日産・ローレル
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![]() 8代目 後期型 クラブS | |
販売期間 | 1968年-2003年 |
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製造国 |
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ボディタイプ |
2/4ドアハードトップ 4ドアセダン |
駆動方式 | FR/4WD |
後継 |
日産・ティアナ ※セフィーロと統合 |
別名 | ダットサン・200L(2代目・海外仕様) |
ローレル(LAUREL)は、ライトバンなどの商用車を一切設定しない日本初の「ハイオーナーカー」として、日産自動車が1968年から2003年まで製造・販売していたミドルクラスの乗用車である。
概要[編集]
6代目辺りまではライバルのトヨタ・マークIIなどと並んで日本を代表するセダンタイプの乗用車として広く認知されていたが、C33型以降は流行の中心がSUVやミニバンにシフトしたこともあり販売はかつてのモデルと比べ低迷していた。しかしこれらのモデルは現在でも人気がありスカイラインとプラットフォームを共有する手頃なサイズのFR車であるためドリフトのベースとなることが多くD1グランプリで使用されたこともあり、さらにC35型に関してはメーカー側の想定外の事態としてR33スカイラインのトランスミッションを流用した非公認のMT車が多数市場に出回ることとなった。
歴史[編集]
初代 C30型系(1968年 - 1972年)[編集]
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日産・ローレル(初代) C30型系 | |
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セダン(前期型) 1968年4月 - 1970年8月 | |
販売期間 | 1968年4月 - 1972年 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 2ドアハードトップ |
エンジン | 直4 2.0/1.8L |
駆動方式 | FR |
変速機 | 3速AT / 4速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム |
全長 | 4,350mm |
全幅 | 1,605mm |
全高 | 1,405mm |
ホイールベース | 2,620mm |
車両重量 | 985kg |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
最高速度 |
165km/h (セダン1800 DX-B 4速MT) |
-自動車のスペック表- |
- 1968年(昭和43年)4月 - 販売開始。510型ブルーバードより上級で、かつ、法人需要の多い130型セドリックとは性格の異なる「ハイオーナーカー」として企画された。当初は日産製のL18型エンジンを搭載する予定であったが、車両開発中に日産自動車とプリンス自動車が合併した諸事情に鑑み、村山工場での生産となったため、プリンス製・直列4気筒 SOHC1,815ccのG18型を搭載しての発表となった[1]。エンジン以外は全て日産独自開発であり、例えばステアリングにラック&ピニオン、サスペンションにフロント・マクファーソンストラットとリア・セミトレーリングアームの四輪独立懸架方式など。そのうち、この四輪独立懸架方式はブルーバード510に先行採用された。それまでのマイカーとは少々違うグレード感を持ったオーナーカーのジャンルを提案し確立した。
ー参考文献ー
・「自動車技術」vol.22 1968年11月 社団法人自動車技術会
〈ニッサン・ローレル〉太田昇、前田輝夫 P1074~P1081
・「豊かさへのマイルストーン ハイオーナーカー、ローレルの20年」
1988年3月5日 読売新聞社 P12~P37
・「日産自動車開発の歴史(下)」 2003年8月1日 説の会
P42、P130~P133
・「コロナとブルーバードの時代」 2007年8月1日
桂木洋二 グランプリ出版 P138~P139
・「ダットサン開発の想い出」2009年8月20日
原 禎一 P100~P107
- 1970年(昭和45年)6月 -初代マークIIへの対抗措置として[2] 2ドアハードトップ追加。日産初のピラーレスハードトップとなる。搭載エンジンはG20型・直列4気筒SOHC1,990cc・110/120馬力、および4ドアセダンと同じG18型。グレードは1800、2000のほか、SUツインキャブレターを装備したスポーティーな2000GXが設定された。リアコンビネーションランプはアメリカ車に見られる、ブレーキランプとターンシグナルランプ(3連シーケンシャル式=連鎖式点灯で、いわゆる「流れるウインカー」)が共用のタイプで、バックアップランプ以外のレンズは全て赤、電球もダブルフィラメントである。
- 同年8月 - 4ドアセダンをマイナーチェンジ。メーターパネルをハードトップと同じ角型に変更すると共に、上級グレードのGLを追加。
- 1971年(昭和46年)7月 - セダンに2,000ccを追加。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は15万211台[3]
2代目 C130型系(1972年 - 1977年)[編集]
日産・ローレル(2代目) C130型系 | |
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2ドアハードトップ2000SGX 4ドアセダン ※画像は海外仕様となるダットサン・200L | |
販売期間 | 1972年4月 - 1977年 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 2ドアハードトップ |
エンジン |
直6 2.8/2.6/2.0L 直4 2.0/1.8L |
駆動方式 | FR |
変速機 |
3速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム / 半楕円リーフリジッド |
全長 | 4,500mm |
全幅 | 1,670mm |
全高 | 1,415mm |
ホイールベース | 2,670mm |
車両重量 | 1,155kg |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
最高速度 |
175km/h (セダン1800 GX-6 4速MT) |
-自動車のスペック表- |
通称・ブタケツ
- 1972年4月 - C130型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダンと2ドアハードトップ。ハードトップは、リアバンパーにビルトインされたリアコンビランプを持つ。プラットフォームはC110型スカイラインと共通で、この代以降スカイラインと基本設計が共通化される。ハードトップはボディー外板(塗装面)に燈火類が無い特徴的なリアスタイルから、『ブタケツ』という愛称がある。また現在でも旧車雑誌に取り上げられるほど人気が高く、一部中古市場において高値で取引されている。エンジンのバリエーションは、これまでのG18型、G20型、G20型SUツインキャブに加え、初搭載となる SOHC 直列6気筒のL20型 (1,998cc)[注釈 1] 、およびL20型SUツインキャブ(レギュラー/有鉛ハイオク)が加わり、3機種5仕様となる。なお、G20型SUツインキャブ仕様は前期「2000GX」にのみ搭載された。
- 1973年10月 - マイナーチェンジ。ローレル初の3ナンバー車となる、直列6気筒 SOHC L26型エンジン (2,565cc) を搭載する「2600SGL」を追加。セダンではグリルの模様から、怪獣のデザインをモチーフにした「ガメラローレル」の愛称も生まれた。
- 1975年9月 - 昭和50年排出ガス規制に対応するため、L26型エンジンを2.8LのL28型へ変更。
- 1975年10月 - 1.8Lおよび2.0Lが昭和50年排出ガス規制に適合。燃料供給をEGIに変更したL20E型エンジン搭載車を追加。排出ガス規制の困難な2.0Lのツインキャブ車(6気筒、4気筒共に)と4気筒2.0L車[注釈 2](G20エンジン搭載車)は廃止され、4気筒エンジンはL18に集約された。
- 1976年2月 - L20E型エンジンが昭和51年排出ガス規制に適合。6月、1.8Lおよび2.0Lキャブレター仕様が昭和51年排出ガス規制に適合。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は34万9708台[6]
3代目 C230型系(1977年 - 1980年)[編集]
日産・ローレル(3代目) C230型系 | |
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4ドアハードトップ 2800SGL(前期型) 4ドアハードトップ (後期型) | |
販売期間 | 1977年1月 - 1980年 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 2 / 4ドアハードトップ |
エンジン |
直6 2.8/2.0L 直4 1.8L 直4 ディーゼル2.0L |
駆動方式 | FR |
変速機 |
3速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム / 4リンクリジッド |
全長 | 4,625mm |
全幅 | 1,685mm |
全高 | 1,405mm |
ホイールベース | 2,670mm |
車両重量 | 1,235kg |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
データモデル | セダン2800SGL(前期型) |
-自動車のスペック表- |
- 1977年1月 - C230型にモデルチェンジ。先代の流れを汲んでキープコンセプトとなったが、デザイン的にはより重厚感を強調したものとなっている。ハイオーナーカーにふさわしい豪華なインテリアと居住性を確保。ボディバリエーションは4ドアセダンと、この代で新設定された4ドアハードトップ、および2ドアハードトップ。搭載エンジンは直列4気筒SOHC1.8LのL18型、直列6気筒SOHCのL20型、L20E(電子燃料噴射)型、L28型。イメージキャラクターにはプロテニスプレーヤーの石黒修が起用された。CMソングは福沢恵介の「風が変わる朝に」である。
- 1978年1月 - 発売10周年記念特別限定車で深紅の車体色を特別に採用した「深紅のローレル」を発売。他にアルミホイールとフロントグリルのカーバッジを装備。
- 1978年11月 - マイナーチェンジ。ヘッドライトが規格型の角形4灯式になる。オートエアコン装備の最高級グレード「メダリスト」(Medalist)およびSD20型 直列4気筒OHV2.0Lディーゼルエンジン搭載車を追加。1.8L車はZ18型に変更。ガソリン車昭和53年排出ガス規制適合。
- 1979年10月 - 4気筒2.0Lガソリン車(Z20型)とディーゼル車にSGLグレードを設定し、AT仕様を追加。
- 1980年2月 - ハードトップのメダリストに電動サンルーフをオプション設定。ローレル初のサンルーフ車となる。
- 1980年7月 - 限定車「メダリスト」「ザ・クオリティ」を発売。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は31万6898台[7]
4代目 C31型系(1980年 - 1984年)[編集]
日産・ローレル(4代目) C31型系 | |
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セダン(前期型) 1980年11月 - 1982年9月 ハードトップ(後期型) 1982年9月 - 1984年10月 | |
販売期間 | 1980年11月 - 1984年 |
設計統括 | 桜井眞一郎 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 4ドアハードトップ |
エンジン |
L28E型 2.8L 直6 L20ET型 2.0L 直6 ターボ L20E型 2.0L 直6 Z20S型 2.0L 直4 Z18S→CA18S型 1.8L 直4 LD28型 ディーゼル2.8L 直6 LD20型 ディーゼル2.0L 直4 |
駆動方式 | FR |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム / 4リンクリジッド |
全長 | 4,635mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,360mm |
ホイールベース | 2,670mm |
車両重量 | 1,245kg |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル | 4ドアハードトップ2000メダリスト 5速MT(前期型) |
-自動車のスペック表- |
- 1980年11月 - C31型にモデルチェンジ。開発主管は、設計を共用していたスカイラインの開発主管と兼任の形で桜井眞一郎が務め、ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップ。デザインは、『アウトバーンの旋風(かぜ)』の広告コピーに象徴される欧州調のスタイルとなった。4ドアハードトップの空気抵抗係数(Cd値)は0.38。エンジンは4気筒モデルにZ18型、Z20型。6気筒モデルにL20型、L20E型、L20ET型、L28E型で、ローレルとしては初めてターボエンジンが搭載された。さらにディーゼルエンジンは4気筒のLD20型と6気筒のLD28型をそれぞれ搭載した。
- 1981年
- 2月 - GX仕様追加。セダンのL20E搭載車で独立懸架式リヤサスペンションを装備(当時はハードトップの6気筒ガソリン車とセダンのターボ車のみ標準装備であった)。
- 11月 - 一部改良。ターボメダリスト追加。
- 1982年
- 6月 - 一部改良。L系エンジンのエアコン装着車に冷媒警告灯を追加。
- 9月 - マイナーチェンジ。ラジエータグリルのクローム化とバンパーの大型化で押し出し感と高級感をアップ。テールランプの意匠変更。エンジンはZ18型に代わり直列4気筒OHC・1809cc CA18S型を搭載。当時の搭載エンジンはCA18S型のほかに、L20ET型、L20E型、直列4気筒SOHC・Z20S型、およびディーゼル車にLD28型とLD20型の6機種。L28E・L20(キャブ仕様)・LD20型のAT車・セダンのコラムシフト6人乗り仕様は廃止。同時に6気筒ガソリン車のAT車はオーバードライブ付のスーパートルコンに発展。CM出演はユベール・ド・ジバンシィ。キャッチコピーは「Laurel mon image」(ローレルこそ、私のイメージ)。
- 11月 - 特別仕様車「ジバンシーバージョン」発売。
- 1983年
- 2月 - 特別仕様車「50スペシャル」発売。
- 3月 - 特別仕様車「ジバンシィバージョンII」発売。
- 5月 - 特別仕様車「50スペシャルII」発売。
- 7月 - ドアミラーの採用及びフェンダーミラーを2モーター化。
- 10月 - 教習車、タクシー向けとして直列4気筒OHC・Z18P型エンジン搭載のLPG車(グレードはSTD、GL)を追加。特別仕様車「SGLグランドエクストラ」(大型カラードバンパーとメダリスト用ホイールカバーを装備)及び「50スペシャルIII」発売。
- 1984年
- 1月 - 1.8LのGLエクストラ仕様追加及び一部車種廃止。
- 2月 - 特別仕様車「ジバンシーバージョンIII」発売。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は21万20台[8]
5代目 C32型系(1984年 - 1993年)[編集]
日産・ローレル(5代目) C32型系 | |
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ハードトップ(前期型) ハードトップ(後期型) | |
販売期間 | 1984年10月 - 1993年7月 |
設計統括 | 伊藤修令 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 4ドアハードトップ |
エンジン |
VG20ET型 2.0L V6 SOHC ターボ RB20DET型 2.0L 直6 DOHC ターボ RB20E型 2.0L 直6 SOHC CA18S/CA18P型 1.8L 直4 SOHC LD28→RD28型 ディーゼル2.8L 直6 L24E型 2.4L 直6 SOHC(輸出専用モデル) |
駆動方式 | FR |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:セミトレーリングアーム / 4リンクリジッド |
全長 | 4,650mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,390mm |
ホイールベース | 2,670mm |
車両重量 | 1,360kg |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル | 4ドアハードトップV20ターボ 5速MT(前期型) |
後継 | 営業車モデル:日産・クルー |
-自動車のスペック表- |
- 1984年10月 - C32型にモデルチェンジ。キャッチフレーズは「ビバリーヒルズの共感ローレル」。開発主管は、後にスカイラインR31/32型で開発主管を務める事となる旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。ボディバリエーションは4ドアセダンと4ドアハードトップで、先代がヨーロッパ車調で苦戦したため、押し出しの強いアメリカ車調となった。世界初の電動格納式ドアミラーを装着。搭載エンジンはRB20E型直列6気筒SOHC2.0L、VG20ET型V型6気筒SOHC2.0Lターボ(歴代ローレルでは唯一のV6エンジン)、CA18S型直列4気筒(LPG仕様あり)、LD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼル。C32型よりステアリングシステムにラック&ピニオン式を採用した。日本国外への輸出は、これまでのダットサン220~280Lから正式に「日産・ローレル」(中文:日産月冠)となるが、このモデルで最後となる。主に中国・タイ・マレーシア・シンガポールなどのアジア諸国向けの輸出はセダン車のみで比較的前世代のL24E搭載車が主流であった。欧州仕様にはディーゼル車も設定。香港・中東仕様には少数ながらハードトップ車も存在した。ハードトップに関してはRB型のみでL24Eの搭載車は存在しない。CM出演は前期・後期共サックス奏者の渡辺貞夫。
- 1985年5月 - 特別仕様車グランドエクストラリミテッド発売。
- 1985年10月 - 一部改良。
- 1986年1月 - 営業車一部改良。
- 1986年10月 - マイナーチェンジで内外装を変更。RB20DET型直列6気筒DOHC2.0L 24バルブターボエンジンが新たに搭載され、ディーゼルエンジンはRD28型直列6気筒SOHC2.8Lディーゼルエンジンに変更された。
- 1987年5月 - 特別仕様車「グランドエクストラホワイトスペシャル」発売。
- 1987年8月 - 「グランドエクストラリミテッド」追加。
- 1988年2月 - 20周年記念特別仕様車スーパーメダリスト発売及び一部改良。
- 1988年5月 - 特別仕様車「ホワイトリミテッド」発売。
- 1988年9月 - スーパーセレクションシリーズ追加。
- 1988年12月 - 自家用・教習車モデル販売終了。営業車は継続で国内市場だけとなる。
- 1989年1月 - 営業車モデルのAT車にシフトロック採用。
- 1993年7月 - 営業車モデル販売終了。後継はクルー。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は25万9214台[9]
6代目 C33型系(1989年 - 1993年)[編集]
日産・ローレル(6代目) C33型系 | |
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前期型(1989年1月 - 1991年1月) 後期型(1991年1月 - 1993年) | |
販売期間 | 1989年1月 - 1993年 |
設計統括 | 佐渡山安彦 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
エンジン |
RB25DE型 2.5L 直6 DOHC RB20DET型 2.0L 直6 DOHC ターボ RB20DE型 直6 DOHC RB20E型 直6 SOHC CA18i型 1.8L 直4 SOHC RD28 ディーゼル2.8L 直6 SOHC 12バルブ |
駆動方式 | FR |
変速機 |
5速 / 4速AT 5速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
全長 | 4,690mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,365mm |
ホイールベース | 2,670mm |
車両重量 | 1,330kg |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル | メダリスト 5速MT(前期型) |
-自動車のスペック表- |
- 1988年12月 - 発表。栃木工場で製造された。
- 1989年1月 - 発売。キャッチフレーズは「時代のまんなかにいます。」。ボディは4ドアハードトップのみで[注釈 3]、歴代最後の4ドアセンターピラーレスハードトップとなる。車高が低いため室内空間が犠牲となり室内の広さは大人4人の長時間乗車に耐えうる最低限の寸法が確保されている程度のものであった。 V6エンジンが廃止され、RB20DE型、RB20DET型(以上の2つはDOHC)直列6気筒2.0L、CA18i型直列4気筒SOHC1.8L、RD28型6気筒ディーゼルを搭載。リアマルチリンクサスペンションが採用され、一部グレードにはHICAS-IIも設定。4気筒モデル (CA18i) と直列6気筒ディーゼルモデル (RD28) には教習車仕様も存在した。この時より、日本国内専用車としてシフトしている。CM出演は坂東玉三郎(1991年1月のマイナーチェンジ広告まで出演)。
- 1990年
- 1月 - 新塗色ホワイト パールツートン(2J9)及びRB20E メダリストS追加。
- 5月 - 火山灰対策を行った「火山灰仕様車」を追加。対策内容は、モール類へのダイレクトクロームメッキによる腐食対策と、ウインドウォッシャータンクの大型化(2リットル→3リットル)である。
- 9月 - 特別仕様車「RB20Eメダリスト リミテッド」及び「RD28メダリスト リミテッド・S」発売。
- 1991年
- 1月 - マイナーチェンジ。フェイスリフトが行われ、RB20E/RB20DEエンジン搭載車に5速ATを採用(RB20DETは4ATのまま)。クラブLにRB20DE搭載車を追加。また、RB20E/RD28エンジン搭載車にクラブLシリーズの内装(ベージュ本革、本木目クラスター等)を受け継いだ「メダリストセレクションL」を新設。
- 5月 - 「RB20DEメダリストセレクションS」追加。
- 8月 - 特別仕様車「グランド・リミテッド」発売。
- 11月 - 3ナンバー車のRB25DE型 直列6気筒DOHC2.5Lエンジン搭載グレードを追加。2.5L追加と同時に既存モデルはサイドドアビームとハイマウントストップランプを全車に装備。また上級グレードを中心に車種整理。
- 1992年1月 - 累計生産200万台を達成。
- 2月-累計生産200万台達成特別仕様車「メダリスト セレブレーション」を3月末まで期間限定発売。
- 5月-日産車累計生産4000万台達成記念車「RB20EメダリストクラブSセレクション」発売。
- 8月-特別仕様車「SVシリーズ」(RB25DE/RB20E/RD28メダリストSV、RB20Eメダリスト・クラブS-SV、RB20E/RD28-SV)を発売。
前述のクラブSセレクションとクラブS-SVとの違いはクラブSセレクションのベースグレードが漆塗り調クラスターのRB20Eメダリストに対して、クラブS-SVベースグレードは本木目クラスター標準装備のメダリストセレクションSがベースであった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は34万4139台[11]
7代目 C34型系(1993年 - 1997年)[編集]
日産・ローレル(7代目) C34型系 | |
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前期型 1993年1月 - 1994年1月 後期型 1994年9月 - 1997年6月 | |
販売期間 | 1993年1月 - 1997年 |
設計統括 | 小山雅夫 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
エンジン |
RB25DET型 2.5L 直6 DOHC ターボ RB25DE型 2.5L 直6 DOHC RB20DE 2.0L 直6 DOHC RB20E型 2.0L 直6 SOHC RD28型 ディーゼル2.8L 直6 |
駆動方式 | FR / 4WD |
変速機 |
5速 / 4速AT 5速MT |
サスペンション |
前:マクファーソンストラット(2WD)/マルチリンク(4WD) 後:マルチリンク |
全長 | 4,710mm |
全幅 | 1,720mm |
全高 | 1,380mm |
ホイールベース | 2,720mm |
車両重量 | 1,420kg |
ブレーキ | 4輪ディスク(Fベンチレーテッドディスク/Rディスク) |
データモデル | クラブS 5速AT(前期型) |
-自動車のスペック表- |
- 1993年1月 - モデルチェンジ。製造が村山工場に移管。キャッチフレーズは「すっきりがいい。1993年と新しいローレル」。CM出演は松方弘樹、本木雅弘[注釈 4]。全車3ナンバーとなり、ボディ形状は、側面衝突時の安全性を確保する観点から、センターピラーを加えた4ドアピラードハードトップとなる、室内空間の居住性が大幅に改善された ASCD(オートスピードコントロール)、ステアリングスイッチはメダリストV・Gセレクションにのみ装備された。クラブSには電動スーパーハイキャス、ABSが装着されたものが用意された。搭載エンジンはRB20E型、RB20DE型、RB25DE型およびRD28型。4気筒1.8Lは廃止となった。ビスカスLSD、リアマルチリンクサスペンション、電動SUPER HICASを採用、ディーゼルRD28型については3バルブヘッド(計18バルブ)が採用された。ミッションは5速MTがディーゼルメダリストのみに残り、ガソリン車のMT車は廃止。メダリスト系、20EクラブSはシート地がスーパーラッセル、メダリストJ・グランドクルーズはプレミアムトリコット、クラブSはグレーのエクセーヌとなる。メダリストV、クラブSはメーカーオプションで本革(グレー)が選べた。メダリストVには日産車およびこのクラスで初の自発光メーター(ファインビジョンメーター)を標準装備した。なお、歴代のローレルとしては唯一、ドアアウターハンドルの形状が一般的なフリップ式ではなく、欧州車の高級車クラスで常識的に採用されているグリップ式が採用されている。
- 1993年5月 - RB20E型を搭載するクラブSを追加、モデルチェンジで2.5リッター車のみとなっていたクラブSを2リッターにも追加する事で販売のテコ入れをはかった仕様。
- 1993年7月 - 日産創立60周年特別記念車追加 60周年記念キーが装備された。
- 1993年8月 - 日産創立60周年特別記念車追加
- 1994年1月 - マイナーチェンジで中期型となる。メダリスト系はグリル中央にフィニッシャーが追加され、クラブS系はスポーティタイプの新形状のフロントグリル、クラブS専用フロントバンパーを採用するなど、フロント周りのデザインを一部変更。メダリスト系とクラブS系の差別化が図られた。クラブS系にRB25DET型 直列6気筒DOHC2.5L 24バルブターボエンジン搭載車を追加。これに伴いRB20DE型 直列6気筒DOHC2.0L 24バルブエンジン搭載車が廃止。メダリスト系に大きな変更はなく、メダリストJ、グランドクルーズが廃され、メダリストL、グランドサルーンが追加された。メダリスト専用フルホイールカバーがニッサン車汎用の物になるなど一部でコストダウン化が図られている。クラブS系はターボモデルが追加され、RB25DE型エンジン搭載車以外、クラブSタイプXがそれぞれに追加された。タイプX以外のクラブSはシート地に下級グレードに採用されていたプレミアムトリコットを採用。また、オーディオのヘッドユニットがローレル専用のものから1DIN汎用タイプのものになるなど、外装専用パーツを採用する代わりにコストダウンが図られている。タイプXも前期で標準装備されていた高級スエード調のエクセーヌシートがメーカーオプションとなり、専用のダブルラッセルに変更された。
- 1994年9月 - マイナーチェンジで後期型となり、外観デザインが大幅に変更された。フロント周りは、ライト、グリル、ボンネットの変更なので前・中期とバンパーは共通(メダリスト系ターボ車はクラブS用を装着)だが、リア周りはリアテール、バンパー形状の変更によりボディに溶接されるリアフェンダーの形状が前・中期と異なる。今回のマイナーチェンジで運転席SRSエアバッグが全車標準装備となった。ローレル初の4WD車とメダリスト系ターボ車が追加。CM出演は歌手の森進一。「走ってま~す。」「いいね。いいね。」が合言葉。キャッチコピーは「ローレルのビッグチェンジ」。
- 1995年1月 - クラブSセレクションを設定。
- 1995年9月 - 特別仕様車「メダリストデュアルリミテッド」(20E)設定。運転席SRSエアバッグを全車標準装備する。CM出演は俳優の鹿賀丈史。
- 1996年5月 - 一部改良。助手席エアバッグも全車標準装備となる。これに伴いステアリングの形状が変更された。特別仕様車「セレンシアシリーズ」(25ツインカム、20E、28ディーゼル)を設定。UVカットガラス、専用のフロントグリルとシート生地が装備される。CM出演は引き続き鹿賀丈史でキャッチコピーは「愛しのセレンシア」。
- 1997年2月 - セレンシアシリーズの装備に加えてABSを標準装備した「セレンシアSV」シリーズを設定。
- 1997年5月[12] - 生産終了、在庫対応分のみの販売となる。
- 1997年6月 - 8代目と交代して販売終了。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は17万6724台[13]
8代目 C35型系(1997年 - 2003年)[編集]
日産・ローレル(8代目) C35型系 | |
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前期型 1997年6月 - 1999年8月 後期型 | |
販売期間 | 1997年6月 - 2003年1月[14] |
設計統括 | 志賀聰 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアハードトップ |
エンジン |
RB25DET型 2.5L 直6 DOHC ターボ RB25DE型 2.5L 直6 DOHC RB20DE型 2.0L 直6 DOHC RD28→RD28E型 ディーゼル2.8L 直6 |
駆動方式 | FR / 4WD |
変速機 | 4速AT |
サスペンション |
前:マルチリンク/マクファーソンストラット 後:マルチリンク |
全長 | 4,765mm |
全幅 | 1,730mm |
全高 | 1,400mm |
ホイールベース | 2,720mm |
車両重量 | 1,440kg |
ブレーキ | 4輪ディスク |
データモデル | メダリスト(前期型) |
後継 | 日産・ティアナ(事実上) |
-自動車のスペック表- |
- 1997年6月 - モデルチェンジ。スタイルは先代に対し、より傾斜の大きくなったCピラーなど、躍動感を強調したものとなった。搭載エンジンはRB20DE型、RB25DE型、RB25DET型、およびRD28型(SOHC18バルブ、C34型からのキャリーオーバー)の4機種。トランスミッションは4速ATのみ搭載。足回りはフロントがストラット式(4WD車はマルチリンク式)、リアがマルチリンク式。CM出演は俳優の佐藤浩市(ブランド終了まで。後にトヨタ・マークXのCMに出演)。
- 1997年10月 - がローレル誕生30周年を記念して特別仕様車「30THアニバーサリー」を発売。スポーティグレードの2.5L搭載「25クラブS」をベースに、サイドエアバック、前席パワーシート、CDオーディオ、15インチアルミホイールなどが装備された豪華モデル
- 1998年9月 - ターボ系に積まれるRB25DETが可変バルブタイミング機構を採用する「NEOストレート6」(280ps)へと進化。同時にRB20DE搭載車はリーンバーン化された。クラブSシリーズの2.5リットル車にマニュアルモード付オートマチック「デュアルマチックM-ATx」を採用。
- 1999年1月 - RB20DE型をリーンバーン化。
- 1999年8月 - マイナーチェンジ。内外装の意匠変更と共にメダリスト系にプレミアシリーズを設定。ディーゼルエンジンがRD28型から電子制御燃料噴射システムを採用したRD28E型に変更。
- 2000年6月 - 特別仕様車「NAVIエディション」を発売。2.0L「メダリスト」/2.5L「25メダリスト」をベースに、TV/ナビゲーションシステム、丸型4灯キセノンヘッドランプ(ロービーム)、15インチアルミロードホイールを装備する。
- 2001年3月 - 村山工場での生産を終了。生産拠点をC33型以来となる栃木工場へ移管。5月、RD28型エンジン搭載グレードを廃止。
- 2002年1月 - 特別仕様車「メダリスト セレンシア NAVIエディション」を発売。
- 2002年7月 - グレード整理。
- 2002年12月[15] - 平成12年排出ガス規制に対応できなかったため、生産終了。[出典無効]以後、在庫のみの対応となる。
- 2003年1月 - 販売終了。35年間のローレルの歴史に幕を閉じたが、2か月後、ローレル、およびセフィーロが開拓したマーケットを継承するかたちでティアナが登場した。
- 静岡県警察交通機動隊にパトカー仕様として覆面車が配備されていた。この車両の赤色回転灯は反転格納式ではなく、マグネット式の赤色回転灯を装備していた。また奈良県警察には警護車として反転格納式の赤色灯を装備した車両が配備されていた。
- メダリストのグレード名は後年、同社のノートで復活している。
- 中古市場に出回っているMT車はほとんどメーカー非公認であるため注意が必要である。
- 販売期間中の新車登録台数の累計は10万8177台[16]
車名の由来[編集]
英語で「月桂樹」「月桂冠」の意味であり、月桂樹はギリシャ神話の気高き樹木で、月桂冠は名誉ある地位の象徴である。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 太田昇『ブルーバード510とあの時代』二玄社刊(278-283ページ)
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第75号4ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第75号3ページより。
- ^ 日産自動車「日産ローレル(広告)」『朝日新聞縮刷版』第610巻、朝日新聞社、1972年4月、 170頁。
- ^ 日産自動車「日産ローレル(広告)」『朝日新聞縮刷版』第627巻、朝日新聞社、1973年9月、 494頁。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第19号11ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第16号15ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第14号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号13ページより。
- ^ “ローレル(日産)1988年12月~1992年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第58号5ページより。
- ^ “ローレル(日産)1993年1月~1997年5月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第60号9ページより。
- ^ “ローレル(1997年6月~2003年1月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ “ローレル(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第82号9ページより。
関連項目[編集]
- 日産・ローレルスピリット
- 日産・スカイライン - 姉妹車
- 日産・ステージア - 初代は本車種をベースとしたステーションワゴンで、型式は本車種の7代目と同じ「C34」
- 日産・セフィーロ
- 日産・ティアナ - 後継車
- トヨタ・マークII - 競合車種
- 日産・ノート - 2代目の最上級グレードに「MEDALIST」の名称が使われている。
- 日産・ブルーステージ - 前身の一つである「日産モーター店」は「ローレル販売会社」と称されていた。ただし、モーター店が所在しない地域では同じ地域の日産店(ブルーバード販売会社)にて取り扱っていた。
外部リンク[編集]
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