日本暴力列島 京阪神殺しの軍団

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日本暴力列島 京阪神殺しの軍団
監督 山下耕作
脚本 松本功・野波静雄
出演者 小林旭
梅宮辰夫
伊吹吾郎
音楽 八木正生
撮影 山岸長樹
編集 市田勇
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1975年5月24日
上映時間 93分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』(にほんぼうりょくれっとう けいはんしんころしのぐんだん)は、1975年日本映画。主演:小林旭、監督:山下耕作東映京都撮影所製作、東映配給。併映『喜劇特出しヒモ天国』(山城新伍主演、森崎東監督)。

概要[編集]

小林旭・第1回東映主演作と書かれた文献もあるが[1]、当時の週刊誌には1972年の『ゾロ目の三兄弟』以来、3年ぶりの小林旭主演作と書かれている[2][3]。小林自身も「私も東映に入って三年目だから、ここらでこれが勝負だという作品と取り組みたい。今までのヤクザ映画と違うものを出来たらやってみようと思っています」と決意を述べた[4]。今までのヤクザ映画と違うものというのは、映画製作発表の際に、東映が「在日や被差別民の問題に真正面から取り組んでみたい」と発表したためである[4]

1973年の『仁義なき戦い』の大ヒット以降、東映は実録ヤクザ路線と銘打ち[5]各地の暴力団抗争をモデルとした映画を製作した[6]。特に同じ年に『山口組三代目』も大ヒットし、山口組の全国進攻は実録路線の元ネタとしては最適であったため[6]、これらを題材とする映画を次々製作、このうち明友会事件などをモデルとして山口組側から描いたものが本作で[7]、山口組全国制覇の"切り込み部隊""殺しの軍団"として各地で暴れまわった柳川組をメインとして描かれる[7][8][9][10]。逆に明友会側から描いたものが翌1976年に製作された『実録外伝 大阪電撃作戦』となる[11]

岡田茂東映社長が「東映の新シリーズ『暴力列島』の第一作が『京阪神殺しの軍団』、続いて8月には第二作『九州進攻作戦』(『山口組外伝 九州進攻作戦』とは別映画)、秋に第三作『関東包囲作戦』というオーダーが決まっている」[2][4]、「1975年の正月映画だった『日本任侠道 激突篇』が何年来ないような惨憺たる興行成績で、ここらで本流のアクションで大攻勢をかける」と発表した[4]

あらすじ[編集]

昭和27年大阪阿倍野。庄司組の客分だった花木勇は、数人の子分を連れて暴れまわっていたが、とある抗争事件がきっかけで、花木と同じ韓国人の金光幸司と兄弟の契りを交わし二人は庄司組組長を殺害した。天誠会々長の盃を受け直系の若衆となった花木とその軍団は、時あたかも全国制覇を目論む天誠会の尖兵として全国各地を血に染める[1][12]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

  • 監督 : 山下耕作
  • 企画 : 日下部五朗・今川行雄
  • 脚本 : 松本功・野波静雄
  • 撮影 : 山岸長樹
  • 音楽 : 八木正生
  • 美術 : 富田治郎
  • 編集 : 市田勇
  • 助監督 : 俵坂昭康

製作経緯[編集]

企画と脚本[編集]

脚本の松本功に柳川組をモデルに本を書いてくれ、と依頼があり、柳川組は在日の集団のため、当然朝鮮人を扱うことになり、実録でやくざものをやるとなるとこの問題は避けて通れず、本作は「やくざと在日」に真正面から取り組んだ意欲作である[7][13]。当時この材料を扱うのは厳しく、一部の映画評論家から東映もよく許したなどと称賛された[13][14]。劇中、在日と名言されるシーンはないものの、小林旭梅宮辰夫が満鉄小唄をたびたび口ずさんだり[1]、度々韓国料理店で宴が催されたり、途中組を抜ける伊吹吾郎が「ワイが日本人やからでっか!」と叫ぶシーンなどで分かる[8]

モデル[編集]

劇中の花木組のモデルは柳川組で、花木勇組長のモデルは柳川次郎[9][7]。天誠会のモデルが山口組で、大槻正道のモデルは地道行雄となる[7]。脚本の松本功は大阪の読売新聞の記者に柳川組関係者を紹介され取材を行ったが、柳川次郎組長を始め、幹部クラスは当時地下に潜っていて会えなかった[13]。中盤以降、柳川組が親組織である山口組と全面対決するという展開になるため、これは事実ではなく中盤以降はフィクションとなる[7][15]。プロデューサーの日下部五朗が「いい脚本を書いてくれた。いくら欲しい?」と脚本の松本功のギャラをアップしてくれたという[15]

興行[編集]

コケたとされ[3]、シリーズ化が予定も立ち消えとなり、小林の主演作も一時作られなかった[3]。小林は1970年頃から太り始め、貫禄は付いた『仁義なき戦い第3作』以降の出演で演じた武田明は病弱設定なのに栄養満点の観で、本作でも三年刑務所入りした後、丸々太って出所し、「モッソ飯が俺には合ってるんだ」と苦し紛れの台詞を吐いた[3]

逸話[編集]

  • 柳川次郎は本作を鑑賞し、「これじゃ只の人殺しじゃねえか。」と憤慨していたという[8]
  • 実録路線も数を重ね、残酷シーンも食傷気味で、小林旭と山下耕作監督がディスカッションを重ねたが、なかなかいい知恵が浮かばない。ちょうど撮影中に『ゴッドファーザー PART II』の試写会があり、小林と山下が連れ立って鑑賞。劇中に死者の口の中にピストルを突っ込んで撃つシーンを見た二人は「あの雰囲気でいこう」と衆議一決、現場に活気が戻った[2]

関連映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 「実録やくざ映画大全」、『映画秘宝』、洋泉社、2013年5月、 126-135頁。
  2. ^ a b c 「残酷シーン研究に余念のない小林旭」、『週刊平凡』1975年4月24日号、平凡出版、 106頁。
  3. ^ a b c d 二階堂卓也「ANGLE アングル'76 新・すたあ論(6) 小林旭」、『キネマ旬報』1976年9月上旬号、キネマ旬報社、 165頁。
  4. ^ a b c d 河原畑寧「邦画マンスリー 東映『日本暴力列島』シリーズがスタート 第一作は『京阪神殺しの軍団』」、『ロードショー』1975年6月号、集英社、 237-238頁。
  5. ^ 「『仁義なき戦い』製作発表」、『キネマ旬報』1973年1月新年特別号、 177頁。キネマ旬報』1973年2月決算特別号、 39頁。
  6. ^ a b 高田宏治 『東映実録路線 最後の真実』 メディアックス2014年、71頁。ISBN 978-4-86201-487-0。
  7. ^ a b c d e f 「作品紹介:高田宏治」『東映実録路線 最後の真実』、88-89頁
  8. ^ a b c 杉作J太郎、植地毅 「追跡!! その後の実録路線!」『仁義なき戦い 浪漫アルバム』 徳間書店1998年、225頁。ISBN 978-4198608460。
  9. ^ a b 東映実録路線中毒 ANARCHY & VIOLENCE/ラピュタ阿佐ケ谷
  10. ^ 抗争と流血 -東映実録路線の時代 -”. シネマヴェーラ渋谷. 2018年5月15日閲覧。(Internet Archive)
  11. ^ 「対談:中島貞夫vs高田宏治」「対談:松方弘樹vs高田宏治」他『東映実録路線 最後の真実』、80-87頁
  12. ^ 日本暴力列島 京阪神殺しの軍団/東映チャンネル
  13. ^ a b c 「脚本家・松本功インタビュー」『東映実録路線 最後の真実』、90-93頁
  14. ^ 山根貞男:活劇と笑いと人情と ー東映映画の面白さー」、『月刊シナリオ』、日本シナリオ作家協会、1976年1月号、 127-132頁。
  15. ^ a b 「松本功インタビュー」、『映画秘宝』、洋泉社、2015年5月、 77頁。