木造長政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
木造長政
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 慶長9年(1604年
別名 大膳(通称)、具康・長正・長忠(別名)
官位 左衛門尉、左衛門佐、大膳大夫
主君 織田信雄秀信福島正則
氏族 木造氏
父母 父:木造具政、母:不明
兄弟 娘(織田信雄継室
右京
特記
事項
木造具康と別人物説あり

木造 長政(こづくり ながまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将

生涯[編集]

織田氏の家臣・木造具政の子として生まれる。

はじめ伊勢織田信雄に仕え、天正2年(1574年)7月には侍大将として水軍を率いて伊勢長島攻めに従軍した。また、天正12年(1584年)に主君・信雄に討たれた家老の津川義冬の家臣が松ヶ島城に籠城した際にはこれを攻めている。

ところが信雄は、小牧・長久手の戦いにおいて天下人・豊臣秀吉と和睦したものの、天正18年(1590年)に尾張・伊勢からの転封を拒んで失領。その後、秀吉に召しだされて織田秀信の家老として2万5000石を知行された(『勢州軍記』)。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、秀信に徳川家康の東軍につくように進言するが容れられず、秀信は岐阜城にて西軍に与し、東軍の福島正則池田輝政と戦い、降伏した。長政はその後、福島正則に2万石で仕えた(『勢州軍記』)。

慶長9年(1604年)、死去。

備考[編集]

木造具康は、長政の別名のひとつとする説(同一人物説)のほかに別人説がある。木造氏の系図によれば、具康の跡を継いだのが長政の父・具政である。

司馬遼太郎の小説『関ヶ原』では、父・具政と同音の具正という名前で登場するが、人物の説明では、ほぼ長政を示している。