本多重貞

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本多重貞
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年(1701年
死没 享保4年2月4日1719年3月24日
越前丸岡藩世嗣
氏族 脇坂氏本多氏(作左衛門家)
父母 父:脇坂安照、養父:本多重益
兄弟 脇坂安清、脇坂安次郎、久留島通用
脇坂安利重貞、脇坂照武、七男、
女子三人
養兄弟:重信本多重昭次男)、
重修(本多玄路三男)、
成興五島盛暢次男)

本多 重貞(ほんだ しげさだ)は、江戸時代中期の武士

略歴[編集]

元禄14年(1701年)、播磨国龍野藩2代藩主・脇坂安照の五男として誕生。

越前国丸岡藩4代藩主・本多重益の養子となる。しかし、丸岡藩は元禄8年(1695年)に改易されたため、藩主に就くことはなかった。改易後、重貞は赦免されないまま享保4年(1719年)に早世。享年19。

養父・重益は宝永6年(1709年)に罪を許され旗本として復帰し、家督は代わって養子となった成興が継いだ。