晏玉ソウ

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晏玉琮
生誕 1905年12月8日[1]
清の旗 貴州省竜里県
死没 (1980-02-15) 1980年2月15日(74歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所属組織 Republic of China Air Forces Flag (1937).svg 中華民国空軍
最終階級 空軍中将
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晏 玉琮(あん ぎょくそう)は、中華民国空軍軍人。号は琮林。

経歴[編集]

1925年、雲南航空学校第1期卒業。国民党の北伐に参加[2]

1929年、中央陸軍軍官学校航空班飛行教官[3]

1929年11月26日、軍政部航空署航空第1隊(隊長:高在田)飛機師[4]

1930年7月15日、軍政部航空第1隊(隊長:張有谷)副隊長[5](中校[6])。

1930年12月15日、軍政部航空第1隊隊長[7]

1932年10月、中央航空学校教育処副処長。後に教育処長に昇進[3]

1933年7月18日、軍政部航空第2隊隊長[8](空軍少校上級[9])。

1935年9月7日、空軍中校[10]

1936年10月、空軍第8大隊長[11]。1937年5月、航空委員会第2処(教育処)処長[12]

1939年5月、空軍軍士学校教育長[13]。同年夏、轟炸総隊総隊長を兼任するが、軍士学校の業務により多忙であり、後に邢剷非が総隊長となった[14]

1940年7月19日、空軍上校[15]

1942年7月、陸軍大学特別班第5期卒業[16]

1943年2月、空軍第5路司令官[17]。また雲南辺防副司令、雲南防空副司令兼任。

1946年9月、重慶の空軍第5軍区司令官[18]

1947年、西南空軍司令[19]

1948年9月22日、空軍少将[20]

国共内戦末期の1949年11月末、国庫金を輸送機で回収すべく重慶を訪れた呉嵩慶に家族も共に台湾へ連れていくよう頼み、1万ドルと引き換えに要求をのませた[21]。台湾に脱出する直前、重慶白市驛機場中国語版の戦闘機4機と高等練習機6機を爆破した。

1957年4月、空軍総司令部諮議室主席諮議官[22]。1958年5月15日、台湾警備総司令部中国語版副総司令(李立柏との2人制)[23]

1960年代に退役し、家族とともに渡米。大年三十(大晦日)の日、食卓で脳溢血で倒れ死去[24]

栄典[編集]

出典[編集]

  1. ^ 陸海空軍軍官佐任官名簿 Part3 (PDF)” (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 136. 2018年2月27日閲覧。
  2. ^ 李 1973, p. 100.
  3. ^ a b 国民党中央航空学校教育系统与管理体制述略 (PDF)” (中国語). 2017年11月19日閲覧。
  4. ^ 国民政府広報令 330号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月19日閲覧。
  5. ^ 国民政府広報令 521号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月19日閲覧。
  6. ^ 国民政府広報第521号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月22日閲覧。
  7. ^ 国民政府広報令 649号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月19日閲覧。
  8. ^ 国民政府広報令 1186号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月19日閲覧。
  9. ^ 国民政府広報第1187号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月22日閲覧。
  10. ^ 国民政府広報令 1840号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年11月19日閲覧。
  11. ^ 盧 1974, p. 69.
  12. ^ 馬 1994, p. 414.
  13. ^ 盧 1974, p. 232.
  14. ^ 盧 1974, p. 203.
  15. ^ 国民政府広報 渝字第276号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。
  16. ^ 中国黄埔軍校網. “陆军大学校发展始末” (中国語). 2017年11月19日閲覧。
  17. ^ 盧 1974, p. 261.
  18. ^ 盧 1974, p. 288.
  19. ^ 文 2006, p. 182.
  20. ^ 総統府広報 第107号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。
  21. ^ “黄金运台负责人之子:蒋介石当年带走多少黄金”. 凤凰网. (2010年3月12日). http://news.ifeng.com/history/special/goldtaiwan/content/detail_2010_03/12/366915_5.shtml 2017年12月11日閲覧。 
  22. ^ 一般資料—民國四十六年(002-080200-00353-034)” (中国語). 典蔵台湾. 2017年11月19日閲覧。
  23. ^ 黃鎮球” (中国語). 国家文化資料庫. 2017年12月2日閲覧。
  24. ^ 黔人晏玉琮将军记略” (中国語). 中华晏氏网. 2017年12月2日閲覧。
  25. ^ 国民政府広報第2243号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。
  26. ^ 国民政府広報渝字第612号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。
  27. ^ 国民政府広報渝字第701号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。
  28. ^ 国民政府広報 渝字第929号 (PDF)” (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 文闻 編 (2006). 旧中国空军秘档. 中国文史出版社. 
  • 马毓福編著 (1994). 1908-1949中国军事航空. 航空工业出版社. 
  • 盧克彰編著 (1974). 空軍建軍史話. 空軍總部政治作戰部. 
  • 李天民 (1973). 中國航空掌故. 中國的空軍出版社. 
軍職
先代:
張有谷
航空第1隊隊長
第3代:1930.12.15 - 1932.10
次代:
邢剷非
先代:
石邦藩
航空第2隊隊長
第4代:1933.7.18 - 1934
次代:
王叔銘
先代:
なし
空軍第8大隊長
初代:1936.10 - 1937.5
次代:
謝莽
先代:
黄秉衡
航空委員会第2処処長
第2代:1937.5 - 1938.3
次代:
なし
先代:
?
空軍軍士学校教育長
第3代?:1939.5 - 1941
次代:
劉炯光?
先代:
なし
轟炸総隊総隊長
初代:1939 - ?
次代:
邢剷非
先代:
王叔銘
空軍第5路司令官
第2代:1943.2 - 1946
次代:
なし