日本橋富沢町
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日本橋富沢町 | |
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北緯35度41分20.58秒 東経139度46分57.18秒 / 北緯35.6890500度 東経139.7825500度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地域 | 日本橋地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.059km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,456人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
103-0006[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋富沢町(にほんばしとみざわちょう)は、東京都中央区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号103-0006[3]。
目次
地理[編集]
旧日本橋区に当たる日本橋地域に属する。周囲は東で日本橋久松町、南東で日本橋浜町、南で日本橋人形町、西で日本橋堀留町、北西で日本橋大伝馬町、北東で東日本橋と隣接する。当町含む周辺一帯は日本橋久松町に所在する久松警察署、および日本橋兜町に所在する日本橋消防署の管轄に当たる。町内は後述#歴史により特に繊維関係のビルが林立し[5]、今日ではオフィスビル等が連なる町並みで賑わいを見せている。
地価[編集]
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、富沢町7-15の地点で1,030,000円/m2となっている[6]。
歴史[編集]
江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである鳶沢甚内(とびさわじんない)という人物がいたことから、「鳶沢町」と呼ばれるようになり、後にそれが訛って、または字を改めて「富沢町」と呼ばれるようになったとされている[5]。日本橋浪花町を吸収合併し、現在の日本橋富沢町の形になった[7]。
旧町名[編集]
- 日本橋富沢町(旧)
- 日本橋浪花町[* 1]
世帯数と人口[編集]
2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日本橋富沢町 | 848世帯 | 1,456人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 中央区立日本橋小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
交通[編集]
道路[編集]
- みどり通り
- 織物中央通り[9]
鉄道[編集]
施設[編集]
- 久松児童公園[* 2]
- 商業
- 団体
- 日本ラクロス協会 (JLA) 本部
- 社寺
- 富沢稲荷神社
出身・ゆかりのある人物[編集]
脚註[編集]
- 注釈
- 出典
- ^ 2010年(平成22年)国勢調査“東京都中央区日本橋富沢町 - 人口総数及び世帯総数 | 人口統計ラボ - 国勢調査GIS 平成22年版”. 総務省統計局. 2019年9月23日閲覧。
- ^ a b “町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
- ^ a b 【日本橋①063】富沢町 | 江戸町巡り 2019-09-23閲覧。
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 土地・建設産業局. 2015年9月閲覧。
- ^ a b “日本橋小舟町地区 町名の由来”. 中央区. 2019年9月23日閲覧。
- ^ “区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年9月23日閲覧。
- ^ 中央区道路愛称名一覧(日本橋地域) 中央区 2019年5月13日
- ^ “じゃぶじゃぶ池の案内と利用方法”. 中央区役所 (2019年9月11日). 2019年9月23日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』か142頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月28日閲覧。
参考文献[編集]
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
外部リンク[編集]
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日本橋大伝馬町 | 東日本橋 | ![]() | |
日本橋堀留町 | ![]() |
日本橋久松町 | ||
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日本橋人形町 | 日本橋浜町 |
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