日野町事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日野町事件[1]
(日野町強盗殺人事件)[2]
場所 滋賀県蒲生郡日野町豊田[1]
座標
日付 1984年12月
死亡者 69歳の酒類販売店主[1]
テンプレートを表示

日野町事件(ひのちょうじけん)とは、1984年12月29日に滋賀県蒲生郡日野町の自営業の女性が消息を絶ち、翌年1月18日に他殺体となって発見された強盗殺人事件。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。

詳細[編集]

Bは係争期間中に胃の手術を受け、2000年5月から一時大阪の民間病院にて入院生活を送った。広島刑務所で服役中だった2010年12月から肺炎とみられる症状が出たため刑の執行を広島地検が停止し、広島市内の一般の病院に入院した[3]。だが翌年1月に先の症状により意識不明に陥り、肺炎の為同年3月18日未明に死去した[3]。75歳没[3]。死亡に伴い、再審請求審は打ち切られた。

2012年3月30日遺族が大津地裁へ第二次再審請求。同日、有罪の重要な証拠と位置づけられる金庫発見現場への引当の報告書について、添付されていた写真の順序がネガと入れ替えられた捏造である旨の報道がなされる。

2018年7月11日、大津地裁(今井輝幸裁判長)は11日、再審開始を認める決定をした[4]。 大津地裁決定は「警察官の暴行や脅迫で自白した疑いがある」と自白の信用性を否定した[5]

疑問[編集]

Aが行方不明となった当日、Bは知人宅で酒を飲み、そのまま翌朝まで寝込んでしまったというアリバイを主張するも、取り調べの警察から「殺害を認めないと(結婚予定の娘の)嫁ぎ先をガタガタにしてやる」という脅迫をされたり、反抗するなと刑事達数人がかりで殴る蹴るや鉛筆の束ねた物で突付かれる暴力を受けたり、「殺害したことを認めたら早く出られる」と言われたりしたことで、嘘の自白をしたとBは主張している。これらの主張を裏返す物的証拠は未だに発見されていない。

  • Bの自白には、秘密の暴露が一切ない。
  • Bは警察に手で被害者の首を締めたと自供しているが、遺体は舌骨右大角部の骨折があり、右顔面にも損傷があり、鑑定では直接手で締めたのではなく、紐などを使って締めた結果が出ている。
  • 次々と浮かぶ疑問に対して大津地裁は、逮捕に至るまで3年間が経過したことによる記憶違いであると主張するのみで、Bが犯人だという決定的な証拠が皆無であること。

出典[編集]

  1. ^ a b c 「父の無念晴らし、名誉回復のため戦う」家族が決意 第2次再審請求へ”. 滋賀報知新聞. 滋賀報知新聞社 (2011年12月16日). 2018年7月11日閲覧。
  2. ^ 日野町強盗殺人事件”. 朝日新聞. 朝日新聞社 (2006年3月28日). 2018年7月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g “日野町事件 再審請求の受刑者病死”. 京都新聞. (2011年3月22日) 
  4. ^ “滋賀・日野町事件再審開始認める 大津地裁、強殺で無期懲役 - 共同通信” (日本語). https://this.kiji.is/389652403420988513 2018年7月11日閲覧。 
  5. ^ “「警察官の暴行や脅迫で自白」と信用性否定 - 共同通信” (日本語). https://this.kiji.is/389658785453458529 2018年7月11日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 吉屋行夫 『白い波 - 冤罪 滋賀・日野町強盗殺人事件』 光陽出版社、2004年。