李ク (朝鮮)

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李 璆(り く、永楽17年・世宗元年( 1419年) - 成化5年・睿宗元年( 1469年)は、李氏朝鮮王族は璆。は献之。君号は臨瀛大君。第4代国王世宗の第4王子。母は昭憲王后。第5代国王文宗、および第7代国王世祖安平大君の同母弟、広平大君錦城大君平原大君永膺大君の同母兄、桂陽君の異母兄である。第6代国王端宗、第8代国王睿宗の叔父。子に亀城君李浚。

経歴[編集]

1428年に大匡輔国・臨瀛大君に封じられる。1430年に安平大君とともに成均館に入学。1442年に元尹となる。なお同年より当時王世子だった長兄の文宗が父王の摂政となる。1445年の銃筒製作や1450年の活字の製作に関与する。次兄の世祖が政権を握るとこれを補佐する。

参考文献[編集]

  • 朴永圭『朝鮮王朝実録』尹淑姫・神田聡 訳、新潮社、1997年9月。ISBN 4-10-536001-9。