日本赤軍

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日本赤軍
設立年 1971年2月
設立者 重信房子、奥平剛士
廃止年 2001年4月
種類 共産主義武装組織
地位 マルクス主義
世界革命論
国際根拠地論
反帝国主義
アジア主義
目的 世界革命の実現
本部 パレスチナの旗 パレスチナベッカー高原
メンバー 重信房子奥平剛士丸岡修奥平純三岡本公三西川純和光晴生など
公用語 日本語
関連組織 パレスチナ解放人民戦線
ドイツ赤軍
共産主義者同盟赤軍派
ウェブサイト 人民新聞 - 日本赤軍
日本の旗 日本の組織だがパレスチナに拠点を置く。2001年の解散の後、後継組織としてムーブメント連帯が設立された。

日本赤軍(にほんせきぐん、英語: Japanese Red Army)は、1971年から2001年まで存在した日本の新左翼系団体、武装集団。日本革命を世界革命の一環と位置付け、中東など海外に拠点を置き、1970年代から1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こした[1]

1971年共産主義者同盟赤軍派重信房子奥平剛士らが結成、2001年に重信自身が解散を表明した。アメリカ合衆国国務省国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、解散により認定解除した。

歴史[編集]

結成[編集]

冷戦時代の1971年2月26日に、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、「海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要がある」と判断し、赤軍派の重信房子や元「京都パルチザン」の奥平剛士らがパレスチナへ赴き、同地で創設した。創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称したが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。

テロ活動活発化[編集]

当初はレバノンベッカー高原を主な根拠地に活動し、1970年代から1980年代にかけてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、主に日本のフラッグ・キャリアである日本航空機を対象とした国内外における一連のハイジャック、反イスラエル闘争としての空港襲撃に伴う一般人を対象にした乱射事件、大使館などの外国公館への武装攻撃、身代金や同志奪還を目的としたハイジャックなどの事件を繰り返した。PFLF及びパレスチナ解放機構を支援していたシリアハーフィズ・アル=アサド[2]リビアムアンマル・アル=カッザーフィー[3]らからの援助を受けていたといわれている。

1972年5月30日にイスラエルのベン・グリオン国際空港で起こした「テルアビブ空港乱射事件」では、搭乗客や駐機中の旅客機を対象にした無差別乱射を行い、一般市民を中心に100人以上の死傷者を出した。この事件はPFLPの要請によって行われたものである。この自称「リッダ闘争」により、反イスラエル感情が強いアラブ諸国で日本赤軍は「英雄視」され、過激派が日本赤軍の自爆テロを模倣するようになったという意見がある[4][5](ただし、「リッダ闘争」を行ったのは奥平剛士らの出身母体である「京都パルチザン」(銀閣寺アジト・グループ)であり、「リッダ闘争をやったのは日本赤軍である」というのはウソであるという主張もある[6])。

初期の活動はKGBのエージェントでもあった[7]ワディ・ハダド(アブ・ハニの変名で知られる)率いるPFLPの分派組織であり、海外ゲリラ部門の「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(PFLP-EO)に指導される形であったが、1974年以降はその指導下を離れ、重信房子と丸岡修を中心として、独自の闘いを模索していった。この頃、「アラブ赤軍」などの通称で知られたこの組織が正式に「日本赤軍」を名乗るようになったとされる[8]

末期[編集]

その後も1980年代中盤にかけて、いくつかの武装ゲリラ活動アジア諸国やヨーロッパ諸国を舞台に引き起こした他、「三井物産マニラ支店長誘拐事件」などにおいて他の武装組織への協力を行ったが、欧米各国、イスラエル、日本などの西側諸国の対テロ対策や資金規正の厳重化、アラブ諸国政府からの支援減少などにより、活動は先細りとなっていった。

1990年代以降には、その思想が完全に時代遅れとなったことから新規の支持者や支援者の獲得が更に困難となり、またイスラエルや西側諸国と対立していた政府や各国の反政府組織からの資金協力や活動提携がほぼ完全に途絶えたこともあり、1990年代に入ると「日本赤軍」としての活動はほとんど行えない状況となった。

壊滅[編集]

さらに1980年代後半から1990年代後半にかけて、逃亡を続けていた丸岡修や和光晴生等の中心メンバーが相次いで逮捕され、組織は完全に壊滅状態に追い込まれた。

2000年11月には「最高指導者」の重信房子も、潜伏していた大阪府高槻市旅券法違反容疑で大阪府警警備部公安第三課によって逮捕された。その際に、押収された資料により1991年から日本での武力革命を目的とした「人民革命党」及びその公然活動部門を担当する覆面組織「希望の21世紀」を設立していたこと、またそれを足がかりとして社会民主党(旧日本社会党)との連携を計画していたことが判明したと新聞等で報じられた。

「希望の21世紀」は同事件に関連し警視庁と大阪府警の家宅捜索を受けたが、日本赤軍との関係を否定している。社会民主党区議自宅なども「希望の21世紀」の関連先として同時に捜索を受けたが、社会民主党は「何も知らなかったが事実関係を調査する」として関係があったことを否定した。

解散[編集]

上記のように、1980年代後半以降の主要メンバー逮捕、既存シンパの高齢化、活動の根拠、思想が時代遅れとなったこと、そして新規の支持者や資金などの獲得が困難になった事により、1990年代後半には事実上の解散状態となった。これを受けて2001年4月に重信は獄中から「日本赤軍としての解散宣言」を行い、正式に解散した。一方でその直後に坂東國男大道寺あや子は「日本赤軍解散宣言無効宣言」を発表している。

後継組織として「ムーブメント連帯」が設立され、現在も設立当時からの支持者などを中心に少数の支持者がいるとみられているが、その多くは上述のように高齢化が進み、さらにこれを受け継ぐ支持者も少ないために年々その数は減少しているとされる。

解散後[編集]

重信房子は産経新聞インタビューで「世界を変えるといい気になっていた。多くの人に迷惑をかけていることに気づいていなかった。大義のためなら何をしても良いという感覚に陥っていた」と自己批判している。但し、テルアビブ空港乱射事件などへの見解は変えていない。

ハーグ事件等に関与し1979年に日本赤軍を脱退した和光晴生は、2005年に元メンバーの山本万里子がさきイカを万引きして逮捕されたニュースを受けて、「この件は日本赤軍の実態・実状を示したものであり、かつてヨーロッパで商社員誘拐未遂だとか、大使館占拠や飛行機乗っ取り等を実行してきた組織には、反社会的・反人民的性格があった」と述懐、自己の過去を含め批判した[9]。その後も日本赤軍の過去の内情に批判的な著作を出している[10]

毎年、5月30日には「リッダ闘争」(テルアビブ空港乱射事件の日本赤軍側の呼称。パレスチナ側は「Ledd空港作戦」と呼称しているという[11])を記念する会合が日本とレバノンで行われており、重信房子も賛同メッセージ及びイスラエルなどへの徹底抗戦の檄文を送っている[12][13]

主なメンバー[編集]

日本赤軍の主なメンバー
氏名 立場 参加 出身 主な日本赤軍事件 判決とその後























































 
しけのふ/重信房子 最高幹部
政治委員
1971年 赤軍派 懲役20年(服役中)
おくたいら/奥平剛士 最高幹部
軍事委員
1971年 京大パルチザン テルアビブで死亡
まるおか/丸岡修 軍事委員 1972年 浪共闘及びベ平連 無期懲役(死亡)
わこう/和光晴生 軍事委員 1973年 若松プロダクション社員 無期懲役(服役中)
おくたいら/奥平純三 軍事委員 1974年 京大パルチザン 国外逃亡(国際手配)中
やすた/安田安之 1971年 京大パルチザン テルアビブで死亡
おかもと/岡本公三 1972年 国外逃亡(国際手配)中
にしかわ/西川純 軍事委員 1973年 無期懲役(服役中)
ひたか/日高敏彦 軍事委員 1971年 ヨルダン逮捕後、自殺
はんとう/坂東國男 1975年 連合赤軍 国外逃亡(国際手配)中
ささき/佐々木規夫 1975年 東アジア反日武装戦線 国外逃亡(国際手配)中
たいとうし/大道寺あや子 1977年 東アジア反日武装戦線 国外逃亡(国際手配)中
えきた/浴田由紀子 1977年 東アジア反日武装戦線 懲役20年(2017年3月釈放)
せんすい/泉水博 1977年 統一獄中者組合 無期懲役(服役中)
にへい/仁平映 1977年 統一獄中者組合 国外逃亡(国際手配)中
しろさき/城崎勉 1977年 赤軍派 アメリカ合衆国で懲役30年。2015年、刑期短縮により釈放強制退去処分となり、日本到着後に逮捕殺人未遂罪現住建造物等放火容疑で懲役12年(本人は日本赤軍メンバーであることを否定)。
まつた/松田久 1975年 赤軍派 国外逃亡(国際手配)中
やまた/山田修 1971年 京大パルチザン 1972年、訓練中に死亡
ひもり/檜森孝雄 国内で丸岡らのオルグなどの後方支援活動 1971年 京大パルチザン 2002年、焼身自殺
あたち/足立正生 政治委員 1974年 映画監督
(若松プロダクション所属)
懲役02年・執行猶予4年
とひら/戸平和夫 軍事委員 赤軍派 懲役02年6ヶ月(2003年5月満期出所)
やまた/山田義昭 軍事委員 1973年 1986年2月出頭、懲役1年4ヶ月
やまもと/山本万里子 日系百貨店パリ支店に勤務しながら、高橋武智らとともに欧州内での協力者として日系商社員誘拐計画に関与し、連絡役を担っていた[14] 懲役02年6ヶ月・執行猶予5年。
よしむら/吉村和江 政治委員 1971年 労働者共産主義委員会(怒涛派) 懲役02年6ヶ月・執行猶予4年、被拘禁者奪取罪。国際手配され、ペルーで逮捕・送還。
きくむら/菊村憂 正式メンバーか不明 1988年、アメリカ合衆国で爆発物所持で逮捕。19年服役後の2007年、日本に強制送還。偽造有印公文書行使容疑で懲役2年・執行猶予4年。

日本赤軍が登場する作品[編集]

映画[編集]

実際に起きた出来事をベースにしたもの[編集]

  • 『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』- 1971年、著名な支援者である若松孝二と後にメンバーとなる足立正生によるドキュメンタリー作品。若松と赤軍派シンパの若者たちによって全国で真っ赤に塗ったマイクロバス「赤バス隊」と呼ばれる上映運を展開した。初期の赤バス隊には後に連合赤軍山岳ベース事件虐殺された遠山美枝子がおり[15]、若松の下で撮影助手をしていた和光晴生は赤バス隊の常駐メンバーであり、鹿児島大学での上映会に見に来て、映画に共鳴、赤バス隊に参加したのが岡本公三だった[16]
  • 『幽閉者 テロリスト』 - [2007年]]、構成員だった足立正生の強制送還後初の監督作品。岡本公三を描く。
  • 『コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト』(テレビ映画)- 2010年フランス製作、オリヴィエ・アサヤス監督作品。ハーグ事件を詳細に描いている。
  • 『カルロス』(映画)- 2010年、フランス製作 上記TVシリーズの劇場公開版。
  • 『革命の子どもたち』 - 2011年イギリス、重信の娘重信メイドイツ赤軍のリーダーウルリケ・マインホフの娘を描いたドキュメンタリー
  • 『重信房子、メイと足立正生のアナバシス そしてイメージのない27年間』- 2011年、フランス、足立正生に多大な影響を受けたフランス人映像作家エリック・ボードレールによる映像アンソロジー

他、ダッカ事件、重信房子、岡本公三に関するテレビドキュメンタリー番組多数。

フィクション[編集]

  • レスリー・チャン 嵐の青春』- 1982年の香港映画。日本赤軍から逃亡した元テロリストとその追手という日本人が登場する。日本赤軍という名前で出てくるが些か連合赤軍との混合が見られる。
  • マギー・チャンのドッカン爆弾娘』- 1985年の香港映画。自家製爆弾を買おうとする相手として登場する。
  • 『十福星』- 1986年の香港映画。香港で武器売買する組織として、メインの悪役として登場する。
  • 『香港・東京特捜刑事』- 1988年の香港映画。東京から香港に逃亡した宝石店強盗として登場。

小説[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本赤軍 - 公安調査庁
  2. ^ 週刊現代2000年11月16日号
  3. ^ 「オリーブの樹」107号
  4. ^ 立花隆『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』講談社、2004
  5. ^ フランソワ=ベルナール・ユイグ『テロリズムの歴史』創元社、2013
  6. ^ 和光晴生『日本赤軍とは何だったのか―その草創期をめぐって』彩流社、2010
  7. ^ KGB議長だったユーリ・アンドロポフの手紙
  8. ^ 和光晴生「日本赤軍とは何だったのか――その草創期をめぐって――(第二回)」 (抄) 月刊 情況 2009年04月旧「ベ平連」運動の情報ページ
  9. ^ 和光晴生. “支援連ニュースNo.268「和光裁判は一審結審です」”. 東アジア反日武装戦線に関する よもやま情報のホームページ. 2012年2月23日閲覧。
  10. ^ 『日本赤軍とは何だったのか―その草創期をめぐって』彩流社
  11. ^ 城崎勉さんからの通信
  12. ^ 檜森や丸岡らメンバーの命日にも同様のアピールが行われている。
  13. ^ 日本赤軍公安調査庁
  14. ^ 和光晴生「日本赤軍とは何だったのか――その草創期をめぐって――(第二回)」月刊 情況 2009年04月号
  15. ^ 実録・トークショーレポ 早稲田松竹、2011年2月5日
  16. ^ 「若松孝二と赤軍レッド・アーミー 」原渕勝仁著、世界書院、2016年7月、p123

関連書籍[編集]

  • 足立正生『塀の中の千夜一夜 アラブ獄中記』愛育社、2005年9月、ISBN 4750002321
  • 石井一『ダッカハイジャック事件 日本赤軍との闘い』講談社、1978年5月、[1]
  • 河出書房新社(編)『赤軍 1969→2001 総特集』河出書房新社、2001年1月、ISBN 4309976018
  • 今野正義『槐夢 「赤軍」誕生から終焉までの軌跡 ドキュメント』碧天舎、2004年1月、ISBN 4883464571
  • 塩見孝也『赤軍派始末記 元議長が語る40年』彩流社、2003年3月、ISBN 4882027984
  • 世界革命戦線情報センター、査証編集委員会(共編)『隊伍を整えよ 日本赤軍宣言』 査証出版、1975年
  • 高木規矩郎『日本赤軍を追え 「ドキュメント」中東記者15年の取材ノート』現代評論社、1986年2月、[2]
  • 日本赤軍(編著)『日本赤軍20年の軌跡』話の特集、1993年5月、ISBN 4826401302
  • 松下竜一『怒りていう、逃亡には非ず 日本赤軍コマンド泉水博の流転』河出書房新社、1993年12月、ISBN 4309008739、河出文庫: 1996年2月、ISBN 4309404723、松下竜一その仕事刊行委員会版: 河出書房新社、2000年9月、ISBN 4309620736
  • 和光晴生『赤い春―私はパレスチナ・コマンドだった』集英社インターナショナル 2007年10月 ISBN 4797671688
  • 重信房子『日本赤軍私史 パレスチナと共に』河出書房新社 2009年7月 ISBN 978-4309244662
  • 和光晴生『日本赤軍とは何だったのか―その草創期をめぐって』彩流社 2010年5月 ISBN 978-4779114786
  • 小嵐九八郎編 『日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞 2010年9月 ISBN 978-4886114365
  • 佐々淳行 『ザ・ハイジャック 日本赤軍とのわが「七年戦争」』文藝春秋 2010年11月 ISBN 978-4163733203
  • 原渕勝仁 『若松孝二と赤軍レッド・アーミー』 世界書院 2016年7月 ISBN 4792795702