日本製鉄東日本製鉄所直江津地区
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日本製鉄東日本製鉄所直江津地区 | |
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操業開始 | 1934年 |
場所 |
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座標 | 北緯37度10分59.3秒 東経138度15分32秒 / 北緯37.183139度 東経138.25889度座標: 北緯37度10分59.3秒 東経138度15分32秒 / 北緯37.183139度 東経138.25889度 |
業種 | 鉄鋼業・非鉄金属 |
生産品 | ステンレス鋼・クラッド鋼・ニッケル・チタン |
従業員数 | 201 人(2019年3月31日時点)[1]。 |
敷地面積 | 約260,000m2 |
住所 | 新潟県上越市港町2丁目12番1号 |
所有者 | 日本製鉄 |
日本製鉄東日本製鉄所直江津地区(にっぽんせいてつひがしにっぽんせいてつしょなおえつちく)は、新潟県上越市にある日本製鉄の製造所である。
2020年 (令和2年) 4月、日本製鉄の製鉄所再編成により直江津製造所が鹿島製鉄所、君津製鉄所及び釜石製鉄所と統合され東日本製鉄所直江津地区となったものである[1]。
概要[編集]
1934年、日本ステンレス株式会社として住友財閥系の資本(中央電気工業)を主として最初期のステンレス鋼国産化拠点として設立されて以来、1960年代より後続の新鋭製造拠点に汎用量産品種を譲りながらも、高付加価値化、新規事業開拓に注力・挑戦し、日本のステンレス鋼産業、チタン産業における独自の地位を保ち続けている(旧官営八幡製鐵所、旧日本金属工業衣浦製造所と並ぶ日本最初期のステンレス製造拠点)。
直江津の地は、日本海側の豊富な積雪を背景とした水力発電が戦前より栄えており豊富な電力供給を背景として、電気炉による鋳造を中心として創業が開始された(近隣には信越化学工業、三菱ケミカル等、電気化学工業由来の製造拠点が多数所在)。
製品圧延の製造も開始し、最盛期は薄板、厚板、鍛鋼品、棒鋼、形鋼、鋳物に至る広範囲のステンレス製品を製造し、日本ステンレスの創業の地、マザー製造拠点の位置付けであった。
1960年代急速なステンレス鋼の需要拡大と技術革新が進む中、各社は競って設備拡大、日本は世界最大級のステンレス鋼生産国となった。こうした流れは日本ステンレスも同様であり、新鋭製造拠点(現・日鉄ステンレス鹿島製造所)の設置に至った。
その後二度のオイルショックを経て高度成長期が終わり日本全体で需要拡大が落ち着き過剰設備が顕在化する中、直江津から新鋭拠点への汎用量産品種の集約移管を加速。日本ステンレスは、直江津の高付加価値化を鮮明に打ち出し、1960年代からのチタン製品に加え1980年代からは、ステンレス精密圧延品・クラッド鋼・精密加工(フォトエッチング)にも挑戦。現在の主力製品に結実する試行錯誤を重ねてきた。
現在は、日本製鉄の製造拠点として、チタン・ニッケル・クラッド鋼・ステンレス鋼(精密圧延品・形鋼)を中心とした特殊鋼・非鉄金属を製造しており、自動車(エンジン・燃料電池関連)、土木建築、プラント、航空機から、電子部品・精密機器まで、重厚長大から精密分野にいたる幅広い産業分野へ高付加価値製品を供給している。
2018年、チタン事業部光製造部より意匠性チタン製造(TranTixxiiブランド)の一部工程の移管を受けさらなる高付加価値品特化を推進。さらに当拠点固有技術を生かしたステンレス精密圧延品の製品群がFYGRASブランド化された。
2019年4月より、ステンレス鋼精密圧延品の日鉄ステンレスへの営業譲渡により、同製品の日鉄ステンレスへのOEM供給拠点という位置づけとなった(FYGRASブランドも日鉄ステンレスへ移管)。
設備・製造フロー[編集]
- 設備
- 製造フロー
- ステンレス精密圧延品:ステンレス鋳造(日鉄ステンレス光製造所)→熱間圧延(日本製鉄八幡製鉄所)→冷間圧延(直江津)
- ステンレス形鋼:ステンレス鋳造(日鉄ステンレス光製造所)→熱間圧延(直江津)
- クラッド鋼:ステンレス鋳造(日鉄ステンレス光製造所)→熱間圧延(日本製鉄八幡製鉄所)→クラッド接合(直江津) +アルミ・難鋼を外部調達
- ニッケル板:ニッケル鋳造(日本製鉄和歌山製鉄所)→熱間圧延(日本製鉄八幡製鉄所)→冷間圧延(直江津)
- チタン板:チタン鋳造(直江津)→熱間圧延(日本製鉄八幡製鉄所)→冷間圧延(日鉄ステンレス光製造所)→冷間圧延(直江津)
沿革[編集]
- 1934年(昭和9年) - 日本ステンレス株式会社として発足
- 1935年(昭和10年) - クロム系ステンレス鋼塊・鋳物・鋼板製造開始
- 1946年(昭和21年) - オーステナイト系ステンレス鋼の製造開始
- 1950年(昭和25年) - ステンレス棒鋼の製造開始
- 1960年(昭和35年) - ステンレス冷延コイルの製造開始。
- 1963年(昭和38年) - ゼンジミア冷間圧延機が稼働開始。
- 1968年(昭和43年) - 鹿島日本ステンレス(現・日鉄ステンレス鹿島製造所)が発足。以降は日本ステンレスにおける汎用量産品は鹿島に重心を移し、直江津は高付加価値品にシフトする事となる。
- 1968年(昭和43年) - チタン製品の製造開始
- 1972年(昭和47年) - ステンレス形鋼(アングル製造開始)
- 1983年(昭和44年) - 第2次オイルショックによる需要減を受け汎用量産品の鹿島移管を加速。直江津は特殊品を一層強化。
- 1985年(昭和61年) - ステンレス精密圧延品の製造開始
- 1986年(昭和61年) - 電子産業向けフォトエッチング加工事業に参入
- 1988年(昭和63年) - クラッド鋼板の製造開始。鉄ステンレスクラッド鋼を採用したパナソニック製IHジャー炊飯器が爆発的にヒット。同製造ラインも安定量産体制を確立。
- 1989年(平成元年) - ステンレス精密圧延品の製造強化(薄箔化・量産化)
- 1990年(平成2年) - 鹿島製造所冷間圧延の設備更新(汎用量産品は一部を残し鹿島集約)
- 1992年(平成4年) - 住友金属工業と合併し、同社直江津製造所となる。
- 1996年(平成8年) - ステンレス鋳物事業から撤退。
- 1996年(平成8年) - 耐熱ステンレス鋼板(省資源型AHシリーズ)製造開始
- 1997年(平成9年) - フォトエッチング加工事業から撤退
- 1999年(平成11年) - 高疲労強度ステンレス鋼板製造開始。撤退したフォトエッチング加工事業で研究を進めていたステンレス微細粒化技術が開花しエンジンガスケットの疲労強度向上に奏功。本田技研工業と連携して開発を推進。エンジン高燃焼圧化と燃費向上に貢献。(2010年文部科学大臣表彰)
- 2000年(平成12年)4月1日 - 産業再生法を適用し、株式会社住友金属直江津として住友金属工業から独立。
- 2001年(平成15年) - フォトエッチング加工事業での加工経験を生かした精密加工用ステンレス鋼板を製造開始。
- 2003年(平成15年) - 新日鐵住金ステンレスの発足に伴い、汎用量産品のステンレス鋼を新日鐵住金ステンレスへ集約移管。高付加価値品への注力が鮮明となる。
- 2008年(平成20年) - 高疲労強度ステンレス鋼板の進化製品を製造開始。
- 2012年(平成24年) - 住友金属工業と合併し、直江津製造所となる。
- 2012年(平成24年) - 新日本製鐵と住友金属工業が合併し、新日鐵住金直江津製造所となる。
- 2013年(平成25年) - 精密加工用ステンレス鋼板で組織粒世界最小を更新するメニューを製造開始。
- 2014年(平成26年) - 新日鐵住金ステンレス八幡製造所に直江津に残っていた高付加価値厚板を移管。厚板製造から撤退。
- 2017年(平成29年) - 日新製鋼が新日鐵住金の子会社化
- 2019年(平成31年) - 新日鐵住金グループステンレス事業を集約した日鉄ステンレス発足。新日鉄住金は日本製鉄へ商号変更。
- 2020年(令和2年) - 日本製鉄の組織統合により、日本製鉄東日本製鉄所直江津地区となった[1]。
主要製品[編集]
- ステンレス鋼
- クラッド鋼 (販売元:日本製鉄)
- 鉄ステンレスクラッド薄板 〈家電IHジャー炊飯器分野〉
- アルミステンレスクラッド薄板 〈スポーツ用品パーツ分野等〉
- ニッケル (販売元:日本製鉄)
- ニッケル薄板
- 純ニッケル薄板 〈電子部品分野等〉
- ニッケル基合金薄板 〈電子部品分野等〉
- ニッケル薄板
- チタン (販売元:日本製鉄)
- チタン鋳造品
- 純チタン鋳造品
- 合金チタン鋳造品
- チタン薄板
- 純チタン薄板
- 合金チタン薄板
- 航空機用純チタン薄板
- 航空機用合金チタン薄板
- 意匠性チタン薄板(TranTixxiiブランド)
- チタン鋳造品
福利厚生[編集]
関連施設
- 独身寮(高崎寮)
クラブ活動
- 軟式野球部
- 陸上部
旧社員倶楽部
- 古城社員クラブ
関係会社[編集]
- 日鉄直江津メンテナンス株式会社(現日鉄テックスエンジ株式会社)
- 日鉄工材株式会社
アクセス[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c “製鉄所組織の統合・再編成について”. 日本製鉄. (2019年11月1日) 2020年1月31日閲覧。
外部リンク[編集]
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