日本選手権競輪

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日本選手権競輪
概要
開催時期 4-5月(2016年度から)
開催地域 持ち回り
愛称 競輪ダービー
分野 競輪
カテゴリー GI
形態 6日間トーナメント
主催者 持ち回り
歴史
初回開催年 1949年
開催回数 73回(2019年)
初代優勝者 横田隆雄(甲、乙規格とも)
最多優勝者 吉岡稔真村上義弘(4回)
直近優勝者 脇本雄太(2019年)
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日本選手権競輪(にほんせんしゅけんけいりん・にっぽんせんしゅけんけいりん)は毎年4月下旬から5月上旬頃の6日間に渡って開かれる競輪GI競走である。

正賞は内閣総理大臣賞衆議院議長賞、経済産業大臣賞、主催者市長賞、主催者市議会議長賞、全国競輪施行者協議会会長賞、JKA会長賞、自転車競技会全国協議会会長賞、日本競輪選手会理事長賞、全国競輪場施設協会会長賞、日本自転車競技会会長賞。

概要[編集]

競輪のグレード制導入によりKEIRINグランプリは企画物として別格・最上位(GP)とされたため本競走はそれに次ぐGIレースの一つとされた。

しかしGPの格はグランプリのみであり、同列とされたGI競走の中でも、その歴史・正賞として授与される内閣総理大臣賞及びその他の各賞・名誉及び賞金額において競輪競技で最高の格式を誇るレース(事実上春の競輪実力日本一決定戦)である。競馬で最高の競走であるダービーになぞらえ、『競輪ダービー』の通称で古くから呼ばれ、親しまれている。

優勝賞金は第59回大会(2006年)より6,600万円(副賞込み[1])であったが、第65回大会(2012年)では東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から6,400万円(副賞込み)へと減額された。第66回大会(2013年)からは6,000万円(副賞込み)となっていたが、第69回大会(2016年3月)で6,500万円(副賞込み)へと再び増額され、現在に至っている。この優勝賞金6,500万円は、数あるGIレースの中で最高額となっている。また、優勝者には内閣総理大臣杯のトロフィーが授与される[2]

GIレースの殆どが4 - 5日間開催に短縮された中で、この日本選手権競輪(以下ダービー)だけは唯一6日間で開催され続けている(但し競輪祭が2018年より6日間開催を復活させた)。開催時期は、2008年までは3月の中旬から下旬にかけて開催されていたが、2009年より2012年までは2 - 3週間繰り上げられ3月上旬の開催であった。しかし2013年からは全日本選抜競輪が2月の開催となったこともあり、再び3月中旬から下旬の日程に戻った。その後、売り上げ増を見込んでゴールデンウィーク期間中にGIレースを開催する方針を立てたことから、この日本選手権競輪を2016年度以降は5月開催とすることが決定したため、2016年に関しては例外的に3月上旬から中旬4月末から5月上旬とで計2回開催が行われた(このうち3月開催は2015年度扱い)。

賞金[編集]

以下は、近年の決勝戦における各着順の賞金額。( )内は副賞(1〜3着に授与)を含んだ金額。

大会(年) 1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着
第72回(2018年)[3] 5,800万円(6,500万円[4][5] 2,850万円(2,920万円[4][5] 1,950万円(1,990万円[4][5] 1,390万円 1,100万円 890万円 740万円 640万円 600万円
第73回(2019年)[6]

歴史[編集]

第1回は1949年大阪住之江競輪場(現在の住之江公園)で「全国争覇競輪(ぜんこくそうはけいりん)」と題して(当初第7回までは春秋の年2回)開催された。全国争覇戦時代は女子の部や実用車・軽快車(何れも一般の自転車)を使ったレースも実施された。この「全国争覇競輪」の名称は第16回(1963年)まで採用され、第17回(1964年)から現在の名称となった。

第21回(1968年)までは12車立て[7]でレースを開催した後楽園競輪場の名物レースとして親しまれたが、それまで後楽園競輪場の固定開催であったため、同場の休止が決定されると、全国各競輪場持ち回りという形で開催されるようになった。ただ近年は静岡・松戸・立川・平塚など南関東の競輪場で持ち回りしていることが多い。

第27回(1974年)からは、一次予選特別選抜競走の出場選手27名を「全国から選抜された選手が実力で最高の地位を争う」といった観点から、予め選手選考委員会において選定された選手135名により、開催直前の1月〜2月にかけて開催する「ダービートライアル」(3日間×3会場)で決定していた。

第29回(1976年)からは、原則として選考委員会より選定された選手によりトライアルレースを実施して全出場選手を決定する方式となった(3日間×2会場)。ただ早い段階でポイントを稼いで後半は欠場する、または半ば無気力に走る選手も現れたりするなどして弊害も多かったため、第48回(1995年)を以って廃止された。

第49回(1996年)からは前年の平均競走得点上位選手から順次選抜する方式となり、第51回(1998年)からは、前年における特別競輪等選手選考評価点の上位選手から順次選抜する方式となった。

第55回(2002年)では、番組改革に合わせて、敗者復活戦が第38回(1985年)以来17年ぶりに復活し、準決勝4個レース(各レース1・2着のみ勝ち上がり)+二次予選特別選抜競走(ゴールデンレーサー賞)1着選手(このときは濱口高彰)の9名により決勝戦が行われた[8]

しかし翌年の第56回(2003年)からは通常の準決勝3個レース(各レース1〜3着のみ勝ち上がり)の9名に戻されて現在に至っている。

出場選手選抜方法[編集]

日本選手権競輪の出場選手は、競輪選手の証である賞金獲得額によって選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手162名、補欠選手8名を選抜する[9]

  • 選考期間…前年2月〜当年1月(12ヶ月)[10]、選考月…2月、最低出走回数…48出走(但し変更となる可能性もある)
  1. S級S班在籍者
  2. 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
  3. 選手選考対象期間において4ヶ月以上JCFトラック種目強化指定(A)に所属した者(開催時S級1班所属が条件)
  4. 賞金獲得額上位者

なお、補欠選手は正選手を除く、賞金獲得額上位者からさらに順次選抜される。

また、正選手のうち、S級S班在籍者と賞金獲得額上位者の合計27名については、特別選抜予選競走に出走できる。

勝ち上がり方式[編集]

6日間とも11レース(他に3日目には「ガールズケイリンコレクション」1レースが行われる)。

 優秀  初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日
特選予選
(1)(2)
GR賞
(1)
準決勝
(3)
二次予選
(5)(2)
決勝
(1)
一次予選
(10)(5)
敗者戦 00-00 (4) (6) (8) (8) (10)
  • 初日・2日目
「一次予選」 合計15レース行われ、各レース1〜3着45名が「二次予選」進出。
「特別選抜予選」 合計3レース行われ、各レース1〜3着9名は無条件で、4日目の「ゴールデンレーサー賞」と5日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。4〜9着18名は「二次予選」進出。
  • 3日目・4日目
「二次予選」 合計7レース行われ、各レース1〜2着14名と3着7名のうち一走目の着順上位(特別選抜予選回りが優先)4名が「準決勝」進出。
ガールズケイリンコレクション」(2014年より開催) 3日目の第12レース(2017年以降。2016年5月開催は第9レース)に行われる、女子選手による一発勝負(2016年3月開催までは5日目の第9レース)。
「ゴールデンレーサー賞」 二次特別選抜予選として、4日目の最終レースに行われる。失格しない限り9名全員が「準決勝」進出。
  • 5日目
「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
  • 6日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
「順位決定」 「決勝」の一つ前のレース。「準決勝」各レース4〜6着9名により行われる。
「優秀」 「順位決定」の一つ前と二つ前のレース。「準決勝」各レース7〜9着9名と、二次予選敗退選手による「特選(1)」各レース1〜2着6名及び「特選(2)」各レース1着3名により行われる。

その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした以下の競走が開催される。

2日目…「一般(1)」×4
3日目…「一般(1)」×4、「選抜」×2
4日目…「一般(2)」×4、「特一般」×2、「選抜(1)」×2
5日目…「一般(2)」×2、「一般(1)」×1、「特選(2)」×3、「特選(1)」×2
6日目(最終日)…「選抜」×2、「特選(2)」×3、「特選(1)」×2

途中帰郷[編集]

本大会では斡旋される正選手の数が4日制GIの1.5倍と多い割に一日ごとの競走に対する出走可能選手が少ないため、4〜5日目の「一般(2)」または5日目の「一般(1)」を走った者は最終日を待たずに(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる[11]。なお二次予選に進出した者は決勝に進めなくても失格にならない限り、「順位決定」レースや「優秀」レースなど、最終日の出走が保障される。

他のGI競走オールスター競輪ではお帰り対象者は傷病理由の途中欠場がなかった場合でも多くて36人止まり(4日制のGIは2017年から、2018年から同じ6日制になった競輪祭は男子の正選手は108名なので、途中帰郷がなくなった。)だが、本大会の場合は最大で63人がお帰りの通告を受ける可能性があり[12]、他の競走と比べて実に7倍に達する。早い選手では3日目の午後に斡旋契約解除の通知を受けることもあり、最終日のレース前には数十人が既に開催競輪場を離れ、帰郷の途についていることになる。

ただし、負傷や病気などにより途中欠場が多数発生した場合は補充選手を一切充当せず、代わりに途中帰郷の対象となっていた選手を帰郷させずに出走させることによって欠場を埋める形となる。これは「GI最高峰の開催である日本選手権競輪に出走できるのは、選考によって選抜された選手のみにすべき」という思想を制度に反映したもので、現在この形式が取られる開催は日本選手権競輪だけとなっている。

過去の優勝者[編集]

決勝日 開催場 00優勝者00 府県 GDR賞勝者
01 1949年6月11日
     6月12日
大阪住之江 横田隆雄
横田隆雄
27大阪)
27大阪)
02 1949年@10月23日
10月24日
川崎 横田隆雄
小林源吉
27大阪)
11埼玉)
03 1950年5月9日 名古屋 宮本義春 43熊本)
04 1951年5月6日 後楽園 山本清治 27大阪)
05 1951年@10月5日 大阪中央 高倉登 11埼玉)
06 1952年5月6日 川崎
07 1952年@11月3日 後楽園 宮本義春 43熊本)
08 1953年11月3日 大阪中央 中井光雄 25滋賀)
09 1954年11月3日 川崎 松本勝明 26京都)
10 1955年11月3日 大阪中央
11 1956年11月3日 後楽園 坂本昌仁 27大阪)
12 1957年11月3日 佐藤喜知夫 01北海道)
13 1958年11月4日 吉田実 37香川)
14 1959年11月2日 石田雄彦 30和歌山)
15 1960年11月3日 吉田実 37香川)
16 1963年3月25日 一宮 西地清一 27大阪)
17 1964年2月13日 後楽園 笹田伸二 36徳島)
18 1964年@11月10日 石田雄彦 30和歌山)
19 1965年11月3日 笹田伸二 36徳島)
20 1966年11月1日 宮路雄資 43熊本)
21 1967年11月1日 平間誠記 04宮城)
22 1968年11月5日 吉川多喜夫 14神奈川)
23 1970年2月16日 一宮 工藤元司郎 13東京)
24 1970年@11月6日 岸和田 荒川秀之助 04宮城)
25 1972年3月7日 千葉 河内剛
26 1973年3月20日 西武園 阿部道
27 1974年2月19日 田中博 10群馬) 福島正幸
28 1975年3月25日 千葉 高橋健二 23愛知) 伊藤繁
29 1976年4月3日 新井正昭 11埼玉) 藤巻清志
30 1977年3月29日 一宮 小池和博 中野浩一
31 1978年3月28日 藤巻清志 14神奈川) 福島正幸
32 1979年3月26日 立川 山口健治 13東京) 国持一洋
33 1980年3月26日 前橋 吉井秀仁 12千葉) 吉井秀仁
34 1981年3月24日 千葉 中野浩一 40福岡) 国持一洋
35 1982年3月23日 大垣 中里光典 28兵庫) 井上茂徳
36 1983年3月22日 前橋 井上茂徳 41佐賀) 中野浩一
37 1984年3月20日 千葉 滝澤正光 12千葉) 山口健治
38 1985年3月26日 立川 清嶋彰一 13東京)
39 1986年3月27日 平塚 滝澤正光 12千葉) 滝澤正光
40 1987年3月24日 千葉 清嶋彰一 13東京)
41 1988年3月23日 立川 滝澤正光 12千葉) 井上茂徳
42 1989年3月24日 花月園 小川博美 40福岡) 小門洋一
43 1990年3月26日 平塚 俵信之 01北海道) 滝澤正光
44 1991年3月26日 一宮 坂巻正巳 08茨城) 長谷部純也
45 1992年3月25日 前橋 吉岡稔真 40福岡) 尾崎雅彦
46 1993年3月24日 立川 海田和裕 24三重) 伊藤公人
47 1994年3月28日 静岡 小橋正義 33岡山) 神山雄一郎
48 1995年3月27日 松戸 吉岡稔真
49 1996年3月26日 千葉 吉岡稔真 40福岡) 稲積秀樹
50 1997年3月27日 岸和田 濱口高彰 21岐阜) 小橋正義
51 1998年3月26日 西武園 吉岡稔真 40福岡) 吉岡稔真
52 1999年3月30日 静岡 神山雄一郎 09栃木) 東出剛
53 2000年3月28日 千葉 岡部芳幸 07福島) 小橋正義
54 2001年3月25日 松戸 稲村成浩 10群馬) 稲村成浩
55 2002年3月24日 立川 山田裕仁 21岐阜) 浜口高彰
56 2003年3月23日 平塚 伏見俊昭
小橋正義
57 2004年3月28日 静岡 伏見俊昭 07福島) 澤田義和
58 2005年3月21日 松戸 鈴木誠 12千葉) 加藤慎平
59 2006年3月26日 立川 吉岡稔真 40福岡) 大塚健一郎
60 2007年3月25日 平塚 有坂直樹 05秋田) 武田豊樹
61 2008年3月23日 静岡 渡邉晴智 22静岡) 山崎芳仁
62 2009年3月8日 岸和田 武田豊樹 08茨城) 山口幸二
63 2010年3月7日 松戸 村上博幸 26京都) 村上義弘
64 2011年3月6日 名古屋 村上義弘 伏見俊昭
65 2012年3月4日 熊本 成田和也 07福島) 武田豊樹
66 2013年3月24日 立川 村上義弘 26京都) 深谷知広
67 2014年3月23日 名古屋
68 2015年3月22日 京王閣 新田祐大 07福島) 新田祐大
69 2016年3月13日 名古屋 村上義弘 26京都) 平原康多
70 2016年5月5日 静岡 中川誠一郎 43熊本) 原田研太朗
71 2017年5月7日 京王閣 三谷竜生 29奈良) 武田豊樹
72 2018年5月6日 平塚 浅井康太
73 2019年5月5日 松戸 脇本雄太 18福井) 脇本雄太

※第1、2回は甲規格・乙規格と分かれて開催された(前期日程が甲規格、後期日程が乙規格)。

女子優勝者[編集]

開催日 開催場 優勝者 府県
02 1949年10月24日 川崎 高木ミナエ 21岐阜)
03 1950年5月9日 名古屋
04 1951年5月6日 後楽園 黒田智子 40福岡)
05 1951年@10月5日 大阪中央 渋谷小夜子 14神奈川)
06 1952年5月6日 川崎 田中和子 29奈良)
07 1952年@11月3日 後楽園 水野信子 23愛知)
08 1953年11月3日 大阪中央 有江美和子 42長崎)
09 1954年11月3日 川崎 田中和子 29奈良)
10 1955年11月3日 大阪中央
11 1956年11月3日 後楽園 畑田美千代 26京都)

今後の開催予定[編集]

  • 第74回(2020年5月5日 - 5月10日) - 静岡競輪場(4年ぶり6度目)

エピソード[編集]

数々の開催危機[編集]

競輪で最も伝統のある日本選手権競輪だが、開催され無い年もあれば、年2回開催された年もある。これは過去、幾度も開催の危機にさらされたためである。

後楽園競輪場で開催された1960年の決勝戦当日(11月3日)、場内に入りきれなかった約1,500名の観客をバンク内に入れて競走を行わざるを得なくなった状況となった。その大会終了後、当時の施行者の東京都が「警備上の問題」を理由とし、すでに翌年の開催が決定していたにもかかわらず開催を返上する事態となった。当時、来場者が数万人規模となるダービーを後楽園以外の競輪場で開催することが困難だったことから、代替地として名乗りを挙げる施行者が現れず、そのため1961年度は競輪の歴史で唯一ダービーの開催がない年となった。

1962年度についても開催地の選定は難航を極め、2年連続での開催中止の影もちらつきはじめていた。しかし、一宮競輪場1963年3月に同大会の開催を引き受けることになった(年度としては1962年度)ことから連続中止の危機は免れた。なお、この大会で特別競輪史上初めて、決勝戦がテレビ中継された(キー局は中部日本放送。他に東京放送朝日放送がネット局)[13]

その後再び後楽園での開催に戻ったが、1967年に行われた東京都知事選挙において、都営ギャンブル廃止を公約に掲げていた革新系の美濃部亮吉が当選したことにより、公約に沿って美濃部は1964年の2月に行われた開催から続けてきた後楽園でのダービー開催を1968年限りで返上することを表明[14]。そのため、またしても1969年度のダービー開催地が宙に浮く事態が生じた。だが、この時も危機を救ったのは一宮競輪場で、1970年2月の開催を引き受けたことになり無事に開催された。

しかし1971年オールスター競輪も含めて開催地の選定に行き詰まり、夏場を迎えても開催が決定できない状況となっていたが、ダービーだけでも年度内に開催させたいという関係者の意向により、翌年の1972年3月に千葉競輪場で開催させることになった。

以後は年毎に開催地が移動する持ち回り制となり、一ヶ月程度の開催時期の変動があったりしたものの、同大会は2016年まで毎年3月に開催され続けた。

データ[編集]

以下は、いずれも2019年(第73回大会)時点

決勝戦テレビ中継[編集]

決勝戦の地上波テレビ中継は、前述の1963年からTBS系列で放送された後、1970年代以降は東京12チャンネル → テレビ東京系列に移行され2015年(年度としては2014年度)まで放送された(テレビ東京系列でも一部、中継されていなかった大会もある)。

2016年3月開催(2015年度)と5月開催は日本テレビ系列で放送されたが、2017年、2018年はワールドレディースチャンピオンシップの関係からテレビ東京系列で放送したが、2019年は再び日本テレビ系列(「坂上忍の勝たせてあげたいTV」)で放送された。

脚注[編集]

  1. ^ 第62回大会(2009年)では、賞金5,500万円と副賞1,100万円。
  2. ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2019年5月6日19面
  3. ^ 日本選手権競輪(GⅠ)(SD1) (PDF) 副賞を含まない金額
  4. ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2018年5月6日付12面
  5. ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2019年5月5日付15面
  6. ^ 日本選手権競輪(GⅠ)(SD1) (PDF) 副賞を含まない金額
  7. ^ 日刊スポーツが選ぶ 日本選手権競輪「名勝負5番」
  8. ^ これと類似した主旨の競走体系は2009年2010年に行われたオールスター競輪(会場は2009年が松山競輪場、2010年はいわき平競輪場)でも行われ、1次予選時の「特別選抜予選」相当の「ドリームレース」「オリオンレース」勝ち上がり9人による2次予選時の「シャイニングスター賞」で1着になった選手が準決勝免除で決勝戦シードの権利が与えられたほか、敗者復活戦を採用するなどしたが、こちらも勝ち上がりの番組体系があまりにも複雑でファンに不評であったため2年で廃止されている。
  9. ^ 選考基準 ⇒ ここから「日本選手権競輪(GI)」をクリック
  10. ^ ただし、第70回大会の選考期間は前年4月〜当年1月となり、最低出走回数も40走となった。
  11. ^ お帰りとなった選手は番組表に『帰』のマークが付けられ、この大会の競走にはもう出場しないことを意味する。
  12. ^ 正選手162人のうち、最終日に出走できるのは最大で99人。
  13. ^ 「復活ダービー」という人もいた。
  14. ^ 1972年10月をもって、後楽園競輪場での競輪開催は事実上休止された。
  15. ^ 2018年版競輪年間記録集(33〜34頁) (PDF)”. KEIRIN.JP. 2019年5月7日閲覧。
  16. ^ 脇本完全V 松戸・日本選手権 - 西日本スポーツ、2019年5月6日
  17. ^ a b 村上義弘 名古屋ダービー3連覇/名古屋 - 日刊スポーツ、2016年3月14日
  18. ^ 【競輪】鈴木誠、連続出場記録途絶える - デイリースポーツ、2015年3月10日
  19. ^ 2018年版競輪年間記録集(110頁) (PDF)”. KEIRIN.JP. 2019年5月6日閲覧。