李国秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李 國秀 Football pictogram.svg
名前
カタカナ リ クニヒデ
ラテン文字 LEE kook-Soo
ハングル 이국수
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
生年月日 (1957-04-25) 1957年4月25日(61歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 173cm
体重 68kg
選手情報
ポジション MF
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

李 國秀(り くにひで、朝鮮語: 이국수、イ・グッス1957年4月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。在日韓国人二世

来歴[編集]

現役時代は攻撃的MFとして読売クラブなどで活躍。在日韓国人だが「韓国のプレースタイルは自分に合わない、だから香港でプレーした」と語るように、指導者としてもショートパスを中心とした技術重視のサッカーを志向する。

横浜トライスター時代は選手だけでなく助監督として、技術指導とマネジメントにも関わった。横浜トライスター~全日空は強化が始まった1979年から6年間で日本リーグ1部まで昇りつめた。これに関して李は自身のブログで「当時としては最短で、最小の予算で日本リーグ1部まで上げた」「日産自動車や松下電器がどのくらいの予算で、何年かかって日本リーグ1部へ上がったか、調べてみるといいでしょう」[1]と語っている。

桐蔭学園監督在任中の1990年、横浜ベイブリッジユースサッカー大会を創設。コンセプトは「子供たちが持ってる力を発揮して、良いプレーをしてくれればいいという人たちで大会をやろう」というものだった。横浜ベイブリッジユースサッカー大会を創設したきっかけとして、李は1990年6月にインターハイ準決勝で相手をシュート0本に抑えながらもPK負けしたことへの不愉快さを挙げている。第1回大会の参加チームは国見高校、清水商業、読売クラブ、桐蔭学園の4チームだった[2]

李が桐蔭学園の強化に携わった2期生からは、有力選手を駒澤大学へ進学させた。桐蔭学園~駒澤大学ルートでプロになった選手には林健太郎、栗原圭介、渡邉晋、山田卓也、米山篤志、盛田剛平、小林慶行らがいる。桐蔭学園~駒澤大学ルート開拓の理由として、李は「中央大学や明治大学に進学した桐蔭サッカー部1期生は、嫌な思いをしたんですよ。中央大学に行った長谷部君も頑張ったそうですよ。一年生時には丸坊主でやかん持って立っていたり……」「駒澤大学では「根性見せろ!」とか「特訓だ!」とか、そういうものがない中でやりましょう」[3]と、大学サッカー部の体育会体質への反発を挙げている。

桐蔭学園監督を1996年に辞任し、1999年にヴェルディ川崎総監督に就任するまで、清水商業高校や帝京高校の特別コーチを務めた。この間、指導した選手には小野伸二、中田浩二、小林大悟らがいる[4]

横浜トライスター桐蔭学園高校サッカー部での指導を経て1999年からはヴェルディ川崎の「総監督」に就く。V川崎では監督を松永英機張外龍が務めたが、実質的な指揮は李が執っていた。これは李が日本サッカー協会S級ライセンスを持っていないための措置だった。

V川崎では林健太郎米山篤志山田卓也小林慶行など桐蔭時代の教え子らを中心としてチームを組み立て、1999年1部1stステージには2位に入った。その年に行われた第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会ではベスト4に進んだが、準決勝のサンフレッチェ広島戦で敗れた後で主審を中傷する発言をしたとして、2000年J1の最初の数試合ベンチ入り禁止の処分を受けた。李は2000年シーズン終了と共にV川崎を退団した。

その後は読売新聞を中心にサッカーに関する評論活動をしながら、2003年神奈川県厚木市に開場したフットサル場「エルジェイ・サッカーパーク」の経営、及び同施設での指導を行っている。2005年にはB級ライセンスを取得したが、Jリーグでの指導より少年選手・指導者の育成を重視している。2015年に桐蔭学園サッカー部監督に復帰[5]。ただ復帰後は部員に対するパワーハラスメント騒動[6] や3年生チームと1・2年生チームの分裂を招く[7] など手腕が疑問視されている。2018年3月、監督交代が報じられた[8]

マネジメントは猪野仁志(元グルノーブル・フット38GM)が行っている。

選手歴[編集]

個人成績[編集]

日本国内成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1973 読売 JSL2部 -
1974 -
1975 17 13 1 -
1976
1981 横浜
トライスター
神奈川県1部 -
1982 関東 -
1983 関東 -
1984 全日空
横浜
JSL2部
1985 JSL1部 19 0
1986 JSL2部
1987 JSL2部
通算 日本 JSL1部 19 0
日本 JSL2部
総通算

指導歴[編集]

参考文献[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]