木下俊泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

木下 俊泰(きのした としやす、享保11年(1726年) - 明和5年7月29日1768年9月9日))は、豊後日出藩の第9代藩主。

第4代藩主・木下俊量の十男。兄に俊在(第5代藩主)、俊監(第7代藩主)、俊能(第8代藩主)がいる。正室は沼田藩主・土岐頼稔の娘。官位は従五位下、大和守。幼名は千吉。通称は内蔵助。

寛延元年(1748年)、先代藩主で兄の俊能が死去したため、その跡を継いだ。公家の接待役を務めたという。俊量の男児2人はいずれも早世していたため、同族の備中足守藩主・木下利忠の娘を養女とし、これに宇都宮藩主・戸田忠余の息子俊胤を結婚させ養嗣子とした。

明和5年(1768年)7月29日、43歳で死去し、跡を俊胤が継いだ。法号は霊詳院。墓所は東京都港区高輪泉岳寺