明石照子

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あかし てるこ
明石 照子
本名 松見 孝子
生年月日 (1929-02-25) 1929年2月25日
没年月日 (1985-12-31) 1985年12月31日(56歳没)
出生地 日本の旗日本兵庫県神戸市
民族 日本人
身長 162cm
職業 女優
ジャンル 宝塚歌劇団演劇
活動期間 1946年-1985年
受賞
芸術祭賞1962年)テアトロン賞(1962年

明石 照子(あかし てるこ、本名:松見 孝子(まつみ たかこ)、旧姓:村上[1]1929年2月25日 - 1985年12月31日)は、日本女優で、元宝塚歌劇団雪組男役トップスター。 愛称はテーリー兵庫県神戸市出身。出身校は大阪桜蘭女学校、宝塚歌劇団時代の公称身長162センチ。

略歴[編集]

  • 1941年宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は10人中1位[2]。当時は戦時下で、1944年に宝塚歌劇も活動休止になったこともあり、終戦までは勤労動員として工場で勤務していた。
  • 終戦後、1946年に初舞台を踏む。宝塚歌劇団31期生。同期には三鷹恵子、千代薫らがいる。
  • 1962年、『火の島』で芸術祭賞、テアトロン賞を受賞し、同年の7月30日[2]、結婚のため退団した。最終出演公演の演目は星組東京宝塚劇場公演『メイド・イン・ニッポン[2]』である。
  • 退団後は東宝芸能部に所属し、女優として演劇舞台を中心に活動していた。
  • 1985年12月31日、56歳で死去。
  • 2014年、宝塚歌劇の殿堂に最初の100人のひとりとして殿堂入り。

宝塚歌劇団時代の主な舞台[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『宝塚 幻のラインダンス -戦争で夢が消えた乙女たち-』著者:辻則彦、神戸新聞総合出版センター、2014年10月、P33。ISBN 9784343006424
  2. ^ a b c 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』監修:小林公一阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、P39。ISBN 9784484146010

関連項目[編集]