朱瞻墡

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朱瞻墡(しゅせんぜい、1406年 - 1478年)は、洪熙帝(第4代皇帝)の第5子。宣徳帝(第5代皇帝)の弟。

人物

1428年に兄帝より長沙王に封じられる。1436年に襄王(襄陽王)に封じられた。兄帝の死後に即位した朱祁鎮とは仲が悪かった(一方的に朱祁鎮が嫌悪したという説もある)という。1449年土木の変が起こると、朝廷からは朱瞻墡を次期皇帝に推す声もあったが、彼自身はこれを固辞して英宗の弟である朱祁鈺を推挙した。その上で朱瞻墡自身は憂国の士を集めてオイラトに捕縛されていた英宗の身柄を求めての交渉などに尽力した。英宗が太上皇として戻ってくると、景泰帝に英宗の復位を求めたという。一説に奪門の変にも一枚かんでいたといわれる。

このため、英宗が復位すると皇族の中でも破格の厚遇を受けた。その後も皇族の重鎮として置かれ、1478年に73歳で死去。

参考文献

今日は何の日(9月15日

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