有馬 (川崎市)
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有馬 | |
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![]() 中央公園と住民 | |
北緯35度34分34.84秒 東経139度35分7.63秒 / 北緯35.5763444度 東経139.5854528度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 宮前区 |
面積 | |
• 合計 | 1.523km2 |
人口 | |
• 合計 | 22,168人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
216-0003[3] |
市外局番 | 044 (川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
有馬(ありま)は、神奈川県川崎市宮前区の町名。現行行政地名は有馬一丁目から有馬九丁目で、住居表示実施済み区域[5]。郵便番号は216-0003[3]。面積は1.52km2[1]。
地理[編集]
宮前区の南部に位置し、国道246号が域内を横断している。一帯は多摩田園都市の一部として住宅地となっているが、わずかに果樹園などもみられる[6]。また、宮前区唯一の高等学校である神奈川県立川崎北高等学校も所在している。
北西部~北部では国道246号とその旧道を境界として、鷺沼、小台や馬絹と、東部では東有馬と接する。南部では横浜市都筑区のすみれが丘・牛久保・牛久保町・あゆみが丘と接する(特記のない町名は宮前区所属)。
地価[編集]
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、有馬1-15-15の地点で29万6000円/m2となっている。[7]
歴史[編集]
「有馬」の名は1559年(永禄2年)、小田原北条氏の家人、窪田氏の所領として登場する[8][9][10]。その後、江戸時代には「有間」と表記されたが、明治以降は「有馬」に戻っている[8][10][注釈 1]。
江戸時代には、新編武蔵風土記稿に、家が96件あり、それが東西に散在している旨が書かれている[11]が、そのうち西側が現在の有馬にあたる[9]。また、泥田のため苗代を使わない稲作が行われていた[6][8][11]ほか、水源が谷間の清水しかないため、二箇所のため池を作っていた[8][10][注釈 2]など、稲作に苦労する土地であり、副業として炭焼きも行われていた[6][8][9][11]。また、江戸時代を通じて旗本の曽根氏と遠山氏の相給であったが、新田は天領となった[12]。
明治以降は養蚕も行われ[12]、大正時代にはクリが名産となったり[6][12]、野菜の栽培も行われるようになっていったが[6][8]、戦時中には多くの土地が軍用地として接収された。戦後には軍用地も返還されたが、その直後に多摩田園都市計画が始まり、農地のほとんどが宅地へと変貌を遂げていった。
名称の由来[編集]
下記のようないくつかの説があるものの、はっきりとはしていない[9][10]。
沿革[編集]
- 1559年(永禄2年) - 小田原北条氏の家人、窪田氏の所領となっていた。
- 江戸時代 - 矢倉沢往還が整備される。
- 天保期以降 - 川崎宿の加助郷を務める[12]。
- 1868年(明治元年)12月 - 神奈川県所属となる。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、当地は第5大区第5小区に属する。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により、有馬村など5村が合併して宮前村が成立。有馬はその大字となる。
- 1938年(昭和13年) - 宮前村が川崎市に編入。川崎市有馬となる。
- 1940年(昭和15年) - 軍用地として一部が接収される。
- 1951年(昭和26年) - 解放された軍用地が宮崎となり、有馬から分離される。
- 1953年(昭和28年) - 多摩田園都市建設のための土地買収がスタートする。
- 1966年(昭和41年) - 東急田園都市線が長津田まで開通。有馬の一部が鷺沼として分離される。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は高津区有馬となる。
- 1974年(昭和49年) - 神奈川県立川崎北高等学校が開校。
- 1978年(昭和53年) - 一部で住居表示が施行され、高津区有馬一丁目~九丁目となる。
- 1982年(昭和57年) - 高津区から宮前区が分区。宮前区有馬ほかとなる。
- 1989年(平成元年) - 有馬の未施行地域全域で住居表示が施行され、東有馬一丁目~五丁目となる。
- 1997年(平成9年) - 宮前郵便局が開局。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
有馬一丁目 | 1,836世帯 | 3,870人 |
有馬二丁目 | 783世帯 | 1,874人 |
有馬三丁目 | 814世帯 | 1,857人 |
有馬四丁目 | 1,164世帯 | 2,644人 |
有馬五丁目 | 761世帯 | 1,755人 |
有馬六丁目 | 1,179世帯 | 2,829人 |
有馬七丁目 | 935世帯 | 2,465人 |
有馬八丁目 | 1,407世帯 | 2,985人 |
有馬九丁目 | 904世帯 | 1,889人 |
計 | 9,783世帯 | 22,168人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13][14]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
有馬一丁目 | 全域 | 川崎市立鷺沼小学校 | 川崎市立有馬中学校 |
有馬二丁目 | 全域 | 川崎市立宮崎小学校 | 川崎市立宮崎中学校 |
有馬三丁目 | 1~21番 23〜24番 | ||
その他 | 川崎市立西有馬小学校 | 川崎市立有馬中学校 | |
有馬四丁目 | 全域 | ||
有馬五丁目 | 全域 | ||
有馬六丁目 | 全域 | ||
有馬七丁目 | 全域 | ||
有馬八丁目 | 全域 | ||
有馬九丁目 | 全域 |
交通[編集]
鉄道[編集]
域内を通る鉄道はないが、至近に東急田園都市線の鷺沼駅が所在する。
バス[編集]
鷺沼駅を起点として、センター南駅、東急バス東山田営業所、武蔵小杉駅、梶が谷駅など各方面を結ぶバスが当地を通過している。
道路[編集]
施設[編集]
- 宮前郵便局(ゆうちょ銀行宮前店を併設)
- 神奈川県立川崎北高等学校
- 川崎市立有馬中学校
- 川崎市立西有馬小学校
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ a b “町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
- ^ “区別町名一覧表”. 川崎市. 2018年2月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 前川(1997)、P86~87
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d e f g h 角川(1984)、P88
- ^ a b c d e f 川崎市(1991)、P193~194
- ^ a b c d e f 川崎市(2004)、P14
- ^ a b c d e f 新編武蔵風土記稿.
- ^ a b c d 川崎市(2004)、P15
- ^ “川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
- ^ “川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
参考文献[編集]
- 「稲毛領 有間村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ62橘樹郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763983/94。
- 「川崎地名辞典(下)」 日本地名研究所編、川崎市発行、2004年。
- 「角川日本地名大辞典 14 神奈川県」 竹内理三編、角川書店、1984年。
- 「たちばな地名探訪」 前川清治、労働教育センター、1997年。ISBN 4-8450-0283-3
- 「川崎の町名」日本地名研究所編、川崎市発行、1991年。
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