木村学司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 学司
(きむら がくし)
誕生 1909年
日本の旗 日本北海道釧路市
死没 1982年
東京都目黒区
職業 浪曲作家
劇作家
言語 日本語
最終学歴 明治大学文芸科
活動期間 1932年 - 1982年
ジャンル 浪曲
代表作 『日本名僧浪曲列伝』(1957)
『江戸の蝙蝠』(1962)
配偶者 たま
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

木村 学司(きむら がくし、1909年 - 1982年)は日本浪曲作家劇作家である。浅香光代不二洋子などの台本を手がけ、女剣劇の普及に務めた人物。戦後、NHKの専属作家にもなる。

晩年には「宗教レコード制作本部」を立ち上げ、道元親鸞法然など、日本の名僧を題材とした浪曲を制作。それらを一冊にまとめ上げた作品集「日本名僧浪曲列伝」を執筆後に他界。

略歴[編集]

大衆演劇時代(昭和5年-昭和15年)[編集]

浅草に移り父が医院を開業。医者の大学を勧められ受験するが二年浪人する。中学の頃から芝居に興味を持ち劇場に頻繁に足を運んでいた学司は、浪人中に「プペダンサント」を結成した榎本健一が脚本を募集していた事を知り一晩で「ミス浅草」というコメディーを書き上げ投稿。榎本に認められ次回上演する事となる[1]

これをきっかけにあちこちの脚本を書き始める。画家の長谷川利行と親しかったのもこの頃で、彼が描いた学司の肖像画は現在でも残っている。[2] 作家の世界で生きていくためには根本から勉強しなければならないと考え父を説得し、1932年(昭和7年)に新設された明治大学文芸科に入学、第一期生となる。本格的に劇作家としての勉強が始まったのはこの時期からである。

1938年(昭和13年)、木内興行部の文芸部員となる。サンデー毎日の募集に応募し、小説「公園裏の記」で佳作入選。後に大きく関わりをもつこととなる村上元三花村奨と出会ったのもこの頃であった。篭寅興行部と契約を結び、浅草は松竹座、神戸松竹劇場、湊座、大阪弁天座、名古屋の新歌舞伎座など広範囲で脚本を手がける。[3]

女剣劇の普及に力を注いでいた学司は、1939年(昭和14年)、紀元2600年を記念する仕事として「女剣劇脚本集 喧嘩紅梅(外二篇)」を出版。女剣劇正論の中で、「偉大にして光輝ある女剣劇の樹立こそ、銃後女性への貢献であり、現今演劇界の最も欲求するところのものであります。その使命を完遂する時に、その将来は、か丶つて燦然と光輝くでありませう。」と述べている。

以降、大江美智子[要曖昧さ回避]不二洋子浅香光代らを中心に長期に渡り台本を手がけていく。[4] 1940年(昭和15年)、妻:たまと結婚。

1941年(昭和16年)−1960年(昭和35年)[編集]

戦後、江戸書院に入社。「オール小説」の編集責任者を務める。村上元三の言葉添えにより、長谷川伸の門下生となり新鷹会の一員となる。この頃、長谷川伸宅で行われた新年会で意気投合した作家:穂積驚、画家:今村恒美と義兄弟の契りを交わす。 朝日放送の発足に加わり、東京支社での番組制作にあたっていたが、所属の課長大谷氏が大阪支社に移動する事となり、「面白くなくなった。」と一年ほど務めて退社する。その後間もなく、NHKの専属作家として迎え入れられる。

1948年(昭和23年)より放送された「NHKラジオ小劇場」、1953年(昭和28年)より放送された「素人ラジオ探偵局」、松竹映画:斎藤寅次郎監督「勢揃い 大江戸六人衆」、1959-1960年にはKRテレビ(現TBS)系の桑田次郎(現:桑田二郎)の漫画作品を原作としたテレビドラマ「まぼろし探偵」など、舞台だけではなくラジオ、映画、テレビ界でも活躍する。[5]

1961年(昭和36年)-1965年(昭和40年)[編集]

1962年(昭和38年)、小説「江戸の蝙蝠」を出版。この年、恩師であった長谷川伸が他界する。劇作研究の集り「二十六日会」に参加していた学司は、会あるごとに長谷川氏の言葉を熱心に手帳に書きとめていた。その一部を新鷹会「大衆文芸」に「長谷川伸語録」として1年間連載することとなる[6]

1964年(昭和39年)、「何も目的がないのが目的。21世紀まで元気で明るく生きよう。」を合い言葉に「二十一世紀会」を結成し会長を務める。会員数150人以上、結成後約20年間続いたこの会には、作家を始め俳優、落語家、歌手、画家、メディア関係者など、分野を問わず多くの著名人が参加した。

1966年(昭和41年)-1982年(昭和57年)[編集]

この頃から次第に関心が浪曲へと移っていく。

掛合い浪曲」の制作を任される。現場には浪花家辰造天中軒雲月五月一朗二葉百合子らが結集した。NHKを退きフリーとなるが、一時は資金を得るために借金をしなければならないほど苦しい生活を送っていた。1970年、レコード会社クレンズヒルの委嘱により、レコード「日蓮大聖人浪曲御伝記」を制作する。その後も、自らレコード会社「宗教レコード制作本部」を立ち上げ、日本の名僧を題材にした浪曲レコードを数多く制作する。浪曲化することが難しいとされた宗祖の伝記に果敢に挑戦し、膨大な時間を費やした学司の苦労を村上元三はこう称賛している。「木村君の苦労がさこそ、と身にしみてよくわかる。しかし、こういうむづかしい仕事をして、ひろく一般大衆に、仏教のありかたを物語ろうという木村君の努力は、高く認められていい。」[7]

1978年(昭和53年)、妻:たまが他界する。酒が原因で以前から患っていた肝硬変が悪化し肝癌となり入院する。1982年(昭和57年)、「今年は私の生まれ年、庚戌なので何か一つ世間にお役に立つことを」と、晩年の作品の集大成ともいえる「日本名僧浪曲列伝」を刊行する事を決意する。校正も完了し製本されるのを楽しみにしていたが、無念にも完成目前にしてこの世を去る。(後に長男によって限定出版される)往年71歳。[8]

主な作品[編集]

舞台・映画(作/演出)[編集]

  • 戀愛實費診療所
  • 公園裏の記
  • 春炎鼠小紋
  • 微笑の町
  • 女菩薩人形
  • 鴉勘三郎
  • 暁の冨士
  • 月の長脇差
  • 黒田騒動
  • 故郷
  • 夕霧峠の決斗
  • 伊達風雲録
  • 股旅慕情
  • 勢揃い大江戸六人衆(松竹)

ラジオ劇場、浪曲ドラマ、テレビドラマ(作/演出)[編集]

  • 母の系図
  • 底流
  • 小天狗の安
  • 下水道
  • 狐の嫁入り
  • 白面公子筑波太郎
  • 肩車
  • 借着
  • まぼろし小僧
  • 美しき下界
  • 恋の坂崎
  • 富士は日本晴れ
  • 秋色桜
  • 夕鴉
  • 芋代官
  • 大江戸三国志

浪曲レコード[編集]

  • 日蓮大聖人浪曲御伝記(全十二話)
  • 親鸞聖人浪曲御伝記(全十二話)
  • 蓮如上人浪曲御伝記(全四話)
  • 恵信尼公浪曲御伝記(全二話)
  • 弘法大師浪曲御伝記(全十二話)
  • 道元禅師・瑩山禅師浪曲御伝記(全十話)
  • 法然上人浪曲御伝記(全四話)
  • 浪曲成田山利生記(全四話)
  • 釈尊浪曲御伝記(全四話)
  • 風雪の峠-野坂参三の断片

参考文献[編集]

  • 木村学司-『女剣劇脚本集 喧嘩紅梅(外二篇)』
  • 木村学司-『江戸の蝙蝠』、東京文芸社、1962年
  • 新鷹会 -『大衆文芸』 、長谷川伸語録
  • 新鷹会 -『大衆文芸』、追悼木村学司君
  • 木村学司-『法華外伝 日蓮聖人生誕七五〇年慶讃』、近代ジャーナル、1970年
  • 木村学司-『日本名僧浪曲列伝』、二十一世紀会、1982年
  • パリ通信選書1『長谷川利行 未発表作品集』、東広企画、1978年
  • 唯二郎『実録浪曲史』P.302。P.346

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『日本名僧浪曲列伝』より本人談
  2. ^ 『長谷川利行 未発表作品集』、パリ通信選書1、 東広企画、1978年
  3. ^ 『日本名僧浪曲列伝』より
  4. ^ 『女剣劇脚本集 喧嘩紅梅(外二篇)』より
  5. ^ 『日本名僧浪曲列伝』より
  6. ^ 『大衆文芸』 、長谷川伸語録
  7. ^ 『大衆文芸』、追悼木村学司君より
  8. ^ 『大衆文芸』、追悼木村学司君より