本田善光

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難波にて阿弥陀如来像を迎える本田善光(善光寺小誌)

本田 善光(ほんだ よしみつ、本多 善光とも)は、飛鳥時代の人物。善光寺の名の由来となった。

経歴[編集]

推古天皇8年-10年(600年-602年)に大和国の京に上る。その際の難波堀江で、厄落としとして打ち捨てられた尊仏を発見し、安置したい旨を願い出て勅許を蒙り、尊仏を信濃国伊那郡若麻績里の自宅に移して拝する。皇極天皇3年(644年)、善光寺の所在地となる信濃(科野国)水内郡芋井郷に尊仏を奉り、寺院建立の勅を蒙りて伽藍を建立。

伊那郡若麻績里に住んだことから、伊呂波字類抄では若麻績東人(わかをみ の あずまんど)とも称される。子に本田善佐がいる。

略縁起[編集]

欽明天皇13年(552年、一説に538年とも)、百済朝鮮半島南西部)の聖王(聖明王)が献上した天竺の月蓋長者造仏の阿弥陀如来像が、疫病流行のために物部氏によって難波の堀江(現在の大阪とも奈良県明日香村とも)に捨てられた。

推古天皇8年(600年)、上洛していた本田善光がそこを通りかかるとその阿弥陀如来像(のちに長野市善光寺の古来から絶対秘仏として伝わる本尊となる)が水中から出現して背に乗った。

信濃に戻り家に安置し、その後阿弥陀如来の霊告で、信濃水内郡芋井郷(現在の長野市)に移座し、如来堂を建立して祀ったという。

善光寺阿弥陀如来[編集]

舟形光背の阿弥陀三尊像で、単一の光背に三尊が納まる一光三尊如来と考えられる。

参考文献[編集]

  • 長野市教育会編『善光寺小誌』大正堂書店、1930年4月9日。
  • 財団法人善光寺保存会編『一光三尊の御仏 ]』明治42年(1907年)。

関連項目[編集]