杉浦正行

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杉浦 正行
すぎうら まさゆき
Masayuki-Sugiura-1.jpg
生年月日 (1936-11-24) 1936年11月24日(82歳)
出生地 愛知県
出身校 愛知県立安城農林高等学校
所属政党無所属→)
自由民主党→)
無所属
称号 藍綬褒章
旭日中綬章

当選回数 3回
在任期間 1991年2月15日 - 2003年2月14日

選挙区 安城市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1975年4月30日 - 1991年1月23日

当選回数 2回
在任期間 1967年5月1日 - 1975年3月31日[1]

当選回数 1回
在任期間 1963年 - 1967年3月31日
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杉浦 正行(すぎうら まさゆき、1936年11月24日 - )は、日本政治家愛知県安城市長(3期)、愛知県議会議員(4期)、安城市議会議員(2期)、桜井町議会議員(1期)などを歴任した。

来歴[編集]

愛知県出身。愛知県立安城農林高等学校卒業。家業の農業を継ぐも、2年目に地元の桜井農協に勤務。青年部に所属したことから大きな転機を迎える。杉浦のいた青年部は桜井町議会議員の擁立を目論むが、候補予定者に次々と断られる。そこで白羽の矢が立ったのが杉浦だった[2]。1963年(昭和38年)、桜井町議選に初当選。

1967年(昭和42年)4月1日、桜井町は安城市に編入される。安城市議を2期務める。また同年、アイシン精機が関連会社(アイシン・ワーナー、のちのアイシン・エィ・ダブリュ)を設立しようした際、安城市に誘致するため用地買収に尽力した[3]

1968年(昭和43年)11月27日、安城市に株式会社勤労食を設立し社長に就任[4][5]

1975年(昭和50年)の愛知県議会議員選挙・安城市選挙区(定数2)に無所属で立候補。自民党現職の加藤三二を抑え、トップで初当選を果たした[6]

1979年(昭和54年)の県議選は自民党の公認を受け、再びトップ当選。なおこの年の選挙で大見志朗が無所属で初当選している[7]

1985年(昭和60年)10月21日、福田派中野四郎が死去。旧愛知4区においては稲垣実男の派閥に属していた杉浦であったが、中野の後援会最高顧問から強く推され、後継者争いに名乗りを上げることになった[8][注 1]。翌1986年(昭和61年)3月に弁護士杉浦正健が後継に内定するも、安城では杉浦正行を望む声は収まらない。当時杉浦は受益農家1万5千戸でつくる「明治用水土地改良区」総代会の議長を務めており、国政選挙では農民票は農協ではなく明治用水から出るとされるだけに、杉浦が立てば4区全体からの集票が可能になる見込みがあった。同年4月16日、杉浦は安城市役所の市長応接室に岩月収二市長、石川正平助役、大見志朗県議、斉藤力市議、加藤正明市議、加藤昭市議らを集め、意見を募った。しかし「やるべきだ」という者は誰もいなかった[10]

1989年(平成元年)7月の第15回参議院議員通常選挙に際して自民党県連から出馬を打診されるも、「国会よりも市長をやりたい」と辞退した[11]

県議時代は東海道新幹線三河安城駅の誘致に尽力した[12]

安城市長に就任[編集]

1990年(平成2年)12月3日、岩月収二市長が引退を明らかにし、これとともに次期市長選へ出馬する考えを正式に表明した。杉浦の表明は、安城市民会館で開かれた「住みよい安城をつくる市民の会」の役員総会の結果を受けて行われた[13]。1991年(平成3年)1月23日、県議を辞職[14]。同年1月27日に告示された安城市長選挙において無投票で初当選した。2月15日、初登庁し市長に就任した[15]

1993年(平成5年)4月、藍綬褒章を受章[16]

1995年(平成7年)1月29日告示の市長選で無投票により再選。同年2月、農水官僚大村秀章に衆院選愛知13区への出馬要請を行った[17][18][注 2]。大村は1996年(平成8年)の総選挙新進党島聡に敗れるも比例復活で初当選した。

1999年(平成11年)、無投票により3期目の当選を果たす。

2003年(平成15年)の市長選は自民党安城支部長の大見志朗県議が推す元市議の神谷学との一騎打ちとなった[20]。投開票は2月4日に行われ、約6,000票差で神谷に敗れ落選。

2007年(平成19年)4月29日、春の叙勲により旭日中綬章を受章[21]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中野四郎は倒れる1、2週間前、後援会最高顧問の鈴木熊次郎の会社、中日本鋳工を訪れ、世間話のあと「もう1期だけやらしてくれ。あとは誰かに任すから」と切り出した。「それはいい。人間ひきどきがある」と鈴木が答えたあと、中野が先頭に立って誘致を行った新幹線三河安城駅の話になった。「駅誘致で骨を折ってくれた県会議員の杉浦正行はどうだろう。あの男が俺の陣営ならいいのだが」。中野の言葉を鈴木は彼の遺言ととらえ、他派閥であった杉浦の擁立を強硬に主張した[9]
  2. ^ 杉浦から出馬要請を受けた大村秀章は碧南市の出身であったが、衆院選に向けて安城市篠目町に住所を移した。そして安城市に本社を置く中央精機の石原勝成社長が大村の後援会の初代会長に就いた[19]

出典[編集]

  1. ^ 『安城市議会五十年史』安城市議会、2003年1月20日、673頁。
  2. ^ 中日新聞』2003年1月28日付朝刊、西三河版、16面、「安城市長選 候補者はこんな人 杉浦正行候補 神谷学候補」。
  3. ^ 『中日新聞』1991年1月6日付朝刊、30面、「91地方発 選挙と政治 だから出る (5) 転身の穴 党派超え暗黙のバトン」。
  4. ^ 『日外アソシエーツ whoplus』 「杉浦正行(スギウラ マサユキ)」の項
  5. ^ 企業情報 | 株式会社勤労食 | 社員食堂・学生食堂の運営委託 | 企業・学校給食
  6. ^ 『愛知県議会史 第十二巻』愛知県議会、2005年3月15日、248頁。
  7. ^ 『愛知県議会史 第十三巻』愛知県議会、2008年3月15日、250頁。
  8. ^ 朝日新聞』1987年4月11日、東海総合面。
  9. ^ 『朝日新聞』1987年4月7日、東海総合面。
  10. ^ 『朝日新聞』1987年4月25日、東海総合面。
  11. ^ 『中日新聞』1991年3月24日付朝刊、県内版、18面、「県議選91 話題を追う (下)」。
  12. ^ 『中日新聞』2018年3月8日付朝刊、西三河版、14面、「西三河の玄関口は 三河安城駅30年 (下)」。
  13. ^ 『中日新聞』1990年12月4日付朝刊、県内版、14面。
  14. ^ 『中日新聞』1991年1月24日付朝刊、県内版、14面、「市長選出馬の2県議が辞職」。
  15. ^ 『中日新聞』1991年2月16日付朝刊、西三河版、16面、「杉浦市長が初登庁 安城『市民奉仕に努める』」。
  16. ^ 『中日新聞』1993年4月28日付朝刊、県内版、16面、「春の褒章 県内の受章者 黄綬16人 紫綬1人 藍綬25人」。
  17. ^ 『中日新聞』1996年10月15日付朝刊、西三河版、23面、「候補者登壇 13区 横顔・一枚の写真 大村秀章候補(36) 自新 中央省庁改革に意欲」
  18. ^ 『中日新聞』2015年2月2日付夕刊、10面、「愛知知事選一夜明け 大村さん『背筋伸ばす』」。
  19. ^ 『中日新聞』1996年2月12日付朝刊、西三河版、22面、「大村氏の後援会結成 衆院13区から立候補の予定」。
  20. ^ 『中日新聞』2003年1月30日付朝刊、26面、「選択の時あいち知事選 安城市長選応援できぬ理由」。
  21. ^ 日本経済新聞』2007年4月29日付朝刊、31面、「春の叙勲受章者――旭日中綬章」。