時空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

時空(じくう、: spacetime)は、時間空間を合わせて表現する物理学の用語、または、時間と空間を同時に、場合によっては相互に関連したものとして扱う概念である。時空間time and space)とも。

概要[編集]

ニュートンは、この宇宙の時空は絶対的なもの(「絶対時間と絶対空間」、「ニュートン時空」などとも)であるとした。その時空では、空間は物理現象が起きる入れ物である3次元ユークリッド空間で、時間はそれとは独立した宇宙のどこでも一様に刻まれるものである。しかしニュートンには光学に関する研究と著作『光学』もあることなどから、これをニュートンの運動方程式などを構築するための単なる仮定だとする見方もある。

アインシュタイン相対性理論により、この宇宙観は一変した。特殊相対性理論では、(相対)速度が光速に近い場合の時間と空間に関する変換は、ニュートン的な時空を前提としたガリレイ変換ではなく、時間と空間が入り混じるローレンツ変換でなければならないことを示した。また、そのような、相対論が示す時空を「ミンコフスキー時空」と言う。一般相対性理論では、時空は物質の存在によって歪み、この歪みが重力の正体であることが説明された(電磁場とともにの概念で扱われる)。どちらの概念も、現代物理学では標準として受け入れられている。

の理論の量子化(場の量子論)では、余剰次元という概念が使われることがある。この分野の理論には、超弦理論などがある。不確定性原理を時空に当てはめるならば、時空の大きさがプランク長程度のものを考えるとき、時空自身は、存在時間がプランク時間程度で生成・消滅する物理的対象となる。このような描像は、時空泡 (space‐time foam) と呼ばれ、1955年にジョン・ホイーラーによって提案されている。また、1999年にリサ・ランドールラマン・サンドラムによって提案されたブレーンワールドモデルは、『我々の住む4次元時空は、重力だけが伝播できる5次元時空中の膜のような4次元断面である』と考えるものである。

 上記のような時空の捉え方は最早時空を場や物質的存在(ε=γmc^2)とは無関係な空や無の部分・場所という思考から離れてきている。つまりニュートン的絶対空間・時間自体を3・4次元性の担い手とするものではなく、物質や場の特性とみなす方向にあると捉えることができる。結局一般相対論的立場は時空特性を重力を含む内在実体量(物質・場)に帰着させる方向にあると捉え得る(超ひもと背後の時空の関係問題)。  重力源の存在に基づく時空の湾曲は特殊段階までの一様対称時空像を一変し、時空の原理的非一様への転換を意味する。計量tensorの2階微分の領域にまで立ち入っての局所区別(g≠g’)は特殊段階が一般段階思考の近似止まりであることを明示するものであり、重力源の内在容認は「現実の時空はε量的場とその凝集点としての物質(粒子)からなる実体的存在である」として前段階までの抽象的数学的時空像の再考を促がしているものとと言えよう。  つまり、「a prioriな空なる空間の3D特性・時間という抽象理論の枠組自体の由来と内在実体量である場・粒子の関係の明確化」であり、これは「固有時とその大きさ≠0の担い手・主体粒子との関係解明」や,「光速cの主体光子の抽象座標系との関係の解釈問題」でもあるとも捉えられる。

重力(源)の内在による時空の湾曲は、物質や場とは無関係とする特殊段階までの一様対称時空像に根底からの再吟味を要請するもの。0・v両系も0→vまでへの加速前後の2定常状態と捉えるなら、両局所での系全ε量は明らかに不同であり(cf.ε=ɤmc^2)、時空をbaseにその表象として成立する座標系は各局所状態を反映して最早原理的に同一不変ではあり得ない。この事情は計量の2階微分にまで立ち入ってのg≠g’区別に相当する。

 こうした局所区別は単位量の存在なしにはあり得ない。つまり隣接点との区別は単位のcount数差であり、これはどこも区別しない一様対称時空像にはなじまず、その成立には内在質量無視(質点の大きさ0視)は不可避だった。唯、内在量の無視は物質内在の現実時空からは遊離した不十分なものであることは明らかで、一般相対論の”時空・事象関連容認思考”はこの状況からの離脱を志向したものと捉え得る。

 物理学にとって数学は事象解明の手段であり、時空座標系は対象事象の特性を反映していなくては役立たない。つまり「時空特性は事象特性に起源する」ということで、「”空”にa prioriな属性でない」ことは高次元化も事象解明に必要な要請に基づくという事情からも明らかであろう。  無限次元まで可能な数学的空間で3Dに特定されるのは3D的存在を処理する場であったからであり(cf.3Dまでの幾何学の存在!)、時間経過もそうした対象の変化・変位(cf.天体の就航・時計)によらぬ時間自身での説明はtautologyに陥るだけでないか。理論の基盤枠組に説明不可のa priori性が残存する限り全体像の不透明さが払拭されない。  全時空に亘る原理的一様性拒否は同一scalarの一義性拒否をももたらすことに(実用的・技術的側面は不可避的に近似を超え得ない)。  計測器(時計・物差;計測者)も対象と同比で局所状態の影響を受けることで、両局所系間の不変関係も「各系毎の基準1による同形・同一数値」に移行、時間の遅れ・長さの短縮も曖昧な”みかけ”議論を離れ「系毎の基準尺度1の違い」で説明されることに。 抽象場はそのまま現実ではなく、対応する現実の存在が前提にある(この点で空想とは異なる)。

 一般相対論段階での「時空・事象の関連容認」は理論の一貫性から「basic局面での問題でもある」ことに(そうでないなら別の理論)。 これは「測地線の式は時空(場)の状態に即応しながら運動する質点の運動方程式ともみなせる」という事情にも相応と言えよう(ex.「時空と重力」(藤井保憲)p.127「相対性理論」(中野董夫)p.190∼)。  つまり「時空と事象は相互に影響し合う」ということ以前に、両者は本来同根であり「ε量的eventを時空・事象2つの側面で捉えてきたたもの」と言えるのでないか。時空は事象存在の場どまりであり、その運動・位置を記述する抽象座標系は事象・物質特性を反映しての成立であるべき事情を考えるなら、4D特性は物質粒子を含むε量事象に起因とすべきで、抽象時空座標系優先ではa priori性を免れ得ない。

 一般相対論の立場では座標系に表われるcdt項のcはdx項などとの[物理元]合わせ以上の意味をもつ。1sec.当たりの長さとしてそれは座標系が表象する実体的な場の計測基準単位とみなせることでdt(従ってまたdx等)は単なるそのcount数となり、従来の時間・空間の抽象的・数学的性格が顕わになるという点で。  つまりcの主体・光(子)が局所毎の座標系時空のbaseにあることで座標系上の数値はε量的対象と関連するものであることがハッキリする。 この点で時空内在物質・場との関係無視で成立の大域的一様時空下の特殊億種段階までの時空とは大いに異なるのに、立ち入った議論がなされてきていない。 こうした数値とε量的対象との関係は既に単位的な固有時主体とdt時間系との関係にもみてとれるものだ。

関連項目[編集]