木村公平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動

木村 公平(きむら こうへい、1905年明治38年)7月31日[1] - 1976年昭和51年)9月27日)は、日本の政治家

経歴[編集]

岐阜県出身。1929年(昭和4年)に明治大学卒業。1937年に大垣市会議員に当選して政界入り。同市会副議長を経て、岐阜県会議員選挙に立候補して同県会議員。1946年(昭和21年)衆議院議員当選。以降5選。衆院内閣委員長、第4次吉田内閣運輸政務次官内閣総理大臣秘書官を歴任。党務では、日本自由党幹事、民主自由党総務、副幹事長などを務めた。実業に於いては、岐阜県西部紙工、山陽織物の社長などを務めた。

1976年、脳血栓のため大垣市民病院にて死去。71歳[2]

受章歴[編集]

  • 1968年 - 大垣市功労章[3]

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、18頁。
  2. ^ 訃報欄 木村公平(元自民党代議士)『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月28日朝刊、13版、23面
  3. ^ 大垣市功労者-功労章-”. 大垣市ホームページ (2020年). 2021年3月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『議会制度百年史: 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。