日本赤十字社長崎原爆病院

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Japanese Map symbol (Hospital) w.svg 長崎原爆病院
Nagasaki Genbaku Hospital 20180501.jpg
情報
正式名称 日本赤十字社長崎原爆病院
英語名称 The Japanese Red Cross Nagasaki Genbaku Hospital
標榜診療科 内科
外科
整形外科
皮膚科
泌尿器科
眼科
耳鼻咽喉科
婦人科
放射線科
麻酔科
リハビリテーション科
許可病床数 315(予定)
職員数 487人(医師57、看護師260など)
開設者 日本赤十字社 長崎県支部(長崎県知事
管理者 平野 明善(院長)
開設年月日 1958年5月20日
所在地
852-8511
長崎県長崎市茂里町3-15
位置 北緯32度45分54.5秒
東経129度51分45.8秒
二次医療圏 長崎
特記事項 ホームページhttp://www.nagasaki-med.jrc.or.jp
PJ 医療機関
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赤十字の標章

日本赤十字社長崎原爆病院(にほんせきじゅうじしゃながさきげんばくびょういん)は、長崎県長崎市にある日本赤十字社長崎県支部が設置する医療機関である。通称、(日赤)長崎原爆病院

1945年昭和20年)8月9日原爆が投下された長崎市における原爆症に関する治療と研究を主たる使命とするが、原爆症以外の病気に関する診察・治療も行っており、長崎市及び長崎県南部における拠点病院の一つでもあり、他県における赤十字病院と同等の役割も果たしている。

沿革[編集]

  • 1958年(昭和33年)5月20日 - 長崎市片淵町に開設される。
    • 当時の日赤名誉副総裁高松宮妃を迎え、長崎県立長崎東高等学校(当時・西山校舎/現長崎市立上長崎小学校の隣接地)体育館で開院式を挙行[1]
    • お年玉付き年賀はがきの付加金1億4,600万円で建設された。鉄筋コンクリート造5階建て(延965坪)。内科・外科・放射線科・産婦人科・耳鼻咽喉科・皮膚泌尿器科・眼科・小児科を備え、病床数81床、各科にはそれぞれ長崎大学医学部附属病院の専門医が置かれた[1]
    • 初代院長は横田素一郎(長崎大学医学部教授)[1]
  • 1961年(昭和36年)
    • 2月1日 - 本館の増築工事が完成し、病床数が311床に増える。工費は1億1,000万円。
    • 4月22日 - 原子力放射能障害対策研究所を開設。
    • 11月26日 - 総合病院としての認可を受ける。
    • 11月30日 - 看護婦宿舎が完成。
  • 1980年(昭和55年)12月 - 片淵の建物が手狭で老朽化が進んだため、茂里町の旧三菱製鋼所跡地(現在地)への新築移転が決定し、新病院の建設着工[1]
  • 1982年(昭和57年)
    • 11月18日 - 移転後の片淵の病院跡地について、長崎市は済生会病院(当時・新地町)が進出することで合意[1]
    • 11月29日 - 日赤名誉副総裁の三笠宮妃を迎え、長崎新聞文化ホールにて現在地への新築移転落成式典を行う[1]
    • 12月12日 - 陸上自衛隊などの協力をえて、入院患者(140名、うち重症患者72名)の移送を完了[1]
    • 12月14日 - 新病院での外来診療を開始。
      • 総工費は約45億円で、地下1階・地上7階。診療科目11、ベッド数は360床[1]
  • 1990年(平成2年)5月18日 - 天皇・日赤名誉総裁でもある皇后が当病院を訪問。
  • 1998年(平成10年)12月22日 - 別館の増築落成。

診療科[編集]

診療協働部門

医療機関の指定等[編集]

交通アクセス[編集]

その他[編集]

  • 韓国において同国内の被爆者医療の中心的な役割を果たしている大韓赤十字社大邱病院と2003年(平成15年)9月30日に姉妹病院提携を結んだ。大邱病院側からの研修受け入れ等の交流を行っている。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 「市制百年 長崎年表」(長崎市役所, 1989年(平成元年)4月1日)

関連項目[編集]