李克譲

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李 克譲(り こくじょう、856年以後 - 880年)は、後唐の太祖李克用の弟。

経歴[編集]

黄巣の乱の際に李克用に従い、黄巣討伐に参加した。初め、振武軍校に任ぜられ、功績を重ねたので金吾将軍が加えられ、都城の守備を任され、親仁坊に居した。乾符5年(878年)、克用が唐軍の将の段文楚を殺害したため、克譲と配下の将兵は唐軍に包囲された。克譲は何相温、安文寛、石的歴など10人の侍従と共に血戦の末、千人の包囲網を突破し、雁門へ逃走に成功した。翌年、克用は唐に復帰し、克譲も金吾将軍に戻された。

広明元年(880年)、黄巣が長安を攻撃した。克譲は潼関の守備を任されたが、戦に敗れて南山の仏寺に逃げた。その寺で、克譲は僧侶に暗殺された。

子女[編集]

  • 男子:李存瓌
  • 女子:福慶公主(後蜀の皇帝孟知祥の皇后)

史料[編集]