明大寺町

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明大寺町
自然科学研究機構(山手キャンパス)
自然科学研究機構(山手キャンパス)
明大寺町の位置(愛知県内)
明大寺町
明大寺町
明大寺町の位置
北緯34度56分52.01秒 東経137度10分8.6秒 / 北緯34.9477806度 東経137.169056度 / 34.9477806; 137.169056
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Aichi Prefecture.svg 愛知県
市町村 Flag of Okazaki, Aichi.svg 岡崎市
地区 本庁地区
面積
 • 合計 0.855457912km2
人口
2019年令和元年)5月1日現在)[2]
 • 合計 9,659人
 • 密度 11,000/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-0869(字出口)[3]
444-0866(字仲ケ入)[4]
444-0867(字西郷中)[5]
444-0868(字馬場東)[6]
444-0865(字大圦)[7]
444-0864(その他)[8]
市外局番 0564(岡崎MA[9]
ナンバープレート 岡崎

明大寺町(みょうだいじちょう)は、愛知県岡崎市町名である。

地理[編集]

岡崎市中心部に位置し、4つの飛地に分かれる。北側の町境には乙川が流れており、北側は岡崎市中心街、南側は住宅地を主に形成している。

河川[編集]

小字[編集]

世帯数と人口[編集]

2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
明大寺町 4,350世帯 9,659人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移

1995年(平成7年) 7,325人 [10]
2000年(平成12年) 7,799人 [11]
2005年(平成17年) 8,132人 [12]
2010年(平成22年) 8,349人 [13]
2015年(平成27年) 9,581人 [14]

学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[16]

字・区域 小学校 中学校 高等学校
字池下、字沖折戸、字折戸
字義路、字栗林、字銭堤
字茶園・字向山のうち通称南明大寺2区
字野畔、字諸神16~22番地
字諸神45~74番地、字山畔
岡崎市立六名小学校 岡崎市立竜海中学校 三河学区
字川端、字耳取、字馬場東
字上郷中、字下郷中、字衣下道
字仲ケ入、字出口、字天白前
字河原、字中道、字荒井
字北中平地、字東中平地
字硯田、字東山、字麝香塚
字池上、字山畑、字伝馬
字宮ノ圦、字京ケ峰、字八重茶ノ木
字奥山、字南山新切、字中新切
字法丈坂、字二本木、字塚東
字踊山、字的場、字寺東
字門前、字沢田、字西郷中
字菩提円
字諸神1~15番地・23~44番地
字奈良井、字狐塚、字畔土
字西長峰、字東長峰、字道城ケ入
字茶園・字向山のうち通称南明大寺3区
字長泉
岡崎市立三島小学校
字兎ケ入、字大圦 岡崎市立竜美丘小学校

歴史[編集]

額田郡明大寺村の前身とする。かつては「妙大寺」や「妙台寺」の表記もみられた。

三河に西郷氏の名が登場するのは延文元年(1356年)とされ、これが史料上の初見となっている。明大寺城が西郷弾正左衛門稠頼(清海入道)によって築かれる80年ほど前の事である。

さらに20年さかのぼる建武3年(1336年)2月、京都で足利尊氏が新田義貞に敗れて九州へ落ちたが、この時の尊氏随行の臣に仁木義長がいた。尊氏は九州で再挙して4月には東上を開始したが、仁木義長は六月まで九州に留まり菊池勢を攻略してから上洛、尊氏に合流している。この時に肥前出身の西郷氏が仁木義長に随従して行動を共にしたとされる。

この後、仁木義長は足利幕府草創の功臣として伊勢、伊賀、志摩、遠江、三河などの守護職を兼任して権勢を誇ったが、この時に守護代として西郷氏が三河入りした見られている。時期は義長が三河守護となった観応2年(1351年)頃とされる。そして史料初見の延文元年(1356年)となるのである。延文5年(1360年)には仁木義長が細川、土岐、畠山の三氏による討伐を受けるという事態が起こるが、この時に西郷弾正左衛門尉が五百余騎を率いて畠山国清勢を三河国矢矧に防いだことが伝えられている。結局は西郷氏は畠山勢とそれに協力する軍勢によって蹴散らされてしまう。仁木義長が伊勢国長野城に籠城したのを受けて西郷氏も伊勢に落去したとも言われるがよく分らないようだ。

その西郷氏が約80年後の永享年間(1429-41年)にここ明大寺村に居城を築いたとして忽然と三河の地に登場するのである。一般的には明大寺村の南約8kmの額田郡大草郷から移ってきたとされるが確証はない。

明大寺村に居城を築いた西郷稠頼は享徳元年(1452年)に菅生川(乙川)北岸の龍頭山に砦の構築を始め、康正元年(1455年)に完成した。この頃、岩津を拠点として勢力を伸張する松平氏が台頭しており、西郷氏の砦構築はこれに対応したものと見られている。東海道の便を確保するためであったことは言うまでもない。

町名の由来[編集]

かつてあったとされる妙大寺の寺号による[17]

沿革[編集]

町名の変遷[編集]

成立時 1933 1957 1980 1988 1996 現行
久後崎町 久後崎町 久後崎町 久後崎町
明大寺本町 明大寺本町 明大寺本町
明大寺町 明大寺町
明大寺町(残部) 明大寺町
朝日町 朝日町
明大寺町(一部) 上明大寺町 上明大寺町
吹矢町 吹矢町
明大寺町(一部) 竜美北1丁目 竜美北1丁目
竜美北2丁目 竜美北2丁目
竜美中1丁目 竜美中1丁目
竜美中2丁目 竜美中2丁目
竜美西1丁目 竜美西1丁目
竜美西2丁目(一部) 竜美西2丁目
竜美南1丁目(一部) 竜美南1丁目
竜美南2丁目 竜美南2丁目
竜美南3丁目 竜美南3丁目
竜美南4丁目(一部) 竜美南4丁目
竜美台1丁目 竜美台1丁目
大平町(一部) 大平町(一部) 1941年成立
大西町(全域)
竜美台2丁目 竜美台2丁目
大西町(残部) 大西町(残部)
六名町 六名町 六名町 六名町
上六名3丁目 上六名3丁目
明大寺町(一部) 明大寺町(一部) 上六名3丁目
上六名町 上六名町 上六名3丁目
上六名町 上六名町 上六名町
竜美西2丁目(一部) 竜美西2丁目(一部)
南明大寺町 南明大寺町
明大寺町(一部) 明大寺町(一部)
明大寺町字大圦 竜美大入町1丁目・2丁目 竜美大入町1丁目・2丁目
明大寺町(一部) 竜美南1丁目(一部)
竜美南4丁目(一部)

史跡[編集]

  • 龍海院遺跡
  • 西郷塚第1号墳
  • 西郷塚第2号墳
  • 西郷塚第3号墳
  • 東長峰第1号墳
  • 仲ヶ入第1号墳
  • 仲ヶ入第2号墳
  • 栗林古墳
  • 大圦第1号墳
  • 大圦第2号墳
  • 大圦第3号墳
  • 大圦第4号墳
  • 大圦第5号墳

施設[編集]

六所の森公園
三河教育会館
諸神神社
吉祥院

司法[編集]

裁判所
弁護士会
刑務所

教育[編集]

交通[編集]

道路[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

都市計画道路岡崎環状線[編集]

竜美北二丁目交差点(竜美丘ポプラ通りの北端)

岡崎市では現在、明大寺町字大圦の主要地方道岡崎刈谷線を起点に北進し、乙川を越えて国道1号と接続し、市内の中心部付近と市街地外縁を結ぶ全長約15.9キロの都市計画道路「岡崎環状線」の整備事業が行われている。

そのうち全体の約90パーセントにあたる14.2キロメートルが開通している。竜美丘ポプラ通り北端の「竜美北二丁目交差点」から名鉄本線、乙川を越えて「朝日町3丁目交差点」に至るまでの区間はまだ整備されていない。「竜美北二丁目交差点」から乙川まではすべて明大寺町の区域内である[25][26]

その他[編集]

日本郵便[編集]

  • 集配担当する郵便局は以下の通りである[27]
郵便番号 郵便局
字出口 444-0869[3] 岡崎郵便局
字仲ケ入 444-0866[4]
字西郷中 444-0867[5]
字馬場東 444-0868[6]
字大圦 444-0865[7]
その他 444-0864[8]

脚注[編集]

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  1. ^ 愛知県岡崎市の町丁・字一覧” (日本語). 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
  2. ^ a b 支所・町別人口・世帯集計表(各月1日現在) Page white excel.png (XLS)” (日本語). 岡崎市(統計ポータルサイト) (2019年5月1日). 2019年5月19日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  4. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  5. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  6. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  7. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  8. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
  9. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 2019年3月23日閲覧。
  11. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 2019年3月23日閲覧。
  13. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 2019年3月23日閲覧。
  14. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 2019年3月23日閲覧。
  15. ^ 岡崎市立小中学校通学区域”. 岡崎市 (2018年6月9日). 2019年5月19日閲覧。
  16. ^ 平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
  17. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1310.
  18. ^ a b 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 642.
  19. ^ a b c d e 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 643.
  20. ^ 新編岡崎市史編さん委員会 1983, p. 98.
  21. ^ a b 組合施行土地区画整理事業”. 岡崎市. 2018年11月2日閲覧。
  22. ^ 新編岡崎市史編さん委員会 1983, p. 99.
  23. ^ a b c 4 新旧町名対照一覧表”. 岡崎市. 2016年1月20日閲覧。
  24. ^ 「自動車交通量の検証」岡崎市
  25. ^ 都市計画道路岡崎環状線 | 岡崎市ホームページ
  26. ^ “乙川架橋南北を先行 今年度 用地測量と補償調査”. 東海愛知新聞. (2008年4月25日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/2008tokai/080425.html 2018年11月25日閲覧。 
  27. ^ 郵便番号簿 2018年度版 (PDF)” (日本語). 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。

参考資料[編集]

  • 角川日本地名大辞典 23 愛知県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1989年。
  • 日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。
  • 『新編岡崎市史 資料 現代 11』新編岡崎市史編さん委員会、1983年。
  • 『新編岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年。

関連項目[編集]