早瀬太郎三郎

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早瀬 太郎三郎(はやせ たろさぶろう、1884年明治17年)3月4日[1] - 没年不明)は、日本商人質商[2][3]、大阪府多額納税者[4][5][6]資産家[7]実業家。桐花興業社長[4][6]。大阪土地協会会長[6]。大神中央土地、木津川土地運河、八馬汽船取締役[1][8]。東北興業、九州石炭鉱業、早瀬塗料店、東洋ベアリング呉羽紡績監査役[6][9]。前名・為治郎[2]、あるいは為次郎[4][6]

人物[編集]

大阪府大阪市東区横堀五丁目生まれ[10]。早瀬太郎三郎の長男[3][6]大阪府立堂島中学校に入り、1902年に卒業[10]、先代太郎三郎の病没により、家督を相続し、前名・為次郎を改め襲名した[6][10]1907年早稲田大学商科卒業[6][11]。「今木屋」と称し、貸地業を営み、傍ら会社の重役であった[6]

趣味は邦楽、読書、スポーツ、旅行[1]、打球[4]ゴルフ謡曲長唄テニス[6]。宗教は真宗[1][4][6]

家族・親族[編集]

早瀬家

兵庫県芦屋市山手町[1]大阪府大阪市東区横堀[2]、同区瓦町[4][6][9]

早瀬家は屋号を「今木屋」と称し、その祖先は泉州の出である[10]。初め材木商を営んでいたが、初代多兵衛の後、五代目太郎兵衛に至り、配偶として京都の濱島の娘を迎えて以来、家風が貴族的に変じ、為に商業を中断したが、六代目太郎兵衛に至り、再度材木問屋を開始し、以来数代を経て傍ら砂糖問屋、出版業、金貸業等を営み、太郎三郎に至り家業を廃し、大阪市政に関与し公共事業に尽くした[10]
  • 父・太郎三郎(大阪平民[9]
  • 母・ツキ(大阪、深澤宗吉の二女)[2][9]
1862年 -
  • 弟・太三(分家、桐花興業取締役)[8]
1892年 -
  • 同妻・郁子(大阪、浮田忠治郎の三女)[9]
1894年 -
  • 妹・千代(大阪、木村松之助の妻)[3]
  • 妻・喜美(兵庫、八馬兼介の姉[6]八馬永蔵の長女[10]
1892年 -
1918年 -
  • 長女・恵美(弘世正方の妻)[1][6]
1912年 -
親戚

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』は700頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第3版』は65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月19日閲覧。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第4版』は43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ハ82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月19日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第13版 下』ハ87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月17日閲覧。
  7. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月18日閲覧。
  8. ^ a b 『人事興信録 第7版』は46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月18日閲覧。
  9. ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』は45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月18日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 『大正人名辞典』1500頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月20日閲覧。
  11. ^ 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』329頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』早稲田大学校友会、1915-1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。