日立ポンパ号

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日立製作所 > ポンパ > 日立ポンパ号

日立ポンパ号(ひたちポンパごう)とは、日立家電販売株式会社[1]の依頼により、かつて日本国有鉄道(国鉄)が運行したショールーム列車。

概要[編集]

カラーテレビポンパ」を販売していた日立家電販売の依頼により、ディスカバー・ジャパンと同様電通が企画。1970年(昭和45年)10月14日から1971年(昭和46年)6月25日まで全国を回り203か所[2]で展示会を開催した。216日間[3]で約2万キロを走行し、99万人の観客が列車内部を観覧した。

列車編成[編集]

1号車:C1191日立製作所製。無火回送扱いのため、別途牽引機関車を配した。)
2号車:オハユニ6172(電源車)
3号車:オハ612028(ポンパの森と称した、カラーテレビの色の組み合わせ原理などを展示)
4号車:オハ612068(カラーテレビの製造工程のパネル展示やテレビを使ったゲーム等を展示)
5号車:オハ61562(ディスカバージャパンコーナーとして鉄道模型や日本の風景をカラースライドショーで紹介)
6号車:オハユニ6174(日立家電品の展示)

運行[編集]

1970年10月14日11時52分品川駅を発車し、南は鹿児島から北は稚内まで巡回。1971年6月25日同駅に戻り最終展示を行った。主な経路は次の通り。

名古屋(10月27日)、岐阜、福井(11月10日)、金沢(同12日)、富山(同16日)、八鹿、鳥取、米子、松江(同24日)、浜田、下関(同27日)、小倉(同29日)、以後九州各地を回り行橋(12月23日)で年内の運行を終了。翌年は笠戸からスタートし、徳山、岩国、広島(2月6日)、呉、尾道、福山、岡山。同15日に四国に渡り、同27日に本州に戻って神戸(3月2日)、大阪(3月4〜6日)、奈良、京都、和歌山、尾鷲、津、四日市、新潟、秋田、弘前、五所川原。4月10日北海道に渡り、室蘭などを経て同29日に函館を発ち青森に向かう。盛岡、仙台(5月10日)、山形、福島、高崎、松本、甲府、立川、千葉、水戸、、下館、金町、赤羽、渋谷、品川とたどった。
  • 列車には常時13人から15人、多いときには20人ほどのスタッフが乗車。マスコット「ポンパ君」の着ぐるみ劇団ピッカリ座が担当した。
  • 日立家電販売が負担した運行経費は約2,000万円だった。

脚注[編集]

  1. ^ 1991年株式会社日立家電に改称、1995年4月株式会社日立製作所に合併。
  2. ^ 展示場所はとは限らず、たとえば下関においては下関運転所が使用された。
  3. ^ 1970年10月14日から1971年6月25日までは255日間であるが、途中運行しない期間があった。

参考文献[編集]

  • 白井良和「ディスカバージャパンポンパ号西下」『鉄道ファン』No.116
  • 「ディスカバージャパン号ポンパ列車」『railfan』No.204
  • 星野勝彦「ディスカバー・ジャパン ポンパ列車」『宣伝会議』1971年11月臨時増刊
  • 「よみがえる総天然色の列車たち第2章9 国鉄ディーゼル篇<後篇> 奥井宗夫8ミリフィルム作品集」42分頃 動輪堂

関連項目[編集]