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本田小百合

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 本田小百合 女流三段
名前 本田小百合
生年月日 (1978-10-03) 1978年10月3日(39歳)
棋士番号 14
出身地 茨城県水戸市
師匠 佐瀬勇次名誉九段
段位 女流三段
戦績
2012年9月27日現在

本田 小百合(ほんだ さゆり、1978年10月3日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士茨城県水戸市出身。茨城県立佐和高等学校卒業。佐瀬勇次名誉九段門下。女流棋士番号14。

棋歴

  • 3~4歳の頃、駒遊びをしながら父親に将棋を教わった。
  • 1988年、10歳になる年に第2回女流アマ王将戦で優勝、第20回女流アマ名人戦で3位。
  • 1990年、小学6年生になる春に出場した第15回小学生将棋名人戦でベスト8入り(準々決勝で、のちに棋士となる阪口悟に敗れた)。
  • 1992年4月に女流棋士になって以降は、長い間、棋戦優勝やタイトル戦登場などの目立つ活躍はなかったが、2012年10月、プロ入り21年目にして初めてタイトルに挑戦した。プロ入りからタイトル初挑戦までの期間が20年6か月というのは女流棋士として最長記録である(2位は甲斐智美の11年0か月)。
  • トーナメント戦よりもリーグ戦を得意とする傾向がある。トーナメント戦形式の棋戦では早々に敗退することが多く、2012年に女流王座戦で初の挑戦権を得る以前は、2009年に倉敷藤花戦で挑戦者決定戦まで勝ち上がったことが一度あったものの、上位進出はほとんどなかった。一方、リーグ戦形式である女流名人位戦のA級リーグや女流王位戦の挑戦者決定リーグには数多く在籍し、トップクラスの女流棋士らを相手に一定の実績を積み重ねている。
  • 2006年、第33期女流名人位戦A級リーグで6勝3敗の好成績を上げる(挑戦権を獲得した中井広恵とは1勝差)。
  • 2009年、第17期倉敷藤花戦で自身初となる挑戦者決定戦に進出するも、中村真梨花に敗れて挑戦権獲得ならず。
  • 2012年9月3日、第2期女流王座戦の挑戦者決定戦で里見香奈女流四冠(当時)に勝利し、タイトル初挑戦を決めた。同年10・11月に行われた加藤桃子女流王座との五番勝負ではストレート負けを喫し、タイトル獲得を逃した。
  • 2016年に出産(出産・育児のため3月から8月まで休場し4棋戦を欠場)[1]。そのため、第27期女流王位戦の挑戦者決定リーグを5戦中4戦までで全勝としながら、挑戦者決定戦に進出できなかった(不戦敗を含めて4勝1敗となりリーグ残留)。
  • 2017年、第28期女流王位戦の挑戦者決定リーグで5戦全勝として挑戦者決定戦に進出し復帰後も好調を維持。挑戦者決定戦では伊藤沙恵に敗れ挑戦権獲得はならず。

人物

  • 趣味は絵画、旅行。絵画は中学生の頃から取り組んでいて、展示会にも出品するほどの腕前である。
  • 「水戸の天才少女」と呼ばれた。本田とほぼ同世代の棋士である大平武洋は、「自分と近い年齢の棋士のほとんどが子供の頃は負けていたと思います」と自身のブログで語っている[2]
  • 日本将棋連盟の子供スクールの講師を務めている。2012年10月に女流棋士になった竹俣紅は元教え子の一人[3]
  • 2002年4月~9月、NHK将棋講座木村一基の四間飛車破り・急戦の極意」(NHK教育テレビ)の聞き手役を担当。講師役の木村は同じ佐瀬門下の兄弟子である。

昇段履歴

  • 1990年 - 女流育成会入会
  • 1992年4月1日 - 女流2級(プロ入り)
  • 1993年4月1日 - 女流1級
  • 1999年4月1日 - 女流初段
  • 2004年5月19日 - 女流二段
  • 2012年9月26日 - 女流三段(女流二段昇段後90勝)[4]

出典

  1. ^ 本田小百合女流三段、休場のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2016年2月29日). 2016年9月6日閲覧。
  2. ^ 大平クオリティー 2012年9月3日
  3. ^ 子供将棋スクール 2006年10月1日
  4. ^ 日本将棋連盟 2012年9月27日 『本田小百合女流二段が女流三段に昇段』

関連項目