日本橋 (東京都中央区)

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東海道五十三次之内 日本橋」
歌川広重筆。明六ツ[注釈 1] に日本橋を渡る大名行列
木曾街道 続ノ壱 日本橋 雪之曙」
渓斎英泉
日本橋川 明治時代
現在の日本橋。上の高架橋は首都高速都心環状線

日本橋(にほんばし)は、東京都中央区日本橋川に架かる日本橋に因む東京都中央区の町丁、および旧日本橋区にあたる同区北部の広域地名である。

日本橋(地域)[編集]

昭和初期の日本橋地域。中央に白木屋、上部に少し三越が見える

広域地名としての日本橋は、東京都中央区北部で、旧日本橋区全域を指す。地下鉄の日本橋駅三越前駅を中心としてオフィス街・商業地域が広がり、東京の金融・経済の中心の一端を担っている。江戸時代には日本橋五街道の起点として江戸における交通・物流の要所であった。また日本橋本町を含む一部地域は江戸時代には「江戸本町」と呼ばれる江戸で最初に整備された街であり、江戸の商業・町人文化の中心として栄えた。武家屋敷が立ち並ぶ山手に対して、町人文化の中心として下町を代表する地域である。当時から両替商など金融機関がこの地に集積し、金融・商業の中心地であった[1]1873年に最初の国立銀行である第一国立銀行日本橋兜町設立され、「銀行発祥の地」として知られる。現在は日本銀行本店や東京証券取引所が立地し、千代田区丸の内大手町とともに日本を代表する金融街として発展している。また、戦前においては日本橋室町に所在する三井本館に旧三井財閥の本拠地が置かれ、現在でも三井不動産本社や日本橋三越本店など三井グループの重要施設が多数集積していることから、「三井村」とも称される。他にもコレド室町コレド日本橋といった複合商業施設やオフィスビルなど、日本橋には三井不動産所有のビルが数多く立地している。老舗百貨店を含む商業施設も多く、他にも問屋街や多数の企業の本社が連なるビジネス街である。日本橋本町は江戸時代から薬問屋が数多く軒を連ね、現在でも「薬の街」として大手製薬会社の本社が多数所在する。江戸時代からの歴史と伝統をもち、近代以降も重要な地であった日本橋には、日本橋銀行本店(本館)や三井本館、三越日本橋本店(本館)、高島屋日本橋店(本館)など重要文化財に指定されている建築物が多く集まる。

後述の「日本橋 (町名)」以外で、最寄り鉄道駅名や通称で「日本橋」を冠していなくても、行政上の町名が「日本橋~」である地域も多く、八重洲一丁目も含む[2]

歴史[編集]

近代以前[編集]

現在の日本橋を中心とした地域は、古くは武蔵国豊嶋郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域だったという。江戸は鎌倉時代江戸氏の支配から太田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康が幕府を開く。その過程で、早くに町地として開発されたのがこの日本橋周辺の地域であった。さらに上でも触れたように日本橋が架けられ交通の要所として定められてからは、三越の前身である越後屋をはじめとする大店が集まり、また付近には金座銀座が置かれるなど、江戸を代表する場所として殷賑を極めた。

近代以降[編集]

1868年、江戸府内は東京府となり、日本橋の辺りは維新の混乱により一時寂れた。しかしガス灯鉄道馬車が敷設されるなど程なく息を吹き返し、江戸の昔に変わらぬ繁栄を見せるようになった。1878年施行された郡区町村編制法により、日本橋を中心とした周辺の地域は日本橋区となり、1889年には東京市に属した。1896年には本両替町にあった金座の跡に日本銀行が建てられた。また大店の越後屋や白木屋百貨店として生まれ変わり、1908年には越後屋こと三越が洋館の店舗を落成させるなど次第に洋風建築も増え、近代的な町並みへと変わっていった。

1923年関東大震災により日本橋区は甚大な被害を受ける。震災後定められた土地区画整理事業によって河川や道路の改修、拡幅が行われ、昭和通り浜町公園ができた。古くから日本橋のたもとにあった魚河岸築地へと移転した[3]第二次大戦において、日本橋区は1945年空襲により、再び区内の大半を消失する被害を蒙る。終戦後、東京都の主導により日本橋区は南に接する京橋区(現在の中央区のおよそ南半分)と合併することになった。日本橋区会(現在の区議会に相当)では他区との合併に難色を示す議員が多く、統合後も日本橋の名前だけは残したいとの意向から、京橋区との合併決議に町名に日本橋を冠することとする項目が盛り込まれ、中央区発足時に旧・日本橋区内の全ての町名に日本橋が冠称された[4]。現在中央区のおよそ北半分の地区に見られる数多くの「日本橋○○町」という町名は、中央区発足時の町名変更の名残りである。なお、京橋区側の町名はそのままとなった。

その後、戦災復興期の区画整理により日本橋呉服橋は八重洲一丁目に、1970年以降の住居表示実施に伴う町名の統合により、日本橋芳町や日本橋北堀町などが隣接する既存の町名に変更され、日本橋を冠する町名の一部は消滅した。また、日本橋や東日本橋(旧:日本橋両国など)といった新しい町名が住居表示実施に伴い誕生した。1973年、住居表示の実施により、「日本橋通」(一丁目 - 三丁目)と「日本橋江戸橋」(一丁目 - 三丁目)の2町を合併し、現在の日本橋となった。

日本橋の魚市場(魚河岸)」 神田の青物市場と並ぶ東京の代表的な市場。日本橋の東、江戸橋までの日本橋川北岸にあった。明治30年代 (1897 - 1906)、市場周辺の問屋数は約500戸。衛生、交通などの面から移転問題が繰り返し起きた。関東大震災で全焼し築地に移転した。魚、蝦などの絵あり。「日時3月2日午後6時開會 會塲 明治座(傍聽無料)魚河岸非移轉演説會 入塲券辯士(イロハ順)磯部四郎君 脇坂甚兵衛君 田口卯吉君 高本益太郎君 角田眞平君 丸山名政君 島田三郎君」と書かれた演説会の入場券が書き写されている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日本橋の魚市場(魚河岸)」より抜粋[5]
「日本橋」を冠する現町名
「日本橋」を冠さない現町名

観光・街づくり[編集]

江戸三大祭り
日本橋の地域内に氏子を持つ、社格が高い3つの神社の例大祭で、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」と表した。日本橋北詰大半を範囲とする神田神社神田祭、日本橋南詰全域を範囲とする日枝神社山王祭、日本橋北詰東部を範囲とする富岡八幡宮深川祭と共に規模の大きい祭りで、にぎわいを見せている。
三井村
現在、日本橋には三越や三井不動産を始めとする三井グループの本社が建ち並び、「三井村」として丸の内の「三菱村」と並び称される[6][7]。2005年には重要文化財である三井本館は戦前の旧・三井財閥の本拠地であった。また、その隣に大型複合再開発ビル、日本初のマンダリン・オリエンタル東京も入居する日本橋三井タワー(三井新館)が開業した。他にも三越前駅日本橋駅周辺のエリアには三井不動産が所有・運営する複合商業ビルが数多く立ち並ぶ。三井不動産は目抜き通り沿いの大型物件開発を手掛けると同時に、日本橋地区の路地で営業する商店主らと協力しての街づくりにも取り組んでいる[8]
時の鐘跡
江戸時代、市中に時を告げるため鐘を撞いた所の旧跡で、本石町三丁目(現:日本橋室町四丁目)にあった。当時は江戸の9か所に時の鐘が設けられ、本石町にあったこの時の鐘は一番初めに置かれたものといわれる。時の鐘は明治6年(1873年)まで用いられた。日本橋小伝馬町の十思公園には、安永8年(1779年)に造られた本石町の鐘が移されて残り、「石町時の鐘」として都の文化財に指定されている。
箱根駅伝
1999年以降、箱根駅伝の第10区はコースを日本橋経由へ変更している。これは日本橋周辺の商工会からの要請であると同時に、東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しいと判断されたからである。
日本橋美人
日本橋を活性化する目的で2005年10月1日より発足した、「日本橋美人プロジェクト」にて外見の美しさだけを求めず内面の美しさも求めた女性を定義する語として誕生。提唱者は日本橋OLクラブ部会長の山田晃子。

創作物[編集]

日本橋もしくは同町を題材とした創作作品

絵画
小説
民謡

ギャラリー[編集]

日本橋 (町名)[編集]

日本橋
日本橋の位置(東京23区内)
日本橋
日本橋
日本橋の位置
北緯35度40分55.75秒 東経139度46分25.79秒 / 北緯35.6821528度 東経139.7738306度 / 35.6821528; 139.7738306
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chuo, Tokyo.svg 中央区
地域 日本橋地域
人口
2019年(令和元年)9月1日現在)[10]
 • 合計 341人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
103-0027[11]
市外局番 03[12]
ナンバープレート 品川

日本橋は、東京都中央区日本橋地域の町名で、北は日本橋川、南は都道408号に接する。現行行政地名は日本橋一丁目から日本橋三丁目。郵便番号は103-0027[11]

歴史[編集]

旧町名

地理[編集]

中央区日本橋地域の南部に位置し、日本橋南詰の町として古今賑わいを見せている。

河川

世帯数と人口[編集]

2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[10]

丁目 世帯数 人口
日本橋一丁目 56世帯 83人
日本橋二丁目 49世帯 68人
日本橋三丁目 121世帯 190人
226世帯 341人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]

丁目 番地 小学校 中学校
日本橋一丁目 全域 中央区立城東小学校 中央区立日本橋中学校
日本橋二丁目 全域
日本橋三丁目 全域

施設[編集]

企業

観光[編集]

名所史跡
美術館博物館

このほか、地方自治体アンテナショップ集積地としては銀座有楽町地区と並び、各地の名産品を購入する人も多い[15]

交通[編集]

鉄道
バス停留所
道路
首都高速道路・出入口

名称のローマ字表記[編集]

架橋の英字案内および中央区の正式なローマ字表記は、修正ヘボン式に基づいた『Nihonbashi』 が使用されている(これと同様な修正ヘボン式の使用例は千代田区三番町四番町が挙げられる)。日本橋地域の地名の中には、1つの地名の中に修正ヘボン式と旧ヘボン式のスタイルが混ざっている表記の町名が存在する(例:Nihonbashi-odemmacho)。

ただし、地下鉄の駅名やJRの案内表示など、一部では旧ヘボン式ローマ字での表記 Nihombashi が使用されている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ あけ-むつ。夜明け頃のことで不定時法に基づく名称。
  2. ^ 関東大震災の復興計画/震災復興再開発事業により、日本橋区内の全域で土地区画整理事業が実施された。これに伴い1928年(昭和3年)12月以降、大規模な町名地番整理も行われた。
  3. ^ 千代田区神田東紺屋町より拠点移動(移動前は東京支社だった。)

出典[編集]

  1. ^ 日本銀行本店の建物について教えてください。 : 日本銀行 Bank of Japan”. www.boj.or.jp. 2020年8月14日閲覧。
  2. ^ 日本橋地域 中央区役所ホームページ(2018年12月3日閲覧)。
  3. ^ 斗鬼正一「橋から見た都市」『情報と社会』(18)、江戸川大学、2008年、11頁。
  4. ^ 昭和22年東京都告示第149号。これと同様の町名変更には神田地区などがある。
  5. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日本橋の魚市場(魚河岸)」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
  6. ^ 東京の三井村
  7. ^ “三井村”に野村不動産が殴りこみ!日本橋再開発で火花
  8. ^ 「日本橋の路地に活気呼べ 三井不動産・地元店主ら町づくり/老舗の店構え 雰囲気生かす」朝日新聞』朝刊2018年8月31日(東京面)2019年2月10日閲覧。
  9. ^ 歌川広重・渓斎英泉の木曽海道六拾九次 - 江戸時代の旅について Archived 2011年10月19日, at the Wayback Machine.
  10. ^ a b 町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
  11. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  12. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
  13. ^ 区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年9月23日閲覧。
  14. ^ 高島屋/約500億円で東京武田ビル、武田新江戸橋ビル購入 流通ニュース 2017年12月01日
  15. ^ 「江戸文化の情報発信拠点、日本橋で 日本の伝統・感性を学ぶ」『日本経済新聞』朝刊2018年8月31日(25面)。

参考文献[編集]

  • 佐藤健太郎『国道者』新潮社、2015年11月25日。ISBN 978-4-10-339731-1。
  • 武部健一『道路の日本史』中央公論新社〈中公新書〉、2015年5月25日。ISBN 978-4-12-102321-6。
  • ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。

関連項目[編集]

座標: 北緯35度41分01秒 東経139度46分28秒 / 北緯35.683734度 東経139.774362度 / 35.683734; 139.774362