全てを合祀するというケニローリア首相候補の提案に対して、福田は全面的な賛意を表明した[10]

国交樹立以後の両国関係[編集]

1978年7月7日、英国王を名目上の君主として戴き総督が統治する英連邦王国カナダオーストラリアニュージーランドなどと同じ政体)としてソロモン諸島が独立した。これを受けて日本は直ちに独立を承認、両国の間で国交が樹立された[1]

1980年2月、在パプアニューギニア日本国大使館が在ソロモン諸島日本国大使館を兼轄[1]

1980年10月、大成建設の工事によって、ガダルカナル島アウステン山英語版の山麓にソロモン平和慰霊公苑が完成。設計者は河野鷹思および高村英也、総工費は約1億7000万円であった。同月25日、昭和天皇香淳皇后から、同公苑の落成を記念して、「南太平洋戦没者慰霊塔の除幕並びに追悼式」に供花が贈られた[10]

1980年11月、日本の臨時代理大使がソロモン諸島の首都ホニアラに常駐を開始[1]

二度の訪日経験があるジョージ・レピン英語版総督(1993年6月、当時45歳)

1989年1月、昭和天皇が崩御。翌2月に昭和天皇の葬儀である大喪の礼が執り行われ、ソロモン諸島からはジョージ・レピン英語版総督夫妻およびベロ副官が参列した[11]

1990年3月、在京ソロモン諸島名誉領事館が開設される[1]。同1990年、明仁天皇即位の礼が執り行われ、11月に行われた賓客を招く饗宴の儀にはレピン総督夫妻が参列した[12]

2016年1月、ガダルカナル島に初めて在ソロモン諸島日本国大使館が開設され、同年4月より特命全権大使がホニアラ常駐を開始[1]

外交使節[編集]

駐ソロモン諸島日本大使[編集]

  1. 木宮憲市(2016~2018年)
  2. 遠山茂(2018年~)

駐日ソロモン諸島大使[編集]

なし

出典[編集]

関連項目[編集]